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魔道書の片隅に
ライカ [ 2005/04/08 0:24:08 ]
  日々の何気ない記録。
 探求や冒険ではない、日常のちょっとした事件。
 人との交流、それによって得た知識、更に得た何か。
 もしくは、失いつつある何か。



 そんなものを、魔道書の片隅の、書き損じの紙に書いてみる。
 書き損じの紙も、これで大切な日記になる。
 
迷走
ライカ [ 2005/04/08 0:25:57 ]
  シタールとレイシアの件。
 クレフェに愚痴ったり、シタールと微妙な距離が出来てみたり、あとは……そうね。家にいることが少なくなった。
 家にいたら、シタールと顔を合わせる。そうしたら口から出てしまう。愚痴の一つや二つ、ううん五つくらいは。
 本来なら、きちんと話し合ってみるべきなんでしょうけど。それは分かってるんだけど。

 シタール。
 …相棒として、……まぁ、そう言う仲としても、一緒にいるのだと思ってきた。これからも、まあ喧嘩しながら、ふたりでぼちぼちやってくのだろうな、と。
 今回の件で、そうではないのかもしれない、と言う可能性が出てきて、しかもシタールの様子を見ていたらそれが強くなってきた。
 ……クレフェに言われるまでは、身を引こうかななんて考えたわよ? おそらくそうでもしないことには変なところで優柔不断なあの馬鹿はどうにも出来なかったと思うから。
 わたしとシタールは、種族が違う。寿命が違う。……身を置いている時間の流れも、確実に違うと思う。だから、彼には人間の女の子の方がふさわしいのかな、とも。

 でも、それだけの理由でシタールをあっさり譲り渡すつもりはなくなった。クレフェが励ましてくれたからでもある。それ以前に。………わたし、不貞行為とか嘘ついたとか裏切ったとか、そう言う悪いこと何かした? 彼にとってわたしの存在が有益だったとまで言うつもりはない。長年連れ添ってきたから、いろいろとお互いに不満はあると思う。っていうか、ある。絶対ある。上品で気立てのいいおしとやかだけど大人の女っていう子によくふらふらっと行ってるのも知ってる。

 わたしはシタールをレイシアにも、他の女にも譲る気はない。ここ数日、そう心の中で決めていた。
 でも、シタールがもしもレイシアを選んだなら。もしくは、どちらも選ばないなんて安穏で卑怯な手を選んだなら……。



 そんな事を考えながら、久方ぶりに自宅で資料を整頓していると、ドアがノックされた。居間の椅子にだらしなく座って何か考えていたシタールが応対に出る。


「レイシア?」
 玄関から聞こえてきた声。明らかにうろたえたシタールの声。そして呼ばれた名前。




 ………気がついたらレイシアとシタールを押しのけて、「資料を届けてくるから」と言い捨てて家を出ていた。
 止める声はしなかった。聞こえなかっただけかもしれないけれど。


 ちゃんと心は決めていたのに。目の前で明らかに動揺されると腹が立つ。
 ……一番腹が立つのは、内心でシタール以上に動揺している自分と気がついて、あまりの腹立たしさに涙が出てきた。
 
馬鹿と、これから
ライカ [ 2005/05/09 22:29:44 ]
  シタールから渡された手紙。自室に戻って何度も灯りの下で確認する。この筆跡には見覚えがない。でも、宛てられている名前は確かに私の本名で、私の本名なんて知っているのは祖父とシタール、そして名前を付けた本人くらい。

 差出人の名前は……別れるはずもないその名前は、私の父の名。妻を亡くし、まだ二つにもならない娘を抱えて途方に暮れたあげく、妻の父……つまりは祖父に相談しに行ってその子供まで取られてしまった可哀想なエルフ。

 どうして今頃。封を切る。手紙を開く手が震える。そこには綺麗な書体の西方語が連ねてあった。……人と暮らす私に気を遣ったのだろう。

 そこには、ちゃんと食べているか、とか、悪さ坊主に泣かされていないか、とか他愛もない心配事が書いてあり、自身の近況として、冒険者として根無し草の生活を送ってきた自分も、今ではタラントで薬草師として定住し、安定した生活の糧を得ていること、もしも自分のことを恨んでおらず、迷惑でないのなら会ってみたいことがつづられていた。数少ない母の遺品と共に、いつまででも待っていると。


 手紙を読み終わる。不意に浮かんできたのは、ああ、ここにも馬鹿がひとりいる、と言うことだった。自分の近況を伝える文章の中にも、所々に私に対する気遣いが見える。会いたいという言葉の中に、私に対する愛情が見える。……本当に馬鹿だ。そんな惜しみない愛情を注がれて、恨みに思う子などいるはずがないだろうに。

 涙が浮かんだ。手紙に書かれていた私への気遣いが、本当のところ、今私がもっとも欲しい物だった。

 シタールの馬鹿。むかつく。それは本当。
 レイシアが、嫉妬より先に何より心配。それも本当。
 困ったシタールを見るに耐えかねたのも、レイシアの肩を叩いてシタールのことをお願いしたのも、全部私が望んでしたこと。


 それでも、と思う。手紙にぼたぼたと落ちる涙を見て、手紙に書かれている優しい言葉を見て、気がついてしまった。……吹っ切れたはずなのに、結構深く傷ついてしまっていたことに。子供じみた感情だと分かっているけれど、女々しい行為だという自覚はあるけれど、それでも、自分は慰めと癒しを求めていたことに。
 ……そこで素直に他人にそれを求められない自分が、なんだか一番馬鹿みたいだと思った。



 涙を袖で強く擦る。手紙を丁寧に畳んで、背嚢に大切にしまい込む。
 この家を出てからの目的地は、定まった。
 
旅立ちの朝
ライカ [ 2005/05/11 21:50:42 ]
  この家での生活を始めてから、格段に増えた本。
 思いきってお気に入りの数冊以外を全部売り払ってみたら、かなりの額になった。
 良い持ち主の手に渡ればいいと思う。



 ――で、荷物の整理も終わったので、いよいよ本格的に家を出ることにしたんだけど……。

 なんかシタールがもの言いたげに見てる。何か言いたいならはっきり言えばいいのに、きっと「俺に言う資格はないんじゃないか」とか思ってるんだわ。馬鹿よ馬鹿。

 確かに恋人同士としては終わってるけどね、それでも長年やってきた穴熊の同志として声くらいかけたって誰も踏みゃしないわ。シタールは声をかけずに満足なのかもしれないけれど、私にはいろいろと言いたいことがあったんだからね。

 旅支度を終えたのは夜更け。さて文句を言うかと思って部屋に踏み込んだら、シタールはいい顔して寝てるし。もうね、馬鹿かと阿呆かと。
 胸ぐら掴んで怒鳴り起こそうとして考え直した。なんか、それも馬鹿らしい。と言って、起きるまで待つ気にもなれなかった。引き留められることは絶対にないと思っているけれど、別れがたくなるのは目に見えている。


 ――別れを切り出したのは自分だ。これからシタールがどの女といい仲になろうが関係ない。……そう、たとえレイシアとだとしても。一緒になるならなればいい。ただ、それはシタールが、レイシアを一番の女としてみられれば、の話だ。一番じゃないのが分かっていて、それでもこの馬鹿の女になるなんて真似は、正直言って私ひとりで充分だと思うから。


 シタールを起こして別れの挨拶をする代わりに、一通の手紙をしたためる。自分の行き先を書いて、今までの冒険で世話になった礼を書く。“杖”としての自分が、“剣”としてのシタールをどれほど信頼していたか。シタールのおかげで自分がどれだけ変わることが出来たのか。書いても書いても尽くせないほどの感謝。面と向かえば照れくささで肘鉄のひとつでも出てしまうだろう。うっかり未練が出てしまうのも、文章にすれば防ぐことが出来る。そして最後に……レイシアを意味なく泣かせたら死んでも許さない、と書く。

 ――自分の思いは書かない。それは私が結論を出したこと。私が未練を引きずるのは勝手だけれど、シタールにそれを押しつけることは許さない。そして……私には未練を引きずっている余裕も暇もありはしない。

 書き上げた手紙に封をして、……少し悪戯心が沸いて、楽器が痛まないように苦心しながらシタールの楽器入れの中に隠す。いつか気がつくだろう。愛用の楽器を良いようにいじられているかもしれないというのに、シタールの馬鹿は目覚める気配もない。意味もなく笑えてきて、……少しだけ泣けてきた。





 まだ外が暗いけれど、荷物を背負って家を出る。もしも起きていたら、ラスとカレンと……レイシアくらいには声をかけていこう。多分誰も起きていないだろうけれど。でも、多分二度と戻ってくることもないから、みんな宛に一筆ずつ書いてはある。これをみんなの家に投げ込んで回って、それが終わる頃には夜も明けるだろう。
 長い人生をもし平穏に終えることが出来たら、この思い出も笑い話に出来るだろうか。……辛くない訳じゃない。でも私の前には進むべき道がある。今度こそ私ひとりの足で歩いていく、私の生き方がある。後悔はあの世でしたって遅くない。





 だから、いってきます。シタール、元気でね。
 
手紙の行く先
ライカ [ 2005/11/22 7:34:32 ]
 <新王国暦517年 8月>

「タラントはいいわね。御飯が美味しいし」
「……それはタラントを褒めているのか、作った私を褒めているのか?」
「どっちも」
「あ〜! こらロッテ、何してる! そのソーセージはあたしのだろうが!」
「いや〜ん、ビスケ怖い。ダメですわ、このソーセージちゃんはずーっとわたくしが狙ってたんですわ〜!」
「二人とも、まだまだあるからフォークで鍔迫り合いをするのは辞めろ」
 戦場になりかけた食卓に追加の腸詰めを並べながら、銀髪のエルフがちびっ子ギャング二人を窘める。それを横目で見ながら、香りの良いハーブティを一口含む。
 銀髪のエルフは、私の父。そして、二匹のちびっ子は、エレミアから私の旅に同行ししてくれた、エレミア時代の仲間達。ビスケとロッテ。


 ビスケはおさまりの悪い黒髪に、翡翠色の瞳のグラスランナー。吟遊詩人だと本人は言っていたけれど、ロッテに言わせればただの楽器好きの歌好きらしい。
 ロッテはふわふわでくるくるした金髪に、紫水晶の瞳の、砂糖菓子のようなグラスランナー。 口調は優雅だし立ち居振る舞いも綺麗だけど、本業は弓であり、そして鍵でもある。
 この二人はいつもつるんでいた。そうして、傷ついてぼろぼろだったわたしに、ついてきてくれた。二人の度を過ぎた賑やかさは、傷ついたことを忘れてしまえるほどだった。


 タラントにたどり着いたのが8月も半ば。タラントについた翌日には旅の目的も果たせた。つまりはわたしの父親であるエルフとの対面。あんまり「感動の対面」にはならなかった(思わず父の首を締め上げて落としそうになったのは秘密だけど)けれど、この銀髪のエルフは私を歓迎してくれた。
 カノーティス。それが、彼の名前。そしてその名前は昔、ラスに聞いたことのある名前。


 到着して三日もたてば、荷物もほどき終わって(元々私が背負える荷しかなかったけれど)、生活もだいぶ、落ち着く。ラスやクレフェには「落ち着いたら手紙を出す」と約束していたので、手紙をしたためる。
 宛先にシタールの名を書きかけて、苦笑して辞める。彼はもう新しい生活を始めているはず。新しい世界の人間だ。恐らく彼の道と私の道が交わることは二度とないだろう。ちょっと考えて、私は手紙の宛先をラスにする。無事タラントにたどり着いたこと、目的を果たせたことを書き、父親であるカノーティスのことを書こうか、ちょっと悩む。辞めとこう、と思ったときに、父がひょいと顔を覗かせて、言った。
「手紙か。オランまでの?」
「そうよ。昔の仲間に。話したじゃない。ラスとクレフェよ」
「……全く、何故そんなにたくさん書くんだ。オランまでの送料だって馬鹿にならないというのに」
「いいじゃない。別にお金に困ってる訳じゃないし。それとも私がラスに手紙を出すのは嫌なの?」
「別にそう言う訳じゃない。……書き上がったら貸しなさい、私が頼んできてあげよう」
 ……父は厳しい。口は厳しいけれど、でも実は結構、優しかったりする。私の行動に文句はつけるけれど、気がついたら父は私の望むとおりに動いてくれている。しかも黙って。


 次の日、ちびっ子ギャング二人は「タラントにも結構長くいたし、そろそろ別の所に行く」と言い残して、陽気に出ていった。……5日は長いのだろうか。
「そう言えば、手紙は誰に託したの?」
「あの二人。……きけば自由人の街道を通ってブラードあたりまで出かけると言うから、ついでにと思って頼んで置いた」
「何よ、それだったら私でも出来たじゃない」
「……他に頼みたいこともあったのでね」


 ……あの二人が、私の手紙とは別に、父の手紙も携えてオランに行ったのだと知ったのは、それからもう少し、後のこと。
 
おてがみを あなたへ
ライカ [ 2005/11/24 1:24:48 ]
  <新王国暦517年 9月>
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<> 「さぁ親父殿。そろそろ観念して話してもらいましょうか」
<> 「……くっ。いくら娘にでもそれは言えないな」
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<>  良く晴れた日の朝。
<>  食卓を挟んで、私は父と睨み合っていた。
<>  理由は、同時にフォークを刺した朝採りのトマトの権利……ではなくて。
<>
<> 「とぼけてもお見通しよ。よりにもよって父さんがラスに手紙を出すなんてね」
<> 「悪いか」
<> 「悪いから怒ってるんでしょうが! 何のために私が父さんのこと書くのに苦労したと思ってるのよ!」
<> 「苦労してくれなんて頼んでないぞ」
<> 「いちいち言い訳しないでキリキリ吐きなさい!」
<>
<>  私は知っている。父……カノーティスがラスに何をしたのかを。ラスが薬を飲めなくなってしまった理由を。
<>  そんな関係だから、私は父が「その」カノーティスだと知ったとき、ちっと驚いた。世界は狭いと。
<>  ………父はかつてラスを薬の調合ミスで死なせかけた。限りなく故意に近い過失で。
<>
<> 「お前には関係ない」
<> 「あるわよ。ラスは私の友達であんたは私の父親でしょうが」
<>  しばらく、にらみ合いが続く。フォークに刺されまくったトマトは無惨に穴だらけになって脇に転がった。
<>  やがて父はふう、と息をついた。そして皿を片づけながら立ち上がる。
<> 「だとしても、お前に教える気などない。……ああ、手紙の下書きも処分して置かないとな。まだ文机の上に置きっぱなしだったと思うから」
<>
<>  …………素直じゃない奴。
<>
<>
<>  早速文机の上に無造作に広げられた何枚かの紙を手に取る。真っ黒に近い状態になっているそれは、何度も書き直し、推敲し、やり直した後がありありと見て取れた。
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<>  清書に近い一枚には、こう書かれていた。
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<>
<>
<> 「ラストールドへ。
<>  ……いや、ラスへ、と書いた方がいいだろうか。
<>  もう思い出すのも嫌な奴だとお前は思っているだろうが、伝えたいことがある。ライカナーザ……ライカとお前が冒険者仲間であるという幸運を感謝して、綴る。
<>
<>  伝えたいこととは、他でもないあの時のことだ。
<>  正直な話、あの当時は、お前に対する謝罪はうわべだけのものだった。自分のしたことは間違いではなかったと思っていた。お前がああなってしまったことも、調合のせいにした。実際故意ではなかったが、限りなく故意に近いことだった。
<>  お前には、謝罪してもしきれない。わたしがしたことは薬草師としても人としても、エルフとしても許されないことだ。お前の人生に深い傷を残し、お前の父に無用の悲しみを与え、故意ではないことに満足して謝罪と贖罪を怠った。それはすべて私の咎だ。私はこの命が枯れ果てるまで、お前にした仕打ちを忘れないだろう。
<>
<>  許せとは言わない。許す必要もない。私の謝罪を知ったところで、これからのお前の生きる道がどうなるわけでもないだろう。
<>  だが、謝ることだけは許してほしい。
<>
<>
<>  最後に。私の娘を守り、導き、一時期でも仲間として共に歩いてくれたことを感謝する。
<>
<>
<>
カノーティス」
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<>
<>
<>
<>
<>  ………。
<>  羊皮紙をかき集めて、竈に持っていく。それを竈に放り込んで、薬缶をかけた。
<> 「………ばっかじゃないの」
<>  ため息混じりに呟いた言葉は、湯の沸く音で、かき消えた。
 
微妙な決意
ライカ [ 2006/05/19 23:34:26 ]
 <新王国暦518年 4月>


「えーとね。お父さん。すごーく言いにくいんだけど言ってもいいかしら」
「別にお前が喋ることを止める理由はないな」
「では遠慮無く。……何なのよこの手紙は」
 春野菜が並ぶ朝食の席。淡い色の春らしい野菜の付け合わせのように、わたしは一通の手紙をテーブルに置いた。
「これが届いたのは三日前よね? お父さん宛だからちゃんと読むようにってわたし言ったわよね?」
「知らないな」
「もうボケてんじゃないわよ。あんたがボケるにはあと600年以上かかるでしょうが。……そんなにラスからの返信が怖いなら手紙なんか書くんじゃないっての!」


 去年の8の月の終わりに出した手紙の返事が届いたのは三日前。ラスらしい流れのよい文章で向こうの息災ぶりを伝える手紙と。
 そしてもう一通、親父がこっそりつけ加えて出した手紙に対する返事。


 だけどこの返事は、三日経った今朝に至っても封が切られていない。


「読まなくてもわかるさ。彼がわたしを許す理由など無いよ」
「そりゃあんな手紙貰ってはいそうですかって許すほどラスは馬鹿でもお人好しでも人間が出来てもないわよ」
「……そこまで言うか?」
「言いますとも。でも、ラスの正確が百歩譲って温厚篤実な好青年でも、あの謝罪の手紙はダメ。落第点」

 許してくれなくてもいいから謝らせろなんて言うのは、謝ってることにはならない。だいたい、謝るって言うことの意味解ってるのかしら。

「じゃあ、どうすればよかったんだ」
 フォークを置いて父が呟く。……あんたね、それを自分で考えなくてどうするのよ。
「幸い、考える時間はそれこそ腐るほどあるんだから、まずは現実逃避しないでしっかり目の前の事実を見つめることからはじめたら?」


 わたしの言葉に、父は食事の手を止めてなにやら考えはじめた。わたしはため息をついて、食事を再開した。食事を終えると、父は手紙を手に自室へと引っ込んだ。




 翌日。
「ちょっとお父さん、何よその格好」
「見て解るだろう。旅装束だ。ちょっとオランまで言ってくるから留守番よろしく」
「はぁ。……って、待ちなさいこのアホ親父。そんな近所の茶店行くような気軽さでそう言う大変なことぽろっと言わないでよね!」
「気軽なものか。わたしは決めたんだ。わたしの謝罪の仕方が間違っていたのなら、直接出向いて言葉と態度で謝罪を示す」
「顔見た瞬間、戦乙女に連れて行かれると思うわよ」
 っていうか吹っ切れたっていうよりなんかネジが飛んだように思えるんですけどその突拍子のなさ。
「だいたい、お客さんとかどうすんのよ。わたしはお父さんほど薬草に詳しくないんだからね。お店任されたって無理なんだからね」
「何、朝のうちに常連のお客には事情を話してあるから大丈夫」
 こりゃダメだ。行く気満々だ。逝く気満々って気もするけど、とりあえずほってはおけない。……どうしてこうわたしのまわりの野郎共は面倒なのが多いんだろう。
「あーもー、わかったわよこのアホ親父! でもいいこと、一刻待ってて。いいわね待ってるのよ!」


 言い捨てて部屋に駆け戻り、寝台の下に収納しておいた背嚢を引っ張り出して、必要な荷物を詰めていく。

 ………たどり着く頃、オランはもう夏だろうか。
 
枯れ木、到着。
ライカ [ 2006/08/01 22:48:22 ]
 <新王国暦518年 7月末日>


 タラントを出たのは、春も麗らかな4月だった。
 あれからゆうに三ヶ月以上が過ぎて、ようやく煙る街道の向こうにオランの市街が見え始めた。
「お父さん、ほらオランよ。何年ぶり?」
「そうだな、オランの街はお前の母と来て以来だから……もう25年ほど前になるな」
「そう。それで、そろそろ歩けそう?」
「無理を言うな。こんな炎天下で歩いたら干からびて灰になってしまう」
「勝手になってればいいわこの枯れ木駄目親父」

 エレミアを出たあたりで、わたしたちは歩いてオランに行くことを断念した。正確には親父が。
 夏の暑さにやられてしまった父を掘ってもおけずに、オランまで行くという隊商に話をして、父を荷台に乗せてもらった。手荷物料金で。
 わたしはその隊商に護衛として雇ってもらうことで、父の運賃を謝礼代わりにしている。
 ………この駄目親父、本当に捨てていこうかしらとも思ったけれど、一人だとオランに帰る理由がない。つまりはここまで来た行程が無駄になってしまう。
 大祭目当ての隊商がいてくれたことは僥倖だったと言えるかも知れない。でなければ、わたし達がオランに着くのはもうひと月遅くなっていただろう。

「この調子だと余裕を持ってオランにたどり着けるな。お嬢さんたちはやっぱり大祭が目当てかい?」
「それもあるけど、知人に会うのがそもそもの目的よ」
「親父さん連れてかい? ひょっとして結婚を約束した男とか?」
「男は男だけど、全然別よ。親友として付き合うにはあれ以上はないくらいだけど、結婚相手なんかにしたら三日と持たないわ」
「ほう。そりゃ、難儀な男だねぇ」
「……持たないのは相手の方だと思うけどね」
 そんな話を、隊商の人たちとしながら、形ばかりの護衛の旅は二十日あまりであっけなく終わった。


 オランに着いて別れ際、父を降ろした商人がなにやら陽気に笑って父の肩を叩いていた。父も照れくさそうに、でもちゃんと別れ際に挨拶をしていた。
「何話してたの?」
「礼を言われただけさ。水の違いで腹を下していたから少し薬を処方してやっただけなのにな」
「ふぅん、ちゃんとやることやってたんじゃない」
「……あんな風に笑顔で礼を言われると、たまらんよ。……オランが近づくとなおさらに」
 ぽつりと呟いた父のエルフ語は、わたしの耳に届いていたけれど、わたしは敢えて知らんぷりをした。
「さ、宿を探すわよ。……とりあえず数日休んで体調を万全にしないとね」


 そう。これまでの旅はほんの序幕。本番にして修羅場はこれからなんだから。
 
枯れ木の思案
カノーティス [ 2006/08/16 1:28:47 ]
 <南雲の端亭・自室>


「お父さん、今日は行かないの?」
 声をかけられて、初めて自分が眠っていたことに気がついた。体を起こすと、外がずいぶん明るい。……寝過ごしたのは何十年ぶりだろう。
「……すまん、寝ていた」
「いやそんなの見たらわかるから。……少し疲れてるんじゃない? タラントと違って、オランの暑さは尋常じゃないから」
 今日は諦めて一日寝ておくのね、と言いながら、ライカが弓の手入れをしている。どこかに行くのか、と聞いたら、あきれ顔で返事が返ってきた。
「どこにも行かないから手入れしてるのよ。…でも、明日から少し出かける予定ではいるわ。どうせここにいても、お父さんは帰ってこないし一日暇なんですもの」
 大祭も終わったしね、と気のない声でいいながら、弦の張り具合を確かめているライカを横目に、私はもう一度横になった。


 ラストールド……ラスとは、あれから一度も会えていない。
 向こうが逃げ回っているのもあるが……多分私も、会えないことが解っていて敢えて日参しているのだろう。いないことに安堵している自分が確かに存在することに、少し苛立つ。
 会って話さなければ、と思うが……正直な話、私も彼に会うのが怖いのだろう。

 ラスの友人だというカレンに怒られ、ラスの弟子であるというファントーに呆れられ。
「お前は本当に謝る気があるのか」と言われた。

 謝るつもりは、勿論ある。
 だが、他に目的がないと言えば………嘘になる。


 長い行程の途中、ライカにも何度も聞かれた。本当の目的は何だ、と。
 それを話してしまうことは、私にはどうしても出来ない。
 娘にも話せないことなのかと怒られたが、娘だからこそ話せないこともある。


「寝たの? ……まったく、困った男共だこと」

 ライカの独り言じみた声を背に、私はもう一度目を閉じた。
 ……案外ライカには気がつかれているかもしれない。

 一度、ラス以外の…ラスに親しいものと、話をしてみるべきだろうか。
 目が覚めたら、カレンとファントーに会いに行ってみようか、等と考えているうちに、気がついたら眠っていた。
 
幕間
ライカ [ 2006/08/26 7:30:21 ]
 <南雲の端亭 自室>

 暴れ熊退治の依頼を無事に果たして宿に帰ると、何か吹っ切れたような父さんが椅子に座ってぼんやりと街を見ていた。

「会ったのね?」
「ああ」
「…話したのね?」
「……ああ」

 それ以上は何も聞かずに、私は弓の手入れと道具の整理に戻った。



 その日、父さんと交わした言葉はそれだけだった。だけど、それだけで充分だった。
 
なりきれない傍観者
ライカ [ 2006/09/05 0:28:27 ]
 <南雲の端亭・自室>


 ばさばさ、という羽ばたきの音に、我に返って窓を開ける。用事を済ませたリムネー(使い魔。梟)を招き入れて、溜息をついて窓を閉めた。


 ラスとカレンに呼び出されて、一人で宿からほど近い河原に向かった馬鹿親父。
 …呼び出す理由に見当はついていたけれど、止める理由も思い浮かばなくて、何も言わずに送り出した。抗魔の指輪だけ持たせて、リムネーにあともつけさせて。

 これで全てが決着したとは思ってない。でも、一つの区切りにはなったんだろうと思う。
 ラスにとっても、父にとっても。
 当事者同士が出し合った結論に、部外者が口を差し挟む余裕などありはしない。
 だからこそ、見ているだけで、とりあえず何もしなかった。
 ……もしそうじゃなければ、この宿の屋根の上から弓でラス撃ってる。

「ほんと、馬鹿ばっかり」

 ……ラスの言い分も、わたしには分かる。カレンの怒りも、正当かもしれない。
 だから父がその罰を受けるのは当然だと思っていた。
 その心に負った傷も、ラスとカレンからの報復も。全てが父の罪だから仕方がないと。


 でも。


「本気で心配したわたしが、いちばん馬鹿みたいじゃない」
 リムネーに当たっても仕方がないけれど、つい口から憎まれ口が飛び出す。リムネーは分かり切ったこと、と言いたげに首を傾げた。
「なんなのよもう。心配したわたしが馬鹿みたい。ここまでわざわざついてきたのも、みんなひっくるめて馬鹿みたい」

 なんか、もう、敢えて言葉にしなくても、全て解ってるみたいなその態度が、何より気に入らない。全員。
 わざわざこうして考えを纏めなきゃ行けない自分がどうしようもなく部外者で、それにもまたむかつく。

 ……けれど、これで父の気が少しでも晴れれば……背負った荷物が一つ減るなら、それでもいいと思った。
 ラスの荷物は、私は知らない。それを支える手は、彼の周りにたくさんある。
 だけど父の荷物を支えられるのは、私だけだ。そして、少なくとも確実に、私は父より先にいなくなる。

 許しは得られなかった。背負った荷物の重みは、たいして変わらなかった。
 だけどラスと親父はそれを選んだ。親父の旅の当初の目的は果たされた。すなわちこの件の、二人の間での決着。

 それからできたなら、もういいや。
 考えるのもめんどくさくなって、私は思考を丸投げした。




 ドアがノックされた。きっと、一拍置いて、疲れ切った顔の親父が姿を見せるはず。
 私は握りしめた拳をといて、気のないふりして外を見た。

「……ただいま」
「お帰りなさい。…終わったのね?」
「………ああ。そうだ、あの二人から伝言が……」
「行かないわよ。行ったら、殴りつけそうだから」

 ………空はもうずいぶん、高くなっていた。そろそろ、帰り支度をはじめなければ。