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心情録
レイシア [ 2005/04/03 0:17:47 ]
 心の内に秘めた出来事。

自分のことを語るのは好きじゃない。
でも、そうだね。少しぐらいなら、呟いても良いかもしれない。
 
まず、思うこと。
レイシア [ 2005/04/03 0:18:58 ]
 “片牙”の財宝探索から返ってきて、数日。
スピカに付き合って貰いながら、日々鍛錬を続けている。

あの時、シタールさんから姉さんの遺言を聞いたからかな。
以前と少し、精霊に対する感情が変わった気がする。
……変わったことなら、あと、もう一つあるけど。

昼時の公園。晴れた空を見上げながら、こっそりため息をつく。
なかなか集中できない。
理由は分かってる。少し前から、心にくすぶっている感情。

表面上は今まで通り、何事もなかったように振る舞っているつもり。
だけど、ため息をつく回数は、確実に増えた。

その感情をどうするかは……未だに決めてない。
 
未だ決まらない心
レイシア [ 2005/04/09 16:32:31 ]
 <新王国歴517年4の月5日>

クレフェの所に相談しには行ったが、結局自分はどうするのか、という答まで出なかった。
答を見いだせないなら。そうね、本人に直接聞いてみてもいいかもしれない。
短絡的だが、それぐらいしか思いつかない。

夕暮れ頃。シタールさんの家の前。
手が震え、柄にもなく緊張する。
奥さんと鉢合わせたら、と考えたりはした。けど、その事を今悩んでも仕方ないと、意を決して扉を叩いた。

少しして扉が開き、シタールさんが顔を出す。困ったような、驚いた顔。
「話したいことがある」と口を開く前に、誰かが家の中から出てきた。

「資料を届けてくるから」

こちらを見ようともせずにそう言って、ライカは足早に去っていく。
伏せられた顔に、強く結ばれた口。込められている感情を思うと、胸が重苦しくなった。

家の前で二人、取り残される私とシタールさん。微妙な沈黙が漂う。
何か言おうとシタールさんが逡巡している間に、「帰る」と短く告げて、私もそこから去った。


結局、何をしに行ったのか分からず仕舞い。
逃げて答えを伸ばしただけかもしれない。

分かったことは、恋敵である相手に悪いと思ってしまっていること。
そう思ってるくらいなら、いっそ諦めてしまった方がいいんじゃ?

大きくため息をつく。
少し、風に当たってこようかしら。
 
うらはら
レイシア [ 2005/04/18 3:16:25 ]
 <新王国歴517年4の月13日>

シタールさんに、身を引くと告げた。

あの時はそう言ったけど。ホントの事言うと、全然吹っ切れてなんかいない。
引き留められた時、あの腕の中に顔を埋めてしまいたかった。言葉を受け入れてしまいたかった。
それでも、私を押しとどめたのはライカへの。そして、シタールさんへの後ろめたさ。

ライカは嫌いじゃない。逆に、同性として好ましいと思ってる。
自分の所為で苦しませるのは、後ろめたい。
……憎むぐらい、嫌な女だったら楽だったのにな。ライカも、私も。

シタールさんは、姉さんの仇として、長年恨んでいた。あの島で、その事は許せたんだけど。
ずっと、ずっと恨み続けてて、散々利用したから、今はまともに顔も見れなくて。

だから、無理矢理想いを断ち切った。けど、まだ迷ってる。
なんでこんなに優柔不断なんだろう。吹っ切れた振りをしてる自分が情けない。

早く、答えを出して欲しい。元の関係に戻った二人を見て、鈍い痛みが走るかも知れないけど。
それでも、諦めはつく。――ついてくれなきゃ、困る。
 
相棒の気遣い
レイシア [ 2005/04/18 23:57:47 ]
 <新王国歴517年4の月13日>

日が暮れて宿へ戻ると、微妙な笑顔のスピカが待っていた。
私の好物を準備してくれていたり、いつも以上に甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
だけど、気になっているはずなのに、何があったのか全く訊いてこない。

こっそり後を付けて、私とシタールさんの会話を盗み聞きしてたのがバレバレ。
でも。何も尋ねず、話してくれるのを待つその気遣いが、とても嬉しかった。

御免ね。心の整理がついたら、ちゃんと話すから。
勝手だけど、それまで待っててね。

その想いは口に出さず、杯を傾ける。
やけに舌に残る、癖のある味。

……気遣いは嬉しいんだけどね、馬乳酒かぁ…。
恨めしげな視線を送ると、お酒が足りないのかと思ったらしく、「まだ有りますわよ?」とお代わりを注いでくる。

いやね。このおつまみだと、お酒の選択は間違ってると思うのよね。
せめて辛口の白ワインとか…。
まぁ、いっか。折角準備してくれたんだし、文句言うのは我が儘ってモンだね。

あ。言うの忘れてた。
ありがと、スピカ。
 
告げる言葉
レイシア [ 2005/04/30 23:42:48 ]
 <新王国歴517年4の月28日>

「……ライカと別れた」

宿を訪ねてきたシタールさんが、開口一番に発した言葉。
別れた。その言葉に心を揺さぶられるのが分かる。

今、部屋にいるのは私とシタールさんだけ。寝台と椅子に、それぞれ腰掛けて向かい合っている。
スピカは今日も神殿に出ていて居ない。戻ってくるのは夕方頃だろう。
だから今回は、わざわざ外へ出ず、シタールさんを部屋に招き入れた。

どうして?と理由を問う声が、情けないほど掠れている。
シタールさんとライカは、縒りを戻すものだと思ってた。そうであって欲しいと、自分に無理矢理思い込ませ、身を引いた。
でも、元には戻らず、二人は別れを選択した。
ならば、私は――。
……頭を振り、その考えを追い出す。別れたからと言って、そこにすぐ付け込もうとするなんて。
諦めきれない私。なんて、浅ましい。

説明を終えたシタールさんが、伺うように私を見る。
相づちなり返事なり、一言何か言えればいいのだけど、何も言えない。
ただ、自分を守るように、片腕を掴んで下を向く。

沈黙が続く。

「……帰るわ」
頭を掻きつつ、シタールさんが椅子から立ち上がる。その懐から、一枚の羊皮紙が滑り落ちた。
足先に当たったそれを拾い上げ、何気なく目をやって――凍り付いた。

内容は、レイド行き護衛の募集。

「オランから、出るの?」
声が震える。シタールさんの顔を見上げる事が出来なくて、表情は分からなかったが、小さく肯定の返事が耳に届いた。

なんでレイド行きなの?と聞くまでもなく、シタールさんの目的は見当が付いた。
他の場所ならいざ知らず、生家でもないレイドまで行くという事は、必然的に寄る場所は決まってくる。
――姉さんの、お墓。
シタールさんの中で、姉さんは絶対に忘れられない人なんだと、改めて突き付けられた気がした。

胸が苦しい。
昔から、姉さんの背中を見ているしかなかった。好きだったけど、尊敬してたけど、嫌いだった。
事ある度に姉さんと比較されて、誰もが姉さんを好きになって。
初めて好きになった人――シタールさんも、いつも視線は姉さんを追っていた。

駄目だよ。もう居ないのに、シタールさんを取らないで。何時までも縛らないで。
誰よりも、何よりも、姉さんに取られるのは嫌なの。

「お願い、行かないで。行っちゃイヤだよ」
広い胸にすがりついて、泣きながら子供のように懇願した。
見苦しいけど、浅ましいけど、それが私の本音。
戸惑っていたシタールさんの腕が上がり、ゆっくりと、抱き締められる。

――扉の向こうで、誰かの走り去る足音が聞こえた。
 
片割れの喪失
レイシア [ 2005/05/05 22:17:58 ]
 <新王国歴517年5の月1日>

スピカが居なくなった。

スピカの行きそうな場所、寄りそうな場所。
町中をを探して分かったのは、もう王都には居ないという事。

その際に見つけた手紙を手に、ぼんやりと寝台に転がる。

手紙には簡潔に、以下の事が綴られていた。
――この恋は許せない事。
――他人の幸せを奪ってまで、この愛を貫いて欲しくない。
――そして、私の好きなあなたには、普通の恋愛をして欲しかった。

結局私は、何も訊かずにいてくれるスピカに、甘えすぎていたのだろうか。
悩んでいても何も聞かされない。訊けない。見守る事しかできない。
それは、とても辛かった筈。

考えてみればここ最近、自分の事にかまけて何もスピカに話していない。
一応、全部終わったら話すつもりだった。
シタールさんとの馴れ初め、姉さんの事。
何があったのか、どうして恨んでいたのか。
どうしてこんな事になったのか。

けど、今となっては遅すぎる言い訳。

私はどうすれば良かったんだろう。
その言葉ばかりが、頭の中をぐるぐる回る。

もしも、シタールさんを引き留めなかったら、全てが丸く収まっていた?
もしも、あの時完全に思いを断ち切っていたら、スピカは出て行かなかった?
もしも、最初からスピカに相談していれば、こんな事にはならなかった?

考えつく幾通りもの可能性、分岐点。
けれど、いくら“もしも”を考えても、一度零れてしまった水は、元の杯に戻せない。
スピカは、もう側には居ない。

控えめなノックの音で目が覚める。窓から見える色は夕暮れの色。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
鈍い動作で扉を開けると、複雑な顔をしたシタールさんが立っていた。
 
酒の席で
レイシア [ 2005/05/08 10:52:13 ]
 <新王国歴517年5の月1日>

「行きたくない」
「いや、そう言うわけにもいかなくてな…」

部屋の入口で押し問答。かれこれ30分は続けてるだろうか。
近所迷惑なこと甚だしい。

突然やってきて、「ライカが呼んでるから、来てくれ」だなんて。
何故?と訪ねても言葉を濁して教えてくれない。

そもそも、行きたくもないし、行ける筈もないじゃない。
ライカに対しては負い目もあるし、後ろめたくて顔を併せづらい。
……それはシタールさんなら、分かってると思うのだけど。

「行きたくないって言ってるの。また今度にしてよ」
不機嫌さを滲ませて言い放ち、そっぽを向く。
埒が明かない、といった風に頭をガリガリと掻くシタールさん。
話は終わりとばかりに扉を閉めようとしたが、右手を掴まれて強引に部屋から連れ出された。

「あ。みんな、レイシアが来たわよ」
「遅いわ。待ちくたびれたじゃない」
「……とかいいつつ、クレア。あなた待ってなんか居ないじゃないの。既に2本空けてるし」
「シタール君、つまみ足りない。あと、もっとお酒。ほら早く!」

ここ一月の間に、何度か訪れたシタールさんの家。
中にはいると、まずクレフェが顔を出した。続いて、知り合いらしい女性二人と、ライカ。
既に飲んでいたらしく、周りには酒瓶が何本か転がっている。
……ぱっと見、高いワインばかり。
シタールさんは早速エプロンを身に纏い、給仕というか……下僕の如くこき使われ、走り回る。
状況が分からず突っ立っていると、座るよう促され、杯に注がれたワインを渡された。
気分が乗らないから帰る、とは既に言い出せない状態。

何杯か杯を重ねてふと横を見ると、隣にはライカが座っていた。他の人達は少し離れた場所で輪を作っている。

…………これは、何かしら。ガチンコ勝負でもしろと?

周りは騒がしいのに、その場だけ重たい沈黙が漂う。
ゴブレットの中身を空にして注ぐ。飲む。空にする。また注ぐ。同じ事を何回も繰り返す。
こうなってくると、お酒の味なんか分からなくなる。
更に何杯か消費した所で、ライカが口を開いた。

「そんなに身構えないでよ。なんか、こっちが苛めてる気になっちゃうじゃない」
――いや、そう言われても。
いつもなら軽口で言い返すのだけど、……相手が相手だし、言葉浮かぶ前に消えていく。
「私はもう気にしていないわ。吹っ切れたもの」
こちらを見ずに言葉を紡ぎ、ワインを飲み干す。強めに置かれた杯が少し大きな音を立てた。
そこで、初めてライカと視線が合う。きつめの目元が僅かに細められた。

「馬鹿で優柔不断で甲斐性無しだけど。……シタールのこと、お願いね」

穏やかな口調。雑言で貶すけど、気遣う気持ちが透けて見える。
その言葉に戸惑いながらも、少しだけ微笑み返した。
 
最後のお節介
レイシア [ 2005/05/12 21:07:13 ]
 <新王国歴517年5の月6日>

日も未だ昇らぬ時間。ふと目が覚めた。
寝直そうかと思って寝返りを打ったけれど、気が変わった。寝床から出て窓を開けてみる。
風乙女達が頬に触れる。ひんやりと冷たくて、心地良い。
しばらく外を眺めていると、控えめなノックの音が聞こえた。
……こんな朝早くに訪ねてくるなんて、誰だろ。
訝しみながら扉を開けると――旅装姿のライカが立っていた。

「あら、起きてたの。起こす手間が省けて良かったわ」

掲げた古めかしい杖を下ろし、にこりと微笑む。
もしかしなくても、あのノックで起きなかった場合は、それで叩き起こすつもりだったの…?
等と聞ける筈もなく、少し引きつった笑顔を返した。


オランを離れ、タラントへ行くこと。多分、もう二度と帰ってこないこと。
シタールさんには別れの言葉を告げずに出てきたこと。

「私は居なくなるから、これからどうするかは貴女の自由だけど。
 だけど、シタールと一緒にいることを選ぶのは、貴女にとって辛いことかもしれない」

最後のお節介、と呟いて、ライカは「じゃあね」と出て行った。
道中の無事を祈る言葉を投げ掛け、去っていく背中を見送る。

――そうね。ライカの言う通り、辛いことかもしれない。
恋敵だった私を心配してくれるのはとても嬉しい。けれど。
それでも、欲しい物があるの。


夕刻。シタールさんの家の前。
扉を数回ノックする。
出てきたシタールさんに向かって、極上の笑みを浮かべ、誘い掛けた。

「ねぇ、シタールさん。お食事しに行かない? こないだのお詫びに、奢るから。ね?」
 
名前の呼び方
レイシア [ 2005/05/18 19:44:43 ]
 <新王国歴517年5の月13、14日>

宿を引き払うことに決めた。
二年間、ずっと住んでた部屋。居心地も良かったし、変える気なんてなかったけど。
今ここにいるのは、正直言ってちょっと辛い。

だから手早く自分の荷を纏め、心苦しかったけどスピカの荷物も整理して。
次の日から、シタールさんと一緒に部屋探し。

誰かと一緒に、何かを見て回るのは好き。それが思い人なら尚更。
気に入る部屋は中々見つからないけど、凄く楽しい一時。

「そう言えば、未だ直らないんだな」
ん…? シタールさん、何か言った?
「それだ。名前の呼び方」
あ…。えっと、変えようと思うんだけど、ずっとそう呼んでたからつい…。
少しずつ直していくから、待っててくれる?
「まぁ、良いけどな」

……でもさ。呼び捨てって、結構気恥ずかしいのよね。長年敬称で呼んでた人なんて特に。
これ直すの、結構難儀しそうだなぁ…。気を抜くと、すぐさん付けで呼んじゃうし

そんなことを考えながら、隣を歩くシタールさん…シタールを、見上げる。
うーん。思うだけでもちょっと照れる。
「どした?」
不思議そうな顔。
なんでもないよ、と微笑み答え、腕を絡めて体を擦り寄せた。
 
夏までの宿
レイシア [ 2005/05/18 20:16:33 ]
 <新王国歴517年5の月15日>

(#{228}シタールの宿帳「胡弓来舞」#20参照)

「――で、お嬢ちゃんはどうするんだ?」
エプロン姿で働き始めるシタールさんを満足げに眺めてから、店長代理がこちらに視線をやる。

うーん、そうねぇ。……小さい部屋で良いから、素泊まりで借りたいんだけど。

「分かった。じゃあ宿代は、奴の給料から差っ引いておくが、いいか?」

うん。それでヨロシク(あっさり)。
 
小さな悩み
レイシア [ 2005/05/20 19:25:02 ]
 <新王国歴517年5の月19日>

「だから、もう一度あの遺跡へ潜りたい」

数日前の事。ケイナの谷へ挑んだ際の経緯を全て語り終え、シタールさんは最後に強い口調で言った。
私は少しだけ視線を落とす。そのまま瞳を閉じて、そう、とだけ呟いた。


興味がないわけでもなく、挑むのに反対するわけでもない。ただ心配なだけ。
シタールさんは何度か死にかけている。以前の“片牙”の財宝探しでも、ケイナでも、他にも。
心配なら、一緒に行けばいいとは分かってる。
私は精霊使いで、冒険者で、パートナーなんだから。
それに、待つ女なんて柄じゃないしね。

でも、私がついて行ったとしても、大丈夫なんだろうか。
生命の精霊に助けを請えるようになったとはいえ、自分の技量には未だ不安がある。
また、もしシタールが。そうでなくても誰かが死にかけて、助けられなかったら。
考えただけでも、ぞっとする。

……それでも、やっぱり置いていかれるのは嫌。
役に立てなくても、出来るだけ力になりたい。せめて足手纏いにはならないくらいに。

そう考えたら、笑いが込み上げてきた。
何を悩んでいるんだろう。答えはとうの昔に決まっていたのに。

よし。後で言おう。
そして少しでも役に立てるように、しばらく鍛錬に集中しようかな。
 
筋とこれから
レイシア [ 2005/05/31 1:46:09 ]
 <新王国歴517年5の月23日>

話がある、とシタールが部屋を訪ねてきてから、どれだけ経っただろうか。
二人の間に漂う気まずい沈黙。
話すべきことはある筈なのに、言葉が出てこない。
しばらくして、意を決したようにシタールが口を開いた。

「このままじゃ、俺等っていつか駄目になるよな」

そうだね。ラスのお兄さんに指摘されてから、何となく分かっていた。
ライカへの配慮を忘れ、スピカや姉さんのことから目を逸らして、目の前の幸せにすがる。
その事に気付いてから、胸を占めるのは罪悪感ばかり。

ごめん。ライカには感謝と配慮こそすれど、蔑ろにしてはいけなかったのに。
そしてスピカのことも。
捨てられたんだ、って思いがあった。
悲しかったから向き合うのが嫌で。だから逃げた。

ライカもスピカもこんな姿を見たら、情けないって怒るんだろうな。
色んな事にけりを付ける為にも、筋は通さねばならない。

互いにちゃんと向き合えるようになるまで、距離を置く。
それが、二人の出した結論。

「お前が向き合えるようになったら、この店に来い。それまで、ずっとここで待ってるから」
「……いいの? いつになるか、分からないよ?」
「許して貰うまでに8年も掛かったんだ。もう少しぐらい、待てるさ」

引き寄せられ、優しく抱きしめられる。
嬉しい言葉に涙ぐんで、厚い胸板に顔を埋める。
温かくて安らぐぬくもり。けれど、今は胸の奥にちりちりとした痛みを感じる。

ゆっくりと体を離し、涙の後を拭って微笑みかける。
シタールもそれに応じて、口元をゆるめた。

「じゃあな」
「ええ。じゃあね、シタールさん」

笑顔で別れを告げて、部屋を後にした。


――シタールには言わなかったけれど、イゾルデの姉さんから修行をしないか、と誘いがあった。
良い機会だし、やってみようかな。
姉さんの旧友と顔をつきあわせながらやるのも、変な気分だけど。