| 続々・日常 |
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| ラス [ 2006/10/18 3:10:24 ] |
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| | (PL注:前々スレ#{194}/前スレ#{243}が長くなったので続き) |
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| 困惑 |
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| ラス [ 2006/10/18 3:11:46 ] |
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| | 風呂場でセシーリカに殴られた後、今まで付き合っていた女たちに別れを切り出した。 そもそもが、俺が女を選ぶ基準が「別れやすいか否か」という単純明快なものだったので、さほどの悶着も起こらない。
「あらそう、ちょうどよかったわ。あたしも別の男が出来たとこだったの」 「なぁに、本命が出来たっての? らしくないじゃない」 「えー。寂しくなるなー。でもまぁ、どうせ私は『一番』じゃなかったしね?」
そんな、幾つかの返事を聞くと、どれもみんないい女だったなと思う。 そしてふと、妖魔通りを通りかかる。 アーヴディアにもそれを告げるべきだろうか、と考えた。 時折、彼女の書斎に泊まりに行っていたことは事実だし、そんな時は、長椅子ではなくて彼女の寝台に泊まった。 だからそういう関係だったことは確かなんだけれど、それは「付き合っている」というのとは少し違うように思えた。
おそらく、俺にとってもアーヴディアにとっても、それは互いの存在を感じることの手段の1つに過ぎなかったんだろう。 同じ寝台に体を横たえても、本当にただ眠るだけだったこともあるし、眠りもせずに夜通し、ゆったりとした会話を続けただけという晩もあった。 肌を合わせることと、ワインを飲みながら俺がアーヴディアの髪を編んで、余計なことをするなと怒られることとは、俺たちにとって同列のことだったように思う。
それには、明確な別れの言葉はひどく不似合いだ。 けれど、セシーリカとのことでアーヴディアに泣きついたこともあるし、結果の報告くらいはしたい。 ……ああ、そうだ。 セシーリカが仕事から帰ってきたら、2人でアーヴディアの書斎を訪ねよう。 そうすればアーヴディアはそのことを了解するだろうし、多分、喜んでくれるはずだ。
そう思いながら、最後の女のところへと足を向けた。 その女を最後にまわしたのには意味がある。 その女、エリザが少しだけ厄介そうな予感があったからだ。
遊びだったはずだ。俺にとっても彼女にとっても。 彼女もそう公言していたし、どうあっても彼女が俺にとっての一番になれないことは、俺も最初から彼女に告げていた。 彼女は、そのほうが気楽だと言って笑った。
なのに、最近は執着する気配が多く見られた。 エリザの部屋に泊まっても、夜明け前に帰るのがいつもの習慣だったはずなのに、いつの頃からか、そのことに対して文句を言うようになっていた。 何故朝まで居ないのかと拗ねる。 何故自分の贈った服を着ないのかと怒る。
それらは不思議な成長をする。それが成長と呼べるものなのかどうかわからないけれど。
──自分が愛しているんだから、俺もエリザを愛していなくちゃいけない。いや、愛してるに決まってる。 ──愛し合っている者同士なんだから、自分が何を言っても俺は受け容れるはずだ。 ──けれど、愛しているはずなんだから、俺がエリザを傷つけるようなことを言うはずはない。
それは幼い論理で、けれど押しつけにすぎなくて。 そもそも、俺のほうから愛しているなんて言った憶えはない。 なのに、自分からは、愛を盾にさえすれば何をしてもいいという論理で、そして俺からの言葉は全て彼女の論理によって彼女の頭の中で翻訳される。
正直、気が重かった。もっと早くに別れを告げていればよかったと思う。 けれど、気付いた時には彼女のほうがのめり込んでいた。 なるべく会う回数を減らしてはいたけれど、そうなると、会った時の重みが一層増した。 そのバランスをどう調整するかで悩んでいたところだけれど、今の情況を考えれば、ここできちんと別れるのがけじめだろうと思った。 だから来たんだけど……。
俺は目の前のエリザを見て、困惑していた。 見た目は充分に綺麗な女だと思う。確かまだ20代前半だったはずだ。 俺とは少し色合いの違う金髪には、ゆるやかな癖があって、背中に波打っている。 まっすぐに俺を見据える瞳は琥珀色よりもやや濃いブラウンの瞳。
でも…………肉切り包丁を持ち出すのは反則だと思う。
……どうしよう。 |
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| 月夜 |
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| ラス [ 2006/10/20 0:57:03 ] |
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| | 「で、結局どうしたの?」 隣に座ったベルギットにそう聞かれたのは、稲穂の実り亭だ。 つまんなさそうな顔してるわね、と声をかけられて、エリザの件を話したらそう聞かれた。 面白がるような瞳をして、カウンターに頬杖をつく。
どうしたもこうしたもない。 包丁を持とうが、鉈を持とうが、相手は素人の女だ。しかも冷静さの欠片もない女。 刃物を取り上げるのも、腕を掴むのも簡単だった。 大泣きはされたものの、その行為自体が、結局俺との距離を徹底的にしかも自分から遠ざけたんだと気付いたらしい。 あえて慰めはせずに、エリザの部屋は出てきた。
「あら、意外ね」と言ったあと、ベルギットは小首を傾げて言い直した。 意外でもないのかしら、と。
何が意外で何が意外じゃないのかと聞いてみる。 ベルギットが言うにはこうだ。 過去に女に刺されたことがあるだろう、と。
……まぁ。そりゃそうだ。ある。2回半くらい。 刺されたまではいかなくても、魔道書や燭台を投げつけられたり、食事用のナイフやフォークを振り回されたりで多少の怪我をしたこともある。 それだって確かに今回と同じで、相手のほとんどは素人だった。
「わざとなんじゃないの?」 そう聞いてくるベルギットはやっぱり面白がるような瞳で。
わざと、とは言いきれない。ただ、そんな風になりふり構わない感情の発露にいつも気を取られていたんだと思う。 確かに、そんな執着は見苦しいと思うし、肉体的に傷をつけたからどうだというわけでもないだろうに、なんてことも思う。 けれど……それで相手の気が済むなら、そんなことくらいたいしたことじゃないかもしれないとも思ってしまう。
でも、今回は違った。 自分に何かあればセシーリカが悲しむ……いや、怒るだろうと思った。しかもそれの原因が、前の女とのいざこざだなんて知ったらセシーリカを傷つけると思った。 それは嫌だな、と思った次の瞬間には冷静になってた。 今ここで怪我したら、冬ごもり前にどっか潜ろうかななんて考えてたのも無駄になるからな、なんて。 こっちが冷静になりさえすれば、魔法を使うまでもなく取り押さえることは出来る。実際、出来た。
「ふぅん、本命がいるってすごいのね」 からかうようにベルギットが笑う。
──まぁ、それはいい。いいから、とりあえず仕事を頼みたい。
「なぁに。彼女……エリザだったっけ。片付ける?」
そんなに物騒な話じゃない。 ただ、ひょっとしたら、俺じゃなくてセシーリカのほうに怒りの矛先が向くかもしれないし、何か思い詰めることもあるかもしれない。 だから、1ヶ月くらいはちょっと動向を窺っていて欲しい、と依頼した。
高くつくわよ、と笑って、ベルギットは手元の杯を飲み干した。
稲穂の実り亭を出ると、もう夜だった。 ひょっとしたら怒りの矛先が、と……その当の相手は今、仕事でオランを離れてる。 近郊の村までの往復だと言っていたから、そろそろ帰ってくるはずだ。
そんな執着は見苦しいと思いながら、それでも自分のほうこそ執着してる。 守りたいと思うし、傷つけたくないと思う。 けれど、同じ冒険者である以上、互いに別々の仕事を請けることだってある。 それにそもそも自分のほうが、危険な仕事を幾つも請けている。仕事じゃなくたって、今回のようなこともある。相手が女に限らない。ひとから恨みを買ったことは何度もある。 けれど、そんな自分を棚に上げて、それでも守りたいと思ってしまう。
気に入りの人形のように硝子の箱にしまい込むような真似も、愛玩動物のように鎖で繋ぎ止めるような真似もしたくない。 わかっていたはずなのに、以前カイの時にはそれで失敗したようなものだ。 カイが頼ってくるから、それが心地よくて。頼られることそのものに、自分がすがっていた。硝子の箱から出ようとするカイをどうにもできなかった。あの時のは、結局そういうことだったんだと思う。
正直、今もそれは怖い。また硝子の箱を拵えてしまいそうな自分が。 けれど……。
…………ああ。そうか。
ふと気が付いた。 もともとセシーリカはおとなしく箱になんか入るような女じゃない。 それを承知で……いや、そう思ったからこそ選んだんだ。
だから……うん。きっと大丈夫だ。
そう思いながら見上げた月は、やけに綺麗だった。 無性に、セシーリカの顔が見たくなった。けれど、あいつは仕事で出かけてる。
……早く帰ってこねぇかな。 |
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| 心配と安心 |
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| ラス [ 2006/10/21 19:10:50 ] |
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| | 仕事を終えて家に戻ったのは、真夜中過ぎ。 というよりも、もう少しすれば東の空が白みはじめるかもしれないという時刻。時雨は既に止んでいた。 家で俺の帰りを待っていたのは、何故かリデル。 「……出直すのも面倒だったので、待っていました」 そう言って、事の次第(#{380})を教えてくれた。 「刻限も刻限ですけど……うちに来ますか?」 小首を傾げながらそう問うリデルに、もちろんと頷いて、一緒にセシーリカのもとに向かう。
「骨のひび以外の怪我は、アルエ村の神官さんが癒してくれましたし、心配はありません。センカが早く帰りたいというので荷馬車で運んでもらって……その移動のせいか、熱を出しましたが、それももう下がりました。センカがラスさんのことを気に掛けていたようなので連絡しましたが……」 セシーリカの部屋があるのは2階。そこに向かう階段の下で、リデルはそう説明した。 階段を何段か上がっていたため、俺のほうがリデルより高い位置にいる。その俺の顔を下から見上げて、リデルが一瞬黙り込んだ。 「…………いえ。じゃ、僕は自分の寝室で少し休みますので、何かあったら起こしてください」 リデルはそう言って、燭台を持たせてくれた。
セシーリカの部屋の扉を見つめて、一瞬気配を探る。 部屋の中にいる人物が眠っているのを確認して、音を立てないようにそっと扉を開けた。 燭台の投げかける淡い光の中で、眠っているセシーリカの顔が見えた。
…………まったく。
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セシーリカのベッドの脇の床に腰を下ろして、そしていつのまにか眠っていたらしい。
「あれ?」
というセシーリカの声で目が覚めた。
「ああ……起きたか。ってか、逆か。おまえのほうが先に目が覚めたんだもんな」 「え、あ……ラスさん、どうしてここに?」 「リデルが昨夜うちに来た」
立ち上がって、窓の鎧戸を開ける。朝の光が部屋に差し込んだ。 書き物机の前にあった椅子をベッドの脇に運んで、そこに腰を下ろす。 ベッドの上に上半身を起こして、毛布を胸元に引き上げたまま、首を傾げているセシーリカを見つめる。 多分俺は不機嫌な顔だっただろう。
「……セシーリカ、おまえな。いったい何を……」
何をやってるんだ、と言いかけて、その先が続かなかった。 何を、というのなら、リデルに全て聞いている。仕事に行った先で怪我をして、帰ってきて今は寝ている、それだけのことだ。 ……もやもやする。 違う、そんなことを聞きたいんじゃなくて。
「ラスさん、あの……ごめんね?」 「なんでおまえが謝る。だいたいなんだってそんな……」
危ない真似をするんだ、と言いかけて、やっぱり続かなかった。 別に危ない仕事を請けていたわけじゃない。出会い頭の事故のようなものだ。 確かに、ダークエルフを目の前にして何も出来ずに背中を向けたという事実は、油断だろう。闇の軍勢たるダークエルフに対して、光の神々の使徒である神官が、要らぬ情けをかけようとした。その油断も要らぬ情けも、責める奴は責めるかもしれない。 でも俺が責める必要はない。 セシーリカ自身それは身に染みただろうし、それで自分の考え方を変えるか、それともやっぱり変えられないか、それはセシーリカ自身が決めることだ。 ……いや、そうじゃない。そもそもそんなことで責めたいんじゃなくて。
「こんな、無駄に怪我しちゃってさ。心配かけたし……だから、ごめん」 「いや、だからそれは……」
それは。 ……俺は何を言おうとしたんだろう。 心配ならした。これでもかってほど。リデルは最初に、大丈夫だからと言ってくれたのに、それでも事の次第を聞いている間、ひいた血の気は戻らなかった。実際に顔を見るまで安心出来なかった。明け方、燭台の光の中で寝顔を確認したけれど、かといってそれで安心して帰る気にもならなかった。 いや、そうだ。そういえばリデルは、「オランに帰着したの自体は5日ほど前です」と言っていた。なんですぐに知らせてくれなかったんだ。
「あと、連絡も遅れてごめん。熱あったし、弱ってるとこ見せたら余計に心配させちゃうかなと思って。それに兄さんもわたしの看病と、お嫁さんのところに事情説明に行ったりで忙しくて」 「……ああ。いや、うん、それは」
聞こうと思っていたことを先に言われて、謝られて、そしてまた結局その先が続かなくなって。 とりあえず目を逸らして、窓の外を見てみたりする。 雀が一羽、窓から見える屋根の上にとまって、そしてすぐに飛び立っていった。
「とにかく、おまえは……」
怪我はするな、と? 馬鹿な。そりゃ、そんなものはしないに越したことはないけれど、仕事が仕事だ。それに今回のことは事故のようなものでもある。リデルに聞いた事情から考えるに、リデルとセシーリカがどれほど慎重に動いていたとしても結局争いになることは避けられなかっただろうし、そうなれば、どちらにしろ無傷では済まなかっただろう。 自分がついていれば? それも馬鹿げてる。四六時中一緒に行動するわけにもいかない。そもそも、こういう類の危険度で言えばセシーリカより俺のほうがよほど危険な仕事をしている。仕事絡みじゃなくても、つい先日、包丁を突きつけられたばかりだ。
「……ラスさん?」 「……いや、ちょっと待ってくれ。えぇと……」 「怒ってる?」 「……」
怒ってるんだろうか。 何をやってるんだ危ない真似はするな驚かせるんじゃない余計に心配させちゃうかもなんて言ったってどうせ心配するのはするんだからどうせならもっと早く知らせてくれればいいのにそりゃ知らせてもらったって俺には何も出来なかったかもしれないけどでも……。 でも。 なんで言葉が続かない。 口の上手さも俺の売りのひとつだったはずなのに、なんでこんなに口ごもる。 舌先三寸の勝負なら慣れているし、酒の上の会話だって慣れてるし、年下に説教かますことだって、遊びで女を口説くことだって慣れている。……けれど、こんなのは慣れてない。
余計に心配させるから、とセシーリカが言ったのも実はよくわかる。 俺自身、よくやってることだ。多少体調を崩してても誰にも言わないし、ヤバくなってバレても、大丈夫だからを連発する。それでいつもカレンに怒られる。 心配したりされたり。そういうことを口に出すのが苦手だ。ぶっちゃけ、ものすごく苦手だ。 だから結局、今俺がもやもやしてることってのは、たとえ言葉に出来たとしても、カレンあたりが聞けば「オマエが言うな」ってことだろうし、それは俺もわかってるからやっぱり言えなくて。 でもやっぱり、セシーリカを見てると、自分のことは棚に上げて、ぶつぶつ文句を言いたくなって。
……ああ、いや、そうじゃない。 今、一番したいことは。
「セシーリカ。……まだかなり痛むか?」 「え? ううん。もうトイレとかにも自分で行けるし。動くとやっぱりまだ痛いけど、おとなしくしてれば大丈夫」 「じゃあ……悪いがちょっと我慢してくれ」 「へ?」
椅子から立ち上がってベッドの枕元に移動する。 ベッドの端に腰をおろして、セシーリカに腕を伸ばす。 無理な力を入れないように、そっと抱き寄せて、首筋に顔を埋める。 名前を呼ぶと、セシーリカの左手が、俺の服の背中をそっと握りしめたのがわかった。
「……よかった」
──やっと、安心できた。 |
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| 誕生日 |
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| ラス [ 2006/10/31 1:52:05 ] |
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| | 真夜中近くになって家に帰ると、居間ではカレンが遺跡に関する調査資料を読んでいた。 隣に腰を下ろして、卓の上に置いてあった別の資料を手に取ってみる。
「ああ、そっちは……ん?」 「なに? これ、新しいほうの資料だろ? 俺まだ読んでない」 「いや、そうじゃなくて。……資料が新しいのはあってるんだけど」 「だからなに?」 「…………オマエ、ピアス変えた?」
……なんで、こういうことに限ってすぐ気が付くんだ。 前のピアスに少し似ていて、だから周りにはそうそう気が付かれないだろうなと思っていたのに。
昼過ぎに仕事が終わった後、セシーリカの家に寄った。 照れくさそうにしているセシーリカからピアスを渡されて、それで今日が誕生日だったと思い出した。 手渡されたピアスの石は、上質の碧玉で、その石を縁取る銀細工は控えめながらも少し凝った意匠の。
「誕生日おめでとう」
と。 そして、先の仕事に行く前からこのプレゼントは用意していたんだとセシーリカは言った。
もともと誕生日は好きじゃない。 年ばかりとっても、外見は変わらない。 例えばカレンはもともと若く見えるほうだが、それでもカレンは出会った時よりも確実に変わってる。 けれど俺は、その頃からほとんど変わってない。 人間の街に出てきてから後は、年を数える行為は、そのまま周りとの違いを認識する行為でしかなかった。 だから誕生日が近づくと、ほぼ毎年、俺は不機嫌になっていた。 今年だって例外じゃない。
誕生日がわかっているだけいいじゃないか、という奴らもいる。 それはその通りだと思う。 自分の誕生日を知っている、それはある意味幸せなことだろう。 自分がいつ生まれたのか、正確な年齢すら知らない奴だって多いんだから。 けれど、頭ではそう理解していても、感情はそうそううまくついてはいかない。
そんなことくらい、不機嫌になるようなことじゃない。どちらにしろ不機嫌になろうがなるまいが、血の色は変えられない。 なのにどうしても不機嫌になってしまう。そんな自分に苛ついて更に不機嫌になる。
けれど、そうやって俺が不機嫌でいた間、セシーリカはずっと楽しみに待っていたんだと言う。 何故だと聞くと、プレゼントが出来るからだと笑った。
……誕生日は、好きじゃない。 けれど……。
「ああ、そうか……。セシーリカにもらったのか」 「あ? ……なんでわかる?」 「耳の先、赤い」 「…………」 |
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| 反魂の秘薬 |
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| ラス [ 2006/11/27 1:23:42 ] |
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| | 半月ほど前からやっている仕事がある。 盗賊ギルドの仕事として受けたものだが、珍しく「やらされてる」仕事じゃなく、自分から請け負ったものだ。
その理由は夏までさかのぼる。 夏にアーヴディアから受けた仕事があった。 ベロニカの処方箋と言われる、反魂の秘薬の調合を書いたもの。それを持った若い娘たちがアーヴディアの店に顔を出したことが事の始まりだ。 娘たちは、その処方箋に書かれている材料を求めていたらしい。 もともと、ベロニカの処方箋自体は不完全なものとされているし、材料の中には盗賊ギルドで取り締まっている薬草も含まれるから、半ば伝説になっているその処方箋を今更持ち出してくる人間はそう居ない。よほどの情熱を持っている人間以外は。 やんわりと断って追い返した後に、アーヴディアはふとそのことが気になったらしい。つまり、彼女たちの情熱が。 取り締まられているはずの薬草まで、彼女たちは手に入れようとするのじゃないか。そうだとすれば、厄介なことに巻き込まれるかもしれない。 そんな経緯で、俺はアーヴディアから、その娘たちの保護を依頼された。 そしてついでに、もし出来るならその処方箋自体も適当に始末しておいたほうがいいだろう、と。 俺自身もそのつもりだった。そんな厄介なものが出回られちゃ仕事が増える。羊皮紙の1枚や2枚、「うっかり」燃やしてしまえばそれまでだ。
が、それを始末しそこねた。 娘たちが材料を探してまわっている時に接触した人間の1人が、その処方箋を写させてもらっていたらしい。 ただ、もしその処方箋の材料を求めようとすれば、必ずギルドの取り締まりにはひっかかるはずだから、ということでギルド側もそれを黙認した。 それが夏の話だ。
……不完全な処方箋は、その処方通りに作るとただの毒薬になる。 けれど、もしも「間違えば」。 何かの材料、何かのタイミング、何かの量、それらをどこか「間違えれば」、何百万分の一以下という確率で、それは反魂の秘薬になるらしい。薬を飲ませた相手が死んだ後、その亡骸に使者の魂が蘇るという。 つまり、毒薬になろうが反魂薬になろうが、飲ませた相手を殺すことだけは間違いない。 その処方箋は既に写されて、何枚か出回っているだろう。 けれど、反魂の確率は低すぎる。もしも処方箋の通りに調剤しようとすればギルドに目を付けられる。普通の毒薬として使うにもあまりにリスクが高すぎる。 だから処方箋が写されたとしても、実現させようとする奴はいないだろう。 そう思っていた。
が、11の月になってから、反魂の秘薬がどうのとあちこちで噂が立ちはじめた。 噂されている場所によって、その秘薬作りのための材料には違いがあるが、どうやらギルドで取り締まっている薬草を使わないレシピがあるらしい。 どこぞの書庫から発掘されたか、誰かが偶然に発見したか、それとも単なるデマか。 けれどもしそれが、ベロニカの処方箋をアレンジしたものだったら……。 俺の責任とまでは言わない。が、寝覚めが悪いことは確かだ。
盗賊ギルドでは、毒薬を専門に扱う部署もある。だからそういった噂が立てば当然調査する。 噂の検証から始める仕事だから、嫌がる奴も多い。 俺だって普段ならごめんだ。部署が違うし、仕事としても面倒だし、そもそも薬草店をまわる仕事だなんてまっぴらだ。まっぴらだが……それがベロニカの処方箋絡みだったとしたら、てめぇのケツを他人に拭わせるみたいで気持ち悪い。 だから、自分から名乗りを上げて請け負った。
半月調べて、結果が出た。 性質の悪い魔術師崩れが、夏に少しだけ噂になったベロニカの処方箋のことを聞き知って、詐欺まがいのことを働いていたらしい。 高価な薬草や法外な処方料をせしめて、実際には麻薬のようなものを使って客に夢を見させ、ついでに幻覚の魔法で客を信じ込ませるだけの詐欺だ。 主犯がその魔術師崩れで、噂をばらまくのに2人ほど手下がいるだけのちゃちなグループだ。手下はちんぴらだし、魔術師崩れの男もまともに使えるのは幻覚の魔法だけで、その他はからっきしという為体だから、とっ捕まえるのはそう難しいことじゃない。 ただし、その魔術師崩れが、ギルド幹部の息子だというのが問題だ。 これは……あれじゃねえの? 微妙に政治的な関係がどうのとか、めんどくさい事情が絡んでくるんじゃねえの?
……とりあえず上司に報告する。 「なら、ちょうどいいじゃないか」 は?
聞くと、確かに幹部同士の関係上、互いの手駒を相手にけしかけるのは良くない。相手の身内に絡んでいくのも喜ばしくはない。 ただ、もとの所属がよその国のギルドで、しかも兼業盗賊で、なおかつ冒険者稼業をやっているような奴なら話は別だ、と。 つまり、失敗すれば面倒は見ない、ただしその代わり報酬ははずむ、ということらしい。 それってつまり……応援は出さないってことだよな。
いいように使われてんなー、とは思うものの、提示された報酬額はそこそこ魅力的だ。 ついでに、「それを片付けた後、3ヶ月ほど休暇をくれるなら」と申し出てみた。 2ヶ月に値切られた。
……さて。片付けに行くか。 |
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| 解毒剤 |
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| ラス [ 2006/11/30 0:46:58 ] |
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| | ミスに気が付いたのは、背後で風を切る音がしてからだった。 咄嗟に身体は動いた。けれど、躱しきれずに、右肩のあたりに嫌な感触が走る。 刺さった時の感触からして細身のダガーだろう。 刃の冷たい感触と、血が流れる感覚と……傷口から奇妙に熱くて重いものが広がっていく感覚。これは……。 反射的に、肩に刺さったダガーを引き抜く。床にからりと落ちたダガーの刃が、蝋燭の光にてらりと光る。刃に付いているのは俺の血だけじゃないだろう。多分毒だ。ただ、暗殺用のものではないらしい。
目の前には、今片付けたばかりの男が2人倒れている。 入り口で見張りをしていた男はその場で眠らせて路地裏に引きずり込んで、上からゴミをかぶせてきた。奴が起きあがってくるはずはない。 アジトの奥にいた2人もつい先刻片付けた。片方は主犯。若い男だ。名はダニエル。ギルド幹部の息子であり、魔術師崩れの詐欺師でもある。 もう1人は、一人暮らしをしていたダニエルの世話係だったという男。 どちらも闇霊で気絶させたはずだし、他に仲間がいないことは調査済みだった。
「貴様、ダニエル様に何をした」 机の上にあった燭台の光の輪が届く範囲に、声の主がやってきた。世話係だ。右手にナイフを握っている。 じゃあ、さっき気絶させたこっちの男は……? 「それは新入りだよ。ついさっき、俺たちの金儲けの仕組みに気が付いて、仲間にいれろと押しかけてきた男だ」 期せずして得られた答えに、思わず舌打ちが漏れる。……ちくしょう、土壇場になって人数増やすなよ。
ただ、「何をした」という言葉から察するに、どうやら俺が精霊魔法を使ったことには気付いていないようだ。 念のため抜いておいたダガーは右手に握られている。そして俺の右手は、ダニエルが突っ伏している机の上に置かれていた。男にもそれは見えているはずだ。大事な主人を傷つけられるとでも思っているのか、慎重に近づいてくる。 「ダニエル様を放せ。……さっきのダガーには毒を塗っておいた。ダニエル様を放してくれたら解毒剤をやろう。どうせ右手はそろそろ動かないんだろう?」 奴が欲しいのはダニエルだけで、新入りの男には用がないらしい。そして、見張りをしていた男にもさほどの思い入れはなさそうだ。だとしたら確かに、この交渉は有効だったのかもしれない。 ……解毒剤、か。
「ひとつ聞くが……そいつは飲み薬か」 「……? それがどうした」 訝しげな顔で、男は左手を懐にいれた。解毒剤とやらの実物を見せて信用させようとしたのかもしれない。 俺の右手が、持っているダガーを落とさないようにするだけで精一杯なのと、なおかつ左手には何も持っていないのを確認した上でのことだ。 油断していた男は、懐に入れた左手を外に出す前に俺の闇霊をくらって崩れ落ちた。 「……飲み薬じゃ意味がねぇんだよ」
あらかじめ待機させておいた“運び屋”たちに4人の運搬を頼む。 小振りの荷馬車に、やや乱暴に4人の身体を放り込む人足風の男に、ギルドの上司から預かった割り符を渡して、仕事は終了だ。 右肩がやけに熱くて重い。反対に、そこ以外の部分からは血の気がどんどんと引いていく。背中を嫌な汗が伝った。右胸が息苦しい。 「誰か、近くの神殿に……」 近くの神殿に行って、解毒出来そうな神官を1人捕まえてきてくれ、と頼むつもりだった。 最後まで声が出ていたかどうかはわからない。 いつの間にか、地面に膝をついていて、その後に身体ごと担ぎ上げられるような感覚があった。
ぼやけていく意識の中で、ガネード神殿が近かったら、話は早かっただろうなと思った。 この位置からなら、一番近いのはマーファ神殿だ。おおっぴらに交流があるとは言えない先だから、難しいかもしれない。 いや、そもそもマーファ神殿の施療院になんか担ぎ込まれたら、あいつに即バレじゃんよ……。 |
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| 施療院にて。 |
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| ラス [ 2006/12/04 2:56:58 ] |
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| | 記憶が妙に断続的だった。 自分の中では時間は途切れていないように思えるのに、目に見えた景色や耳に届いた言葉は繋がっていない。 瞬きと同時に場面が入れ替わるような、そんな感じだった。 セシーリカの声を聞いたような気もするし、カレンの顔を見たような気もする。 「……治ったら殴ってやるんだから」 それを枕元で呟いていたのは多分セシーリカだ。
「…………」 「…………」 「……ねぇセシーリカ、知ってる?」 「なに?」 「男の人と腕を組む時には、胸を押しつけるのがマナーよ」 「え!? そうなの!?」 「そうよ。だから男の人は、手を繋ぐのは恥ずかしいくせに腕を組むのは恥ずかしくないの」 「えー。そうなんだー。じゃあフレデリカみたいに胸が大きいほうがやっぱり……」
……なんだ、この会話は。 枕元で交わされる会話を聞いて、ふと目を開けると、セシーリカと目が合った。 「あ。起きた」 「今度はちゃんと、本当に目が覚めたみたいね。今朝までは朦朧としてたみたいだけど、今は視線が合うし」 セシーリカの隣にいるのは……あれ? フレデリカ? 「じゃ、あたしはお邪魔のようだし、休憩いってくるねー。あとよろしく、セシーリカ」 ……なんでフレデリカがここに? っていうか、ここ、マーファの施療院だよな? 自信はないけど、記憶が途切れる前に一番近い位置にあったのはマーファ神殿だし、セシーリカがいるし……。 「ラスさん? だいじょぶ? ……何度か目が覚めたっぽい時に説明したけど、憶えてないみたいだから、もう一度説明するね」
俺が運び込まれた晩にたまたま夜勤だったことや、ここが確かにマーファの施療院であること、使い魔のショウを使ってカレンにはすぐ連絡をいれたこと、カレンも何度か様子を見に来ていたことなんかをセシーリカが話してくれた。 「さっきの彼女はフレデリカって言ってね、わたしの同僚。一応、ラスさんの担当はわたしと彼女だから。……どしたの、きょとんとして」 「え。あ。いや。……なんでもない」 フレデリカは、霞通りにある娼館の経営者の娘だ。ギルド直営の店ではないが、場所柄、ギルドとは無関係というわけじゃない。当然、俺もそこの経営者夫婦とは顔見知りだ。そして娘のフレデリカとも。 しかも、3年前にちょっとだけ付き合っていたことがある。 けれどどうやら、さっきのフレデリカの態度や、セシーリカの様子を見る限り、フレデリカはその事実をセシーリカに告げていないらしい。
「なんでもないって……なんか汗かいてるよ? あ、また熱出てきたかな?」 「いや、なんでもない。大丈夫。世話かけたな。……帰る。神殿なんか落ち着かねぇ」 「……自力で帰れるんならいいよ?」 にっこりと告げるセシーリカに、OK、それならと起きあがろうとして……そして起きあがれなかった。 身体の右側、とくに肩から腕、胸のあたりにかけて、重苦しい痺れが残っている。力が入らない。 無理矢理起きあがろうとして、結局、ベッドからずり落ちただけに終わった。 「ほら、危ないってば。だいたい、普通に熱出して寝込んでたって、起きてすぐに動けるわけないだろ。ましてや、まともな食事だってしてないのに」 「……くそ」 それもそうか、と舌打ちした時、ふと背後に大きな気配を感じた。振り向く前に、ひょいっと子供のように抱き上げらて、そのままベッドに戻される。 目の前にいたのは、白い巨漢だった。なんだ、このマッチョなオッサンは。 「くわえて、君の場合は、毒を受けた後に動き回ったんじゃないのかね? 解毒はしたが、毒が回った影響はまだ残っとるはずだ。効く薬もないわけじゃあないが、セシーリカ君が薬は使わないでくれと言うのでね。まぁ、しばらくすればその痺れも……ん? わしの顔に何かついとるか」 白い……と思えたのは、施療院の制服と、その男の銀髪、そして同じ色の髭のせいだった。妙にガタイがでかい。オーガ並の……いや、色合いからすればむしろイェティか。 「……誰だ、あんた」 イェティはヘルムートと名乗った。この施療院の院長をしてる司祭だという。50歳前後だろうと思われるその男は、よく見ると無骨ながらも柔和そうな顔をしている。どうやら、俺の意識がまだ朦朧としている時に一度名乗っていたらしい。 憶えてねぇっつの。
「とりあえず、院長先生から退院許可がおりるまではしばらく入院しててよね。一番、薬の匂いがしない部屋を選んだし、わたしもなるべく顔出すから」 イェティが部屋から出て行った後、俺の毛布を直しながらセシーリカが息をつく。 「……ああ。わかった」 渋々納得したところで、先刻のフレデリカとセシーリカの会話を思い出した。何か馬鹿なことを言っていたような……。ん、そういえば……。 「なぁ、セシーリカ。……おまえ、以前キスした時に噛みついてきたろ。ひょっとしてあれもフレデリカに教わった『マナー』か?」 「え。あ、あ、ああああれ? …………うん。下唇に噛みつくのが、上手なキスなんだよってフレデリカが言うから……」 「……おまえ、あいつの言うこともう信じるな」
一眠りした後に目を覚ますと、傍にいたのはセシーリカではなくフレデリカだった。 「あら。“ラスさん”、お目覚め? ご気分いかが?」 うふふ、と面白そうに笑ってみせる。 「……おまえな」 「あら。ちゃんとセシーリカと話す時には、あなたのこと知らないふりしたわよ。昔のことだしね。あたしたちが付き合ってたのも、ほんの半月だったじゃない」 「多分10日くらいだったな。……とりあえず、セシーリカには内緒にしておこう。おまえが男好きなのも、俺が女好きなのも承知の上だろうけど、おまえだってあいつのしょんぼりした顔は見たくねぇだろ」 「ふぅん、自信あるのね。あたしたちのこと知ったら、セシーリカが落ちこむだろうってくらいには」 「あるよ」 「……まぁ、それもそうか。同感だわ。だから知らないふりしてたんだし。大丈夫、言わないわよ。あなたに未練はないし、あたし、セシーリカ好きだもん」
…………やっぱり、無理矢理にでも家に帰ろうか。 フレデリカのウィンクを見て、そんなことを思った。 |
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| 中庭の出来事 |
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| ラス [ 2006/12/12 0:55:04 ] |
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| | 「んじゃあこれ、報酬っす」 俺の報告書を受け取って、スウェンはその代わりに革袋を寄越した。 革袋を開いて、中身をざっと検める。 「……ん? 少なくないか」 「え。ちょろまかしてなんかいないっすよ?」 「だって、主犯を無傷で生かして捕らえたら割り増しって言ってたはずだぞ。基本額はあるようだが、割り増し分は?」 「あー。割り増しもあったんすよ、兄さん。さっきまで」 「……さっきまで?」 「ここの治療代……えーと、こういうとこはキシャっていうんだっけ? それで使っちまいました、はい」 ここ、とスウェンが指さしたのは、マーファ施療院の建物だった。
中庭から、建物を見上げる。 ……まぁ、そういうことなら、どっちにしろ同じことだからいいのか。……くそっ。 「んじゃ、受け取った報告書届けに行って来るっす。……兄さん、部屋に戻ったほうがいいんじゃ? 顔色悪いっすよ?」 「その報告書のせいだろうが。急いで出せなんて言うから、明け方までかかったんだぞ」 文句なら上に言ってくんなきゃと笑ってスウェンはギルドへと戻っていった。 調子が悪いのは本当だった。右腕の痺れはとれたものの、化膿した傷口は熱く疼いている。でも全体としては寒気がするから、熱いんだか寒いんだかわからない。 こんな、木枯らしの吹きすさぶ中庭になんかいないで、とっとと部屋に戻るか。
「やだよ! もう信じないからね!」 中庭から渡り廊下に入ろうとするところで、セシーリカの声が聞こえた。 「まぁまぁ。待ってよ、セシーリカってば」 しまった、リカリカ・コンビか。 勝手に出歩いてるのを見咎められて、ユニゾンで説教されるのも面倒だ。やり過ごすか。 「フレデリカの言うこと、嘘ばっかりじゃないか。もう信じるなってラスさんにも言われたし」 「今度のは本当よ。絶対だって」 柱の陰でやり過ごそうとしたら、立ち聞きしてるような状況になってしまった。 「……本当?」 待て。セシーリカ。また騙されるぞ、おまえ! 「うん。本当。……どうせセンカは、消灯後とか休憩時間とか、勤務明けた後とかにラスさんの部屋にいっていちゃいちゃしてるんでしょ?」 「いちゃいちゃって……! そ、そういう言い方はどうかと思うな!」 してる。 「でさぁ。どうせラスさんはベッドの上でしょ? こういうシチュエーションなら、思い切ってセンカのほうから押し倒すってのも、男の人は結構燃えるもんよ?」 ……なるほど、それは確かに。悪くないぞ、フレデリカ。 「押し倒す……い、いや、でもそれは! っていうか、フレデリカの言うことは信じないってば! またラスさんに、『学習しろよ』って呆れられるじゃないか! さ、もう行くよ。孤児院のほうで人手が足りないって言われてるんだから」 「えー。信じてよー、セシーリカー」 ……それは信じていいのに。
「おや、散歩かね?」 げ、イェティ。 「それとも脱走の途中かな? そういえば、今朝診た時は、傷口の周りが少し腫れとったな。よし、切開するか、切開」 うむ、切開だ切開、と何やら楽しげに言いながら、イェティは俺の脇腹に手を差し入れた。そのまま、軽々と持ち上げる。 「え。ちょっ! 待っ……!」
「あ、ラスさんだ」 「……また院長先生に小脇に抱えられてるのね」
くっそ! |
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| 病室の出来事 |
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| ラス [ 2006/12/18 2:02:49 ] |
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| | 「なんだ、もうすぐ退院だっていうのに、まだ仏頂面なのか」 カレンが来て、そう言った。 退院間際となると、ヘタに体調は悪くないだけに余計に退屈だろうと、カレンは本を1冊持ってきた。 秋からずっとカレンが調べている遺跡……というか、「森」に関する資料のひとつだ。エルフ語で書かれたその本に、「森」に関連する記述がありそうだから、退屈なうちに読んでおいてくれ、ということらしい。 その本をぺらぺらとめくりながら俺は溜息をついた。 「あーもー……早く退院してぇ……」 「いいじゃないか。……ここにいると何もしなくていいし、なにより、セシーリカがいるだろう」 「それはいいんだけどさ……」 「……?」
先日、俺の目の前でセシーリカとフレデリカが口論してからずっと、2人とも不機嫌だ。そして、2人ひと組で動いているだろうにもかかわらず、俺の部屋にくる時は必ず1人ずつだ。どことなくつんつんしていて、必要な作業だけ済ませてさっさと部屋を出て行く。 ……なんだかなー。
ノックの音がした。そして直後にドアが開く。このタイミングはセシーリカか。 「ラスさん、シーツ換えるから…………あ」 カレンを見つけて、一瞬セシーリカの動きが止まる。 一通り、挨拶を交わして、世間話をして、シーツを換えて……。 このタイミングならさっさと部屋を出て行くということはなさそうだ。 「……あのな、セシーリカ」 「…………なに?」 「フレデリカのことだけどさ」 「うん……」 とりあえず話を聞く気はあるようなので、続きを話してみる。
フレデリカは多少お節介なところはあるけど善意でやったことだし、そもそもセシーリカ自身が、今のフレデリカと同じ立場だったら同じことをやっただろうし、実際セシーリカ自身だって、年末が休みになるのは久しぶりだって喜んでたのは事実だろうし……だから、ここは素直にその厚意を受け取ってやったらどうだ、と。
そんなことをつらつらと話していると、横で聞いていたカレンが、「……ん?」と首を傾げた。 「ああ、悪い。おまえは事情を知らなかったっけ。つまりさ、セシーリカのコンビ相手がフレデリカっていう……」 「いや、彼女のことは知ってるよ。ここに何度か来た時に話したこともある」 「んで、フレデリカとセシーリカがついこないだ喧嘩を……」 「…………そうなのか? でもさっき、廊下で『ごめんね』『わたしこそ』って2人抱き合ってたけど……?」 「……え?」
シーツを換え終えたセシーリカが振り向いた。 「その件についてはさっき仲直りしたよ」 あー。ほんと。なんだ、それならよかっ…………どうしてセシーリカの頬は膨れたままなんだろう。 「……ラスさん」 「ん?」 「なんで、フレデリカと付き合ってたこと黙ってたの?」 「え。だって、それは……おまえが気にするかと思って。それに、付き合ってたって言っても半月も保たなかったし、もう3年も前のことだし」 「やっぱり……やっぱり、わたしの胸がちっちゃいからなんだ!」 「…………はい?」 「ね、そうでしょ!? カレンさんもそう思うよね!?」 「…………え」 俺に言い放ったあと、ぐるんと音がしそうなほどの勢いでカレンのほうを振り向いてカレンにもそう言い放つ。 「男の人はみんなそうなんだって言ってたもん!」 真っ赤な顔で、取り換えたシーツをぐしゃぐしゃと丸めて、それを抱えたままセシーリカは廊下に飛び出していった。
そして、病室には俺とカレンだけが残された。 「…………どういう飛躍だったんだ、今のは」 「多分……」 「……多分?」 「多分、また騙されたんだ……」 |
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| くしゃくしゃの似顔絵 |
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| ラス [ 2007/01/06 0:32:07 ] |
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| | コーデリアから詳しい事情は聞いていない。 ただ以前、何かの折りに、父親の借金のせいでギルドで働かなきゃいけないんだとだけ聞いたことがある。 だから、あの無遠慮にものを言う娘が珍しく言葉に詰まってるのを見て、衛視局に足を運んでやる気になった。 ただまぁ……本当はコーデリアがどっちを望んでいるのかはわからないが。
「捕まえた奴らはここに全員いるのか?」 衛視局でそう聞いてみた。 いや、と壮年の衛視が答える。 「施療院に運んだのもいる。ラーダの分院がここのすぐ近くにあるから、見張りつきでそこに2人いる」 「それは捕縛した時の争いで?」 「そうさ。まぁ向こうだってこっちを殺す気で仕掛けてくるからな。手加減など無理だ。相手をした冒険者だって……」 「……冒険者?」 「おっと。口が滑ったか。……まぁいいか。どうせ冒険者同士で話なんかすぐに伝わるだろうし」 そう言って、衛視が教えてくれた。 今回捕縛した強盗たちは、2グループあったのだという。片方は衛視団が捕らえたが、もう片方は冒険者が捕らえたものを引き渡してもらったのだと。
なんだ、それなら賭けは引き分けだったんじゃねえか。 衛視局からの帰り道、そのことを思い出して舌打ちをしようとしたけれど、コーデリアの前だからやめておいた。
コーデリアは少しふてくされたように、昨夜残したオニオンスライスの文句だけを俺に言った。 それきりまた黙り込んでいるコーデリアの目の前に羊皮紙をちらつかせる。 「ところでさ。どうする、これ。預かっておいてもいいか」 一度コーデリアの手によってくしゃくしゃに丸められた羊皮紙が1枚、俺の手元にある。コーデリアが描いた、親父さんの似顔絵だ。 「……預かってどうすんのよぉ」 「どうするってわけでもないが。似た奴を見かけた時に確認手段の1つにはなるかな、って」 「見つけたらギルドに引き渡してよね。どぉせぇ、ソイツいろいろアクジやってるんだからぁ。引き渡したらラスにもホウショウキンとか出るかもよぉ?」 「見つけたらおまえに知らせるよ」 「知らせなくていい」 「知らせる」 「いいってば!」 「けどおまえ、恨みがあるってんなら尚更会って話しておかないと、おまえ自身が後悔するぞ」 「いいって言ってるでしょ! オニオンスライス残すようなひとのセッキョウなんか聞かないわよ!」 「けど、あれはおまえ、どう考えても量が尋常じゃねえだろう!?」 「オニオンスライス載せろって言ったのラスじゃない!」 「まるまる1個分スライスしろとは誰も言ってねぇよ!」 「あたしのゲージツだったのにぃ〜!」
結局、いろいろと有耶無耶になった。 ただ似顔絵だけは、とりあえず俺の懐に入れておいた。 |
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| 魔法の壺 |
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| ラス [ 2007/02/24 1:43:31 ] |
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| | 全く……。妙な依頼を引き受けちまった。 とはいえ、タトゥス老が「ひとつ頼まれてくれんか」とまわしてきた依頼だ。あの爺さんからの依頼はなるべく断らないことにしている。 タトゥス老はオランのムディール人街である小孔雀街を取り仕切っている。そんな人物とコネを作っておくのはいろいろと便利だ。
依頼人は、小孔雀街でちょっとした商いをやっている男だ。 年齢は50才よりも幾らか若いと聞いたが、実際に会ってみるとそれよりもかなり年上に見えた。 少々身体を病んでいるらしいから、それで老けて見えたのだろう。
「おまえさんが呪い師か」 そう聞かれたから、そうだと答えると、壺をくれと言いだした。他には何もいらん、ただ壺が欲しいのだと。
詳しい話を聞いてみると、こうだ。
昔、幼い自分が病気がちだった頃、呪い師だった祖父が、枕元にひとつの壺を持ってきた。 壺の見た目は、どうということのない普通の壺だ。小振りな、蓋のついた壺。ひょっとしたら香炉だったかもしれない。ただ、祖父さんが壺と呼んでいたから、自分も壺と呼んでいた。 「この壺はおまえの病のもとを吸い取ってくれる」 その言葉通り、それから依頼人はぐんぐんと健康になった。
また依頼人が成人してすぐの頃、当時、商売の修行に行っていた先で、対人関係に悩んでいた。 それは、好きな女が振り向いてくれないというようなことだったり、嫌な上司がいるということだったり、同僚と反りが合わないということだったり。 まだ存命だった祖父がまたも壺をそっと撫でて言った。 「おまえの悩みのもとはこの壺が吸い取ってくれる」 その後、やはり言葉通りに恋敵が遠くに行ったり、自分が嫌っていた相手が事故に遭ったりした。
こうまで続けばそれは偶然じゃあるまいと依頼人は信じた。 何とも霊験あらたかな壺だと、祖父が亡くなってからもその壺を大事にした。 そのおかげもあって、親の跡目を継いだ後も、商売はうまくいき、依頼人は財を成した。
が、1年前のある日、妻が掃除の途中でその壺を割ってしまった。 当然、依頼人は激怒した。 家宝の壺を割ってしまうとは何事だ、そんな女とは離縁だ、縁を切ると言って妻を打擲した。 泣いて謝る妻と、取りなそうとした娘を、両方とも家から追い出した。 それ以来1年。 自身は病気がちになり、親戚たちにも不幸が続き、やっていた商売は傾き、建て直そうにも金を貸してくれる先も無く。
それらは全て妻が壺を割ってしまったせいだ、だから同じ壺を持ってきてくれと言う。 「おまえさんも、祖父さんと同じ呪い師だろう。壺の秘密を知っているはずだ」
タトゥス老はわかっていたんだろう。 そんな壺もそんな魔法も無いとわかっていて、それでも俺に話を持ってきた。俺が老の仕事は断らないと知っていながら。 ……ち。狸ジジイめ。
さて。困った。 そういった類の魔法の品物の話を聞いたことがないわけじゃない。ましてやここはオランだ。ある程度の金を積めば、魔法の品物を手に入れることは可能だろう。 だが、多分それは違う。
祖父さんが持ってきたという壺の形状から考えても、そして依頼人が話す内容から考えても。 その壺はおそらく、何の変哲もないただの壺だ。ひょっとしたら古道具だったのかもしれない。 祖父さんが何らかの魔法をかけたわけでもないだろう。そんなに何十年にも渡って効果が途切れないような魔法を、カストゥール人でもないただの呪い師が操れるわけもない。
都合のいい偶然だ。 依頼人は「そんなに都合のいい偶然ばかり続くのはおかしい。だからこそあの壺は霊験あらたかなんだ」と主張するだろう。 けれど、その前提自体が違っている。 都合のいい偶然ばかりが続いているんじゃなくて、依頼人が都合のいい偶然しか記憶していないだけだ。 何十年もの間の出来事を、全て記憶しているわけでもないだろうし、時に都合の悪いことが起こったとしても、人生にはそんなこともあるさと受け容れられる程度には依頼人も大人だった。 そして、良い事が起きると、「なんて素晴らしい偶然なんだ。壺のおかげに違いない」となる。
そして壺を割った後は、起こること全てを壺に結びつけて考えてしまう。 壺を持っていた時とは逆だ。それまでは良いことはすべて壺のおかげだった。でも割ってからは、悪いことは全て壺のせいになる。 世話をする人間を追い出せば不摂生を重ねて病気がちにもなるだろうし、そもそももういい年だ。 そんな年なら、親の代の親戚に幾つか不幸が続いたって不思議はない。 理不尽な理由で妻や娘を追い出した男からは顧客も離れるだろうし、そんな男に金を用立てる金貸しもいないだろう。 けれど、依頼人にとってそれは偶然ではなく、壺を割ったせいになる。
多分、求められているのは、呪い師としての秘伝の術なんかじゃない。 もちろん、同じ形状の壺を探し出すことでもないし、高額な魔法の品物への伝手を探すことでもない。 それは偶然なんだということを依頼人に教え諭すか、そうでなければ、彼を一生騙すことだ。 もしも彼を騙すことが出来るなら……それはある意味、幸せになれるのかもしれない。 以前と同じ幸せを手に入れられるのなら気持ちも前向きになるだろうし、余裕も出来るだろう。そうすれば、妻と娘に対する気持ちも変わるかもしれない。 偶然だ、気の持ちようだ、と言い切ってしまうには、あまりにも依頼人がそうと信じて生きてきた月日が長すぎる。
さて……。俺の知り合いで、誰か、そういう嘘を信じさせられる奴がいるかどうかだな。 俺じゃ無理だろう。口先でどうにかすることに慣れてはいても、一生騙せる気はしねえ。 ファントーやカレンは嘘はつけないし……いや、俺がファントーに嘘を教えて、それを信じ込ませればあるいは…………無理か。 セシーリカやユーニスは馬鹿正直だし、ロビンやリックは顔つき自体が胡散臭い。
…………ん。 ……アーヴディアとかどうよ。 |
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| 茶色の小瓶 |
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| ラス [ 2007/03/30 2:51:35 ] |
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| | 結局、魔法の壺を探し求めていたおっさんは、アーヴディアに「乳離れ──壺離れをしろ」と、たった一言で切って捨てられて、がっくりと膝を落としていた。 最後に見た依頼人の姿は、いっぺんに十も老け込んだように見えたが、最近になって聞いた噂では、奥方と娘が家に戻ってきたらしい。 家族ってのは、意外と何とかなるもんなんだな、と妙なところで感心した。
そして、家の中では。
最近、ファントーはいっぱしの冒険者らしく……というよりも、狩人のような仕事ばかりだが、幾つかの依頼を受けてあちこち走り回っている。 初夏には一度故郷の山に戻って、街を捨てて生きるか、それとも街に残って暮らすか、話をつけてくると言っていた。 そういえば……と、ふと思う。 俺やカレンの仕事が不規則だから、家の中のことはファントーが受け持っていることが多い。 料理や掃除、洗濯、犬猫の世話、等々。 暇な時や気分転換に、俺が料理をしたりカレンが何故か家じゅうを掃除したりすることはあるが、日常的にそれをやっているのはファントーだ。
そのファントーが、もうしばらくしたら家を空けるということを考えると……。 「じゃあ自分が!」と張り切りそうなのは、セシーリカのような気がする。 そして、そんなセシーリカに触発されて、カレンが料理修行の続きを思い出しそうな気がする。 初夏から夏にかけて……となると、オランは暑くなっていくだろう。 そんな時期にあの2人が妙に張り切ったら……。
そんなことを考えて、先日アーヴディアに会った際にひとつ聞いてみた。 俺でも飲めそうな胃腸薬はあるか、と。 いや、薬じゃ困る。薬なら飲めない。 ただ、なんかこう、胃に良さそうな……?
これなら薬が苦手な者にも受け容れられている、というものを紹介してもらった。 それがネイトの種子だ。 すりつぶして飲み物にでも混ぜれば良いというそれを、茶色の小瓶に幾らか分けてもらう。
試しに家でそれを砕いてみたところ、確かににおいは無い。味もほとんどしないだろう。 もしも、俺が見ていないところで、料理や飲み物に混ぜられたとしたら気付かないかもしれない。 けれどやっぱり、自分で意識してそれを口にするというのは、思ったよりも難しかった。 猫に邪魔をされつつ、試しに少しだけ口にしたが、においも味も気にならないのに、下腹のあたりからぞわりと何かが這い上がるような嫌な気持ちがした。 ごく少量なら、我慢してしきれないことはないが、小さな種子1つ分の粉末を我慢するために、かなりの気力を消耗する。 薬を口にした、というその事実が、胃の中に爪を立てるようで。
……………………ん? ひょっとして……「胃に良い薬」を飲むために胃が痛くなる……? ……馬鹿じゃねえの、俺?
結局、茶色の小瓶は居間の片隅のバスケットに放り入れられて終わった。 |
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| 兄と妹 |
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| ラス [ 2007/04/27 2:42:49 ] |
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| | 「……ああ、昼過ぎにセシーリカが来てたぞ」 夕方、起きだして居間に行くと、カレンにそう言われた。 起こしてくれりゃよかったのに、と言うと、熟睡してるようだから起こさなくていいとセシーリカに言われたらしい。 「オマエの寝顔見て、俺と茶を飲んで帰った」 …………。
最近は、昼夜が完全に逆転した仕事をしている。 娘にまとわりつく粘着男から娘を守りたいという親からの依頼で、何人かの冒険者と組んで交代でその娘の周辺を見張る仕事だ。 ただ、相手の男が不埒な真似をしないように見張るというだけで、その男を捕まえてどうにかしてほしいというわけではないらしい。 いや、むしろ相手の男にはなるべく手を出さないで欲しいとまで言われてる。
その理由というのが、実はその男は、当の娘とは腹違いの兄妹だから、だという。 もちろん、当人同士はそのことを知らない。その事実を知っているのは、依頼人──つまり、愛人にその男を産ませた父親だけだ。 母親同士(正妻と愛人)も互いの存在は知っていて、過去のことと割り切っていることだし、出来るなら子供たちにはそのことを知らせたくない、けれど何か間違いがあってはいけないから、ただ見張ってくれ、と。
なんとも中途半端な依頼だが、冒険者にとっては悪くない話だ。 依頼人というのが、上流階級の風下にちょこっと引っかかってるくらいの家で、報酬も待遇も悪くない。
明るいうちは、野伏の心得がある人間が見張る。夕方過ぎから夜中にかけては、夜目の利くドワーフが見張る。 そして、真夜中過ぎから朝にかけてが、俺の担当する時間だ。
朝まで見張りをして、家に帰るのは朝餐の鐘が鳴る頃。 なんだかんだでベッドに入るのが昼前。 それから眠って、起きるのが夕方。 日が暮れる頃には、花街周辺での雑用を片付けに行って、それが終わったら見張り。
こういうサイクルだと、セシーリカとはすれ違う一方だ。 仕事の合間にセシーリカの家には何度か行ったが留守だった。 近所のおばちゃん達から情報を仕入れたところ、リデルの子供が生まれたから、リデルの嫁の実家で寝泊まりすることも多いらしい。
……ということで、リデルの嫁の実家に行ってみた。 実家は仕立て屋をやっていて、もともと俺はその仕立て屋に何度か行ったこともある。 だから場所は知っているし、その家の人間たちとも顔なじみだ。
ちょうどリデルが買い物から帰ってきたところだった。 聞くと、セシーリカは神殿に行っているという。 「……見事なすれ違いですね」 「……」 「まぁ、多少の障害はあってもいいでしょう」 「リデル……おまえ、俺に妹とられて悔しいとか思ってる?」 「いえ、別に。そんなことは」 「何故、目を背ける」 「…………いえね。ついこの間までは、まだまだ子供で、いつまでもこんなんじゃ嫁のもらい手もないだろうと思っていたんです。誰かいい人を見つけられるといいけど、なんて思ってもいたんですけど」 「……けど?」 「…………確かにラスさんは、まぁがんばってひいき目に見れば、いい人と言えなくもないわけで……」 「がんばるのかよ」 「ええ。がんばりますよ」 「しれっと言うなよ」 「……まぁ、あれです。兄というのは妹に対してそういう微妙な親心らしきものがあるんですよ」 「他の男に渡したくねぇ、みたいな?」 「そこまではいきませんけど。それじゃあまるで恋愛感情じゃありませんか」 「……やっぱり、兄と妹ってのは恋愛感情は成り立たねえの? でもおまえら、血は繋がってねえじゃん」 「それでも、ですよ。一緒に育てば兄妹になるんです」 「ふーん……」 「…………お仕事、いいんですか?」 「あ。いけね」
あの粘着野郎と、守られてる娘は半分血が繋がってはいても、一緒に育ってないわけで。 そうなると……まぁ、男のほうからの一方的な気持ちではあるが、そういう感情を抱いてもしょうがないわけか。 兄妹、もしくは姉弟の関係ってのはなかなか難しいもんなんだな、と思った。
そしてその日は結局、セシーリカとは会えなかった。 |
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| 疑惑 |
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| ラス [ 2007/08/13 2:42:02 ] |
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| | 最近、辻斬りとやらが出没しているらしい。 その噂を耳にしてから半月以上経ったが、一向に解決する気配がない。 衛視どもはさぞやきもきしていることだろう。
……なぁんて、ヒトゴトだと思っていたら、何人目だかの被害者が、モグリの夜盗だった。 ちょうどチャ・ザ大祭が近くなっていた頃で、ギルドでもモグリに警戒し始めた途端にヤられた。 それが気に入らないのと、衛視連中の鼻を明かしてやりたいのとで、ギルドでもようやく調査に乗り出し始めたらしい。
そこここで小耳に挟んだ情報によると、昨日までで被害者が5人。 被害者の共通点は、帯剣していたことと、冒険者だったり傭兵だったり夜盗だったりで、一般市民よりは剣の心得があることくらい。 そして、斬られた傷の様子はといえば、そのほとんどが一刀のもとに殺されている。そりゃあもう見事な袈裟斬りだったという。 あとは、傷の周囲の衣服に焼け焦げが見られたとか。 そのあたりから、衛視連中は、魔剣を持った剣士か、それとも魔法と剣を使えるやつか、そうでなければ魔術師と剣士のコンビ(もしくは3人以上のグループ)という見当もつけているらしい。
ある意味、それに当てはまる俺としては少々複雑だ。 まぁ、条件的に当てはまらなくもないというだけで、特に嫌疑がかかるようなこともしていないが。 それでもギルドの連中からは、普段からの人気(違)も手伝って、痛くもない腹を探られる羽目にはなった。 たとえば、俺が今仕事を減らしているのは、単純に、最近はクソ暑くて体力も落ちてきてるからってだけなのに、「仕事減らしてる今なら、人を斬り殺して歩く暇もあるだろう。いや、むしろその暇を作るために仕事を減らしてるんじゃないのか」みたいなことまで言われたりもする。 面倒くせぇ。 このクソ暑いのに、辻斬りなんて面倒なことやっていられるか。
まぁ、ギルドの言い分はわかる。 確かに俺なら、炎を纏うものじゃないとはいえ魔剣も持ってるし、魔法も使えるし、犯行の後に姿を消すことも出来るし、犯行の前に音を消すことも出来る。 ただ、「それが出来る可能性があるから」っていう理由で犯人にされちゃかなわねぇ。 向こうもそれはわかっているだろう。 あからさまに疑ってるわけじゃない。ただ、可能性の問題だ。
とりあえず、疑われた時の鉄則としては「あやしい行動はとらない」ってことで、日々の通常業務に精を出すことにした。 「これが終われば3日間くらいオフだからなー。その間にまた何かあったら、また疑われる材料が増えちまうのかなー」なんてことを思いながら、シマ荒らしをしていたチンピラをシメにいったのが昨日。 そんな考え事をしていたせいか、そのチンピラに思わぬ反撃をくらった。左の前腕あたりをナイフでざっくりと。 余計な怪我だが、まぁ療養込みってことでしばらくおとなしくしてれば、そのうち「あの半妖なら可能性が……」なんてくだらない噂話も消えるだろう。
そう思ってた。
「……辻斬りに襲われて、一命を取り留めた冒険者がいるらしい。目撃証言はといえば、暗い中で、黒ずくめの細身の影に襲われたってだけで、辻斬りを特定出来るものではないらしいが…………ただ、そいつは襲われた時に反撃して、辻斬りの左前腕を、持っていた剣で斬りつけてやった、と証言してる」
カレンのその報告を聞くまでは。
タイミング悪っ!
「……今の内に治すか?」 とカレンに聞かれたけれど、実はその仕事が終わった直後に、ギルドに報告に行っている。 だから既に何人かには見られている。 それでも一応、とカレンは試してくれたけど、やっぱりというか、何というか……祈りは届かなかったらしい。 こりゃますます、しばらく外には出られねえな。
(PL注:辻斬りに関する情報は伝言板にもあります) |
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| 入院生活 |
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| ラス [ 2007/09/21 0:14:05 ] |
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| | (PL注:カレンの宿帳#{388}のNo.8「思考と感情」の続きです)
「別に愚痴ってもいいんだけどよ。……声っつーのはさ、より強い声にかき消されるんじゃねえかな」 「…………なに? ……声?」 ほんの一瞬だけ、なんでそのことを知っている?とでも言いたそうな顔をして、カレンは聞き返してきた。 「あの男だよ。辻斬りの。……あの晩、聞いてたんだ。途中で目が覚めて。窓は開け放してあったから、中庭の声なんか丸聞こえだ。あいつ、何故責めないんだと言ってたろ」 「ああ。……オマエも脈絡ないな」 「だからさ、あの男を誰もが責めなかったのは、誰よりも強く責めているのがあの男自身だったからじゃねえの? 自分で自分を責める声がでかすぎて、周りの声なんかきっと耳に入らない。あの男自身よりも強くあいつを責める奴はいなかったろうから」 「……なるほどね。……けど、オマエだって責めないんだろう」 「そりゃそうさ。あいつは別に俺に恨まれるようなことはしてない」 そう言って笑うと、カレンもつられたように小さく笑った。
先に仕掛けたのは俺だし、やりあった結果がこれなんだからしょうがない。 誰かを恨むとか、そういう筋合いのものじゃない。
「……まだ痛むか?」 「んー……痛いっちゃ痛いんだけど……」
運び込まれてしばらくは、とりあえず痛いだけだった。そのこと以外考えられなくなるほどに。 痛みをこらえることに全体力を注ぎ込んで、体力が途切れると意識を失うというサイクルで、まぁ何日かを過ごして。 そして最近、痛みが2種類あることに気が付いた。 ゆるくじんわりと続いている痛みと、時々発作的に襲ってくる激しい痛みと。
「じんわりとしたほうは、傷そのものの痛みだろうな。奇跡で治癒して、新しく作られた切断面の皮膚のすぐ下が、今までは骨やら神経やらが剥き出しだったものが、周りの肉が盛り上がってきて痛みが和らいだんだろう」 「……生々しい話をするな」 「で、その発作的な痛みのほうだが……まぁ、ゴーストペインとかファントムペインとか言う向きもあるようだが、幻肢痛と言うのが一般的かな。要は、無いはずの部分が痛い。これは、物理的には確かにその部分はもう無いはずだから、いわゆる暗示のようなものだ」 「暗示? 何の?」 「説明するのは難しい。賢者たちの間でも推論ではあるんだが……」
と前置きして始めた説明は。 物理的にでもなく、精神的にでもなく、体内の精霊たちを取り仕切っていた生命の精霊が、ここには腕があるはずだという暗示にかかっているのだという。 そして生命の精霊は、腕があるのが本来の状態だと知っている。だからその先に意志を伝えようとする。けれど実際には無い。そこで「なぁんだ、ないのか」じゃなく、「いや、あるはずだ」となるらしい。 そうして、事のついでにそれがあった時の最後の状態、要は切断された瞬間の痛みを再現する、と言う。
「はた迷惑な話だな」 「全くだな。それでも君はまだ軽いほうだと思う。病気で切断せざるを得なかった者や、事故で大きな岩に両足を潰された男を知っているが、それはひどい苦しみようだった。ただ君は、ある意味すごく損をしている」 「……なに?」 「普通、切断面の処置というものは痛み止めや痺れ薬、麻薬のようなものまでをふんだんに、それこそ湯水のように使うんだよ。もちろん、処置後もな。だから、傷そのものの痛みを訴える患者はあまりいない。幻肢痛には実は痛み止めは効かんからなぁ。いや、一応、効く薬もあるんだが……」 「こっち見るな。飲まねぇぞ」 「まぁ、こっそり痛み止めを仕込んで、その薬自体に過敏な反応をされても今は困るのでね。安心してくれたまえ、薬は仕込んでないよ」
「……というような話で」 そう言うと、カレンは眉根を寄せた。まるで自分が痛いかのような顔だ。 「まぁ、ゆっくり養生してくれ」 「ところでさ。ファントー帰ってきたか?」 「いや? まだだけど?」 「……そうか」
実は、イエティとの話には続きがある。
「ところで聞きたいんだが」 ふむ、と頷いてイエティが聞いてきた。何を?と聞き返すと、至極真面目な顔をしてこう言った。 「……君は、今までどんな食生活を送ってきたんだ?」 「…………」 「金に困ってる冒険者でもまだ体力があるぞ」 えーと……最近ずっと暑かったから……何食ってたっけ。マシな時にはサラダとかスープとか? あとは……果物。 「…………桃、とか。瓜とか、杏とか……あ。あとナッツ」 俺の答えを聞いて、イエティが大きな溜息をついた。 そういえば、いつも飄々としていたこの大男に溜息をつかせたのは初めてのような気がする。 「体力回復するまでは出さんからな。院の食事は出来るだけ残さないように」 うぉっほん、と院長っぽい(注:本物の院長)咳払いをして、イエティは病室を出て行った。
「…………俺さ、もうしばらく入院してようかな」 「……は? いや、それはまぁ……無理に退院させようとは思ってないけど」 いつもならとっとと家に帰りたがるはずなのに、とカレンが不思議そうな顔をする。 別に長居したいわけじゃない。おとなしく寝てるだけなら家に帰ったっていいはずだ。 いいはずだが……右腕だけじゃ食事の支度は出来ない。 そうなると……カレン? そしてセシーリカ? 致命的な組み合わせじゃないか。 「いや……えぇーと…………カラダのことを考えて……、かな?」 「ふぅん……」
カレンの眉間の皺がなんだか深くなったような気がした。 |
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| 舌の根も乾かぬうちに退院。 |
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| ラス [ 2007/09/24 2:28:56 ] |
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| | ここしばらく出かけていたファントーがオランに戻ってきた。これからはずっと街で暮らすことにしたと言う。 ということはつまり、食事の支度や何かを任せられるということで、俺はさっさと退院することにした。
退院の支度をしていると、賢者の学院からだというローブ姿の2人連れが訪ねてきた。 知らない奴らだったが、とりあえずその2人にも支度を手伝わせながら、話を聞いてみる。どうやら研究対象にしたいらしい。 その2人組は賢者の学院で薬草を研究している奴らのようで、幻肢痛に効く痛み止めを実験してみたいんだと言いだした。 「いや、もちろん危険はありません!」 彼らは力説する。 それらが毒物じゃないのは証明済みだし、副作用なんかのヤバいことも無い。実際に痛み止めとして使われている薬だという。ただ普通の痛み止めは幻肢痛には効かないことが多く、でも自分たちはそういう患者を助けたい、と。 「こういう言い方は失礼ですが、そういった実験を受けてもらえそうな状況の人というのは多くないんです。一般市民にとっては再生の奇跡はとても高価ですし、伝手もありません。なので、こう……例えば足や腕を切断した後というのは彼らは絶望しています。そんなところへ、『実験で』なんていうのはちょっと言いにくいので……」 「……あー。なるほど。で、俺はあまりヘコんでなさそうだから、ってことか?」 「平たく言ってしまえばその通りです。再生の奇跡を待っていらっしゃるところだとか? その間、痛みだけでも軽減してみませんか。いえ、軽減できる可能性があるものを使ってみませんか。今回、何種類か試してみたい薬の配合がありまして……」 「残念だったな。協力は出来ない。薬と名が付くものは飲んじゃいけないって、死んだ爺さんの遺言なんだ」 爺さんなんてのは会ったこともないが、とりあえずそう言って追い返した。
んー……ヘコんでない、わけじゃないんだろうと思う。 普段、左腕を怪我しただけで心許ない。自分が無防備に思える。 それは俺がいつも精霊魔法を使う側の腕が左腕だからだ。 もちろん、右腕でも使えないことはない。右腕には剣を持つから左腕を普段使っているというだけのことなんだが、それにもう何年も、いや何十年も慣れてきたから、剣を抜いていない時でも魔法を使うのは左腕だ。 自分の不注意で身体の一部を……しかも、普段でもなるべく怪我をしたくないと思っていた部分を失うというのは、結構ヘコむ。 それがないと、普段の生活でも不便なのだから尚更だ。
例えば、紐がうまく結べない。風呂で身体を洗っていても届かない場所がある。洗った髪をすすぐのだってやりにくい。 着替えにも時間がかかるし、食事時だってナイフとフォークを同時には使えない。 歩いているくらいじゃどうということもないが、走るとなるとバランスも悪い。 二の腕の半ばから切断されたせいで、残った部分自体動かないから、左だけ妙に肩が凝る。 そういう不便さも、まぁ再生の奇跡とやらをしてもらえるまでの辛抱だと、そうは思っていても、再生してもらった後でも障害が残ったという話は聞いたことがある。 だから、ヘコむ材料はたくさんある。
けれど、ものは考えようだ。 少なくとも再生の奇跡は予約してある。成功する確率は高いとイエティも言っていた。もしマーファ神殿で失敗されたら、チャ・ザ神殿にでも行けばいい。 それに隻腕の状態だって、大概のことは出来る。精霊魔法なら右腕でだって使える。 髪だけはどうしても片手じゃ縛れなかったから、これは切ってもらうとして、食事はナイフとフォークが使えないならかぶりつけばいいだけだし、その他のことだってまぁ何とかなる。多少工夫すれば、料理だって出来なくはないはずだ。 たまに無性に左腕が痛くなるけれど、それだってしばらく経てばおさまる。 少なくとも生きてはいるし、ベッドに縛り付けられている状態でもない。メシだって食えるし、仕事も……まぁ、書類仕事や情報収集くらいならなんとかなるだろう。
施療院から家に戻るまでの間、ずっとそんなことを考えていた。 「……よし」 家について、居間に落ち着いたところで、そう呟く。茶を淹れようとしていたカレンがこっちを向いた。 「…………なに?」 「いや。とりあえず、髪切ってくれ」 まず、ひとつずつ解決していけばいい。 |
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| 作戦? |
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| ラス [ 2007/09/28 0:24:41 ] |
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| | 鏡の中には、不機嫌そうな自分の顔と、常になく短い髪がある。 前髪を短くするのはイヤだと言ったのに、「……揃えないと変だよ」とファントーにまで言われてしまった。 カレンは「……ごめん」と謝って、そしてなんだか俺以上に不機嫌そうな……んー、いや違うか、思い悩んだような? そんな顔をしていた。 長い前髪は、表情や目つきとか、顔色なんかも隠せて便利だったんだが、仕方がない。
先日訪れたセシーリカは、びっくりしたような顔をして、まじまじと俺の顔と髪の毛を交互に見比べ、やや裏返った声で「似合うヨ?」と言った。 そして、こほんと咳払いをすると、真面目な顔でこう切り出した。 「えーと……あのね、こういうこと聞くのって失礼かもしれないけど、でも、現実問題として、えーと……なんて言えばいいんだろう」 「なんだよ」 「ラスさん、お金あるっ!?」 「………………あ?」 「い、いや、あのね! ほら、今回ヘルムート先生が、上に話を通してくれて、それで、えと、だからお礼のお金とかそういうのは要らないって言ってくれてるんだけど、やっぱり高司祭様に奇跡をお願いするのってお金かかるだろう? あ、あの、それでわたし、少ないけど、お小遣い貯めてるのがあるから……あ、いや、足りないかもしれないけど! でもラスさんしばらく働けないだろうし、こう言ったらあれなんだけど、せ、生活費も大変かなって思って!」 「…………」 「あ、そうか! こないだもらったこれ! この腕輪! 高かったよね? うわ、どうしよう、これ生活の足しに……!」 「……待て」 腕輪を慌てて外そうとするセシーリカを止めた。
「……あのな、セシーリカ」 腕輪を外そうとした姿勢のまま、セシーリカが、なに?と小首を傾げる。 「その高司祭とやらへの喜捨、5000か6000くらいだって話だろ? ……それ、俺の仕事料に当てはめると1回分なんだけど」 「…………へ?」 「まぁ、盗賊ギルドの普段の仕事はもう少し安いけどな。そのかわり頻繁にある」 「…………」 「セシーリカ。おまえ、いい年して貯金そんだけ? ああ、神殿に吸い上げ……いや、喜捨とかしてんだっけ」 「なんか……なんか、すっごい悔しいんだけど!」 あー、恥ずかしかった、と赤い顔を手で仰ぎながら茶を飲んで誤魔化そうとするセシーリカに、気持ちは嬉しかったと伝えると、セシーリカは照れくさそうに笑った。 「あ!」 頬の赤みがひいた頃、唐突にセシーリカが叫ぶ。 「どうした?」 「いい年って言うな!」 「遅っ!?」
……まぁ確かに、生活する金には困ってはいない。 だからそれはいいんだが、生活はある意味とても大変だ。 今までだって、片腕を怪我したことはあった。骨を折ったこともある。 けど、「使えなくても腕がある」ということと、「無い」ということは違う。 たかだか腕の1本で、重さが何ポンドも違うとは思えないが、その違いで身体のバランスがとれなくなる。 顔を洗ったり、ベッドから起きあがったり、ソファに腰を下ろしたり……右腕だけで重心をとろうとすると、今までとは違う動きになる。 日々のたったそれだけの違いで、妙に疲れる。 その上、時々発作のように、無くなったはずの左腕が痛くなる。 どうせもうしばらくしたら腕は再生するんだろうから……片腕の生活に慣れる必要はないんだろうか。だとしたら、それまでの間、簡単な義手でもつけておいたほうがバランスはとりやすいんじゃないか、とそんなことも考える。 けどそれはそれで、使えもしないものをぶら下げておくのも邪魔くさいような気がする。 うーん(思案)。
どっちにしろ、今のままじゃ荒事は出来ないから……しばらく娼館まわりの仕事は延期だな。 あらためて引き継ぎしてくるかな……。 いや、この髪で外に出る気もしない。カレンに伝言頼むか。
…………は! ひょっとしてこの髪型は、しばらく家から出さないでおこうっていうカレンの作戦っ!? |
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| 寝酒 |
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| ラス [ 2007/10/09 1:58:58 ] |
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| | 早めに寝台に入ったものの、腕が痛んで眠れなかった。 雨でも降るのかと思って、窓を開けて空を見上げてみると、案の定星は見えず、厚い雲が夜空を覆っているようだ。 猫の髭でもあるまいし、痛み具合で天気の先読みが出来たって嬉しくもなんともない。
居間で寝酒を飲むことにした。 灯りをつけようと思ったが、火打ち石はうまく使えない。光霊を呼び出す。 そういえば、あの事件以来、魔法を使うのは初めてだ。 だが、いつも左腕を使っていたとはいえ、右腕で魔法を使ったことがないわけじゃない。 いつもより些かぎこちない動きではあったけれど、光霊はいつものようにふわりとその姿を居間に現した。 「……ほらな。なんてことはない」 声に出して呟いて、酒の支度をする。
腕がどうの、声がどうのというのは、結局は手段に過ぎない。 いつもの腕じゃなくとも、最低限の形式を守れるもう片方の腕があれば魔法は使える。 例えば多少風邪をひいて呪文を紡ぐ声が掠れていたとしても、その声が精霊に届けば魔法は使えるのと同じように。 手段さえ絶たれていなければ俺の声は精霊に届く。 精霊の世界を感じ取るためには、俺にとって手段さえ必要ない。 「だからたいしたことじゃねえのさ」 再度声に出して呟いて、酒瓶を出した後の戸棚の扉を足で閉めた。
あれから1ヶ月。まぁ、落ち着いてさえしまえば、多少不便で時々痛むという以外、どうということもない。 外を出歩くと、確かに人目はひくが実はそれもどうということもない。 もともと半妖精だというだけでかなり人目はひいていた。その質が少々違うだけのことだ。 ただやっぱり、知っている相手だと、俺自身よりも相手のほうが俺の腕のことを気にする。 冒険者や傭兵をやっている奴なら、さほど珍しいことじゃないとはいえ、やっぱり気になるのは事実なんだろう。 左肩に布をかけて目立たないようにはしているが、そもそも実物を見るより先に噂でその事実を知っているのが厄介だ。 だからある意味、ロビンのような反応のほうが有り難い。
……まぁこれは性格的な問題なんだろう。俺は随分とひねくれている自覚はある。 相手が心配してくれて、気遣ってくれればくれるほど、大丈夫だ、こんなのなんでもないと言ってしまう。 いっそ…………。
そこまで考えて、ふとあの夜、施療院の中庭で聞いた話を思い出した。 ──何故、誰も彼もが私を責めない。 けれどあいつは、責められたいわけじゃないんじゃないだろうか。 そう、責められたいんじゃなくて……。
かちゃ、と居間の扉が開いた。 「うわっ!」 驚いて、あやうく杯を取り落とすところだった。 「……なんだ、寝酒か? ……そんなに驚かなくてもいいだろう」 「いや、ちょっと考え事してて……あーびっくりした」 「てっきり寝てると思ってて、確かに静かに帰ってきたけど。……ドアの隙間からウィスプの光が洩れてたから、そこからは足音させてただろうに」
酒場に寄ってきたらしいカレンは、そこでスカイアーに会ったと言った。 「ロビンが気落ちしてたってよ。見舞いの品も差し入れてくれたし、なんだかんだ言っても、アイツもオマエのこと気にしてるんだな」 「馬鹿、違うよ。ロビンが気落ちしてるのは、俺と会った晩に同席してたベルギットに冷たくあしらわれたからだ」 「…………そうなのか?」 「見舞いの品だって、皮の厚い果物なら片手じゃ剥けねぇだろうって嫌がらせだ」 「……ふぅん。まぁいいや。明日、スカイアーが様子見に来るってよ」 弱みにつけこむ奴がいるなら用心棒も頼めるぞ、とカレンは笑った。 そんなお姫様扱いはごめんだと笑い返す。
ふと、カレンの髪や肩に水滴があるのを見つけた。 「外、雨降ってんのか?」 「ああ、帰ってくる途中で降り始めたよ。長雨になるかもな」 「……先読みが当たったか」 「……ん?」 「いや、なんでもない」 ……うーん。やっぱり嬉しくも何ともない。 |
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| 神官たち |
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| ラス [ 2007/10/28 19:38:43 ] |
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| | セシーリカと外で夕食を済ませた後、これから夜勤だというセシーリカを施療院まで送っていった。 そうしたら、自分の仕事はもう終わったというイエティにうっかり捕まった。
院長室、と小さなプレートが填め込まれた扉の先に入るのは初めてだった。 思っていたよりももっとシンプルな造りの部屋は、木製のテーブルを挟んで背もたれ付きのベンチがあり、壁際には院長の身体に合わせてか、少し大きな造りの机と椅子があった。部屋の隅には布張りの衝立があって、その奥には寝台が見える。院長自身の仮眠用なのか、それともここで診察もするのか。おそらく両方だろう。
体調やら何やらを尋ねた後、イエティはお茶を啜って黙り込んだ。 何か話でもあったんじゃないかと問うと、ふぅむと息を吐き出した。 「むしろ、君に聞いてみたいことというか……君と話してみたいことがある。アダルバートが、君の腕のことを気にしていたものでね」 「……そうだな、俺も聞いてみたいことならある。当人でもいいし、あんたでもいい。この腕の件で、俺があいつを恨むのは当然だとでも思うのか?」 「それは……当然とは思わないが、そういう心の動きがあったとしたら、わからなくはないと思う」 「けれど、おおっぴらに復讐の心を認めるのは邪神の類だろう」 「そうだ。復讐というのは、負の連鎖だ。どこかで断ち切らねばならないと私も思う」
断っとくが、と前置きして俺は言った。 「俺は別に、この腕の件で誰も恨んでないし、誰かに仕返ししたいとも思わない。ただ俺が今、多少不自由なのにつけこんでいろいろ仕掛けてくるような奴には容赦しねえが、それとこれとは別の話だ。……で、これも別の話として聞くんだが、復讐したい……ああ、復讐って言葉はちょっと微妙かな。まぁいいや。復讐したい心はわからなくはないとさっきあんたは言った。それは俺もわかる。負の連鎖とやらは断ち切るべきだってのもわかる。でも、何もかもを承知の上で、それでもヤりたいんだと言ったら、あんたは止めるか?」 「……それはアダルバートのことだな」 「ああ。そうだ。あいつは何もかも承知してたんだと思う。人が人を殺すということの罪深さも、それがどんなに虚しく、誰をも不幸にしかしないことも、そんなことをしても死者たちが喜ぶわけでもないことも。わかっていて、けれど動かずにはいられなかったんだろう、あの男は」
「『人が人を裁いてはいけない』とあの日、レアル子爵は仰った。私もそれは正しいと思う。裁くのはあくまで法であり天であるべきだ」 「けれど、その裁きが機能していなかった。我欲と気違いじみた愉悦のために1つの村を蹂躙した奴らは、裁かれないままのうのうと暮らしていた。……例えば、5年の強制労働、いや、3年でもいい、1年でもいい。鞭打ちの刑だっていい。何らかの裁きが下ってさえいれば、アダルバートは動かなかったんじゃないかと俺は思うんだ」 「……私もそう思うよ。だから残念で仕方がない。刑が軽ければ、その軽さにアダルバートは歯噛みしたろう。けれど自身で動くことはなかったろうな」 「あいつが信じていたはずのカミサマも、奴らに天罰を与えるようなことはしなかった。けど、アダルバート自身は裁かれるのを覚悟して動いた。……だってそうだろう。カミサマの声を聞く奴が、自ら神に背を向けるようなことをするんだ。どこまでの覚悟があればそんな真似が出来るのか、俺には想像もつかないくらいだ。女神からの天罰が下るか、それとも邪神に引きずり込まれるか、おそらくはその前に、人の世で重い刑罰もあるし、どう逃れたとしても自身を苛む声からは逃れようもない」
そう。世界はそうあるべきだとアダルバートは思ったんだろう。 「わるいこと」をした奴は、法に裁かれ、天に裁かれ、そして自身に裁かれる。それが本当だ。 けれど、自分の家族たちを殺した奴らは、酒を飲んで笑っていた。 確かにそれは私怨だし、復讐だ。 ただ、アダルバートが憎かったのは、あの野盗どもじゃなくて、野盗が裁かれないままでいる世界そのものだったんじゃないかと思う。 だから、自分が重ねた罪で、自分が裁かれるなら……それがどんな方法であっても、裁かれて罰が下されるなら、その時こそアダルバートは快哉を叫んだかもしれない。世界はちゃんと機能している。神は人々を見ている。 名誉やら大義を云々するのでもなく、狂人じみた復讐の念にとらわれるのでもなく。奴はただもどしかしかったんだろう。
「……そのへんをさ。何もかも了解した上で、剣を振るったあいつの『復讐』はそんなに悪いことかな」 温くなった茶を飲みながら、そう聞いてみた。 イエティは、白い髭にまみれた顔を少し歪めてみせた。皮肉げな、この男にはあまり似合わない表情だ。 「例えば、それは法に反することだから。人の道に外れることだから。殺される人間にも家族はいるだろうから。何よりも、神はそれを認めていないから。……君は私にそう言わせたいのかね?」 「言わせたいわけじゃねえが……んー……俺はさ、大多数の人間とやらをあまり信用していないんだ」 俺は自分の耳を軽く引っ張って見せた。 「俺はこんなんだからさ。嫌う奴も多い。小さな村にでも行けば好奇と嫌悪と……まぁ、言ってみれば忌避ってやつだな。でかい街だってそうそう変わらねえよ。それが『大多数の人間』ってやつだ。けど本来、人の道とか人が定めた法とかカミサマの言うことの中には、異種族は差別するべしなんて書かれてねえだろ? むしろ差別しちゃいけないのが理想だとまで言われてる。なのに、大多数の人間は差別する」 「言わんとすることはわかるよ。けれど、それでも、大多数の人間が理想として定めたものを無視しては、それこそ世界が成り立たんのだ。矛盾も、そして時には憤りを感じたとしても、人が人の世を成立させている限り、人は世界を信じなくてはならない」 「……まぁな。だから俺も、アダルバートが結局、ドリーとやらいう男を殺さなかったと知って、まぁそれもありかなと思った。そんなようなことをさ……今、仕事もあまり出来ねえし、家でうだうだしてると、ぐるぐると考えちまう」
こんな自分を裁かないような神なら、すがる価値はない。 返り血にまみれた自分を断罪しないような神なら、自分の心を傾けるには値しない。 けれど、神から離れるのは怖い。 ぎりぎりのところで、アダルバートは神を試していた。 それは多分、神にとっては、人の身で生きる者の身勝手だろう。それでもアダルバートはそうせずにいられなかった。裁かれないままのさばる男たちを知ってしまったから。 それでもしも、自分が裁かれるなら、それでこそ自分の信じた神だと、背を向ける女神の裳裾にすがりついて接吻するだろう。
「非常に、逆説的だな」 イエティはアダルバートをそう評した。 「そうだな、どっちにしろ救われない。けど、そんな奴をさえ、女神が救ったのだというのなら……カミサマってのもそう悪くはないな」 「森育ちの君にそう言ってもらえるなら、女神を信ずる者の1人として嬉しく思うよ」 「とはいえ、うちの相棒はその先のことで悩んで家出しちまったんだよ。理屈に沿わない心をもてあまして……っつーか、逆かな。心に沿わない理屈をもてあましてるのかな」 「けれど、理屈を超越するのが、神という存在だよ」 「…………なるほど。へぇ、なんかあんた、神官みたいじゃん」 「…………君はここをどこだと思っているのかね?」
そういえばマーファ神殿付きの施療院だったなと思い出したその時、急患が運ばれてきたらしく、廊下がざわざわとし始めた。 仕事のようだ、とイエティが立ち上がるのを機に、俺も立ち上がった。 この雪男のような風貌の男と話して、多少すっきりしたなと思いながら。 けれど、周りがどう評価しようと、アダルバートには無関係だろう。俺が考えたことも邪推でしかないかもしれない。
施療院から外に出ると、通りには冴え冴えとした月の光が満ちていた。 |
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| 秋雨の後 |
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| ラス [ 2007/11/11 4:47:04 ] |
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| | ここ数日、冷え込んでいたせいか、無いはずの腕が痛んだ。 おまけに雨だ。 セシーリカにそう愚痴を漏らすと、気休めにはなるかもと言ってマッサージをしてくれた。 が、小さな声で、 「やっぱり、施療院の待合室にいるおばあちゃんみたい」 と呟いていた。
そんなこともあって久しぶりに、仕事場にしている娼館のほうに顔を出すと、スウェンが寝不足の目で恨みがましくこちらを見つめてきた。 どうやら、月末の書類が滞った上に、その書類の再提出を命じられていたらしい。 それならそれで、俺を呼び出せばよかったのにというと、一度は自分がやると言った仕事だから、と気概を見せた。 じゃあ代わりに、ということで、スウェンに押しつけて上前だけハネるつもりだった仕事を自分でやることにした。 俺が担当している通りの隅っこで、素人売春組織がいるらしいという一件だ。
随分と若い、まだ20才前後のような男が2〜3人、同じように若い女たちを使っているらしい。 記憶もあやふやになるくらい、そりゃもういい気分にさせてくれるというが、向こうは荒稼ぎをするつもりはないらしく、なかなか情報が集まらない。 どうやら薬を使っているような節はあるから、10の月のうちに盗賊ギルドにも話を通して、学院の人間に少し調べてもらうことになっていた。 クレフェやライカとも知り合いのクレアという女魔術師のところに行くと、スウェンと同じように寝不足の目でじろりと見られた。 「……あたし、薬草関係は専門じゃないのよね。知ってる子紹介するからそっちに行ってくれない? ああ……貴方も知ってるかしらね。クレフェの義理の姪よ」 それは以前に会ったことがある。確か、ティールと言ったか。 レポートの採点がどうのとぶつぶつ言いながら、クレアは手をひらひらと振って俺を追い払った。……この女とは相性が悪い。
ティールに会って話を聞いてみると、咳止めのルッカが云々ということを聞かせてくれた。 「でもね、ルッカは確かに、半端な度胸の坊ちゃんたちが手を出すには手頃だけど、そこまでの効き目はないはずなんだよね」 別の薬を混ぜてるんじゃないかとティールは言った。 他に品薄になってる薬草はないかと聞くと、小さく肩をすくめた。 「それがね。ないんだよね」 ティールも同じことを考えたのだという。懇意にしている薬種商や薬草採りの野伏にそれとなく尋ねてもみたけれど、とくに目立って品薄なものはないらしい。もともと仕入れ自体が少ないアルニカなんかは普段から品薄だし、そうじゃないものは例年通り、市民が困らない程度には確保できているとか。 ……ということは。 混ぜものとして使っているのは、そんな風にして仕入れや流通量の増減が目立つものじゃないということになる。 例えば酒や香草の類とか、普段からふんだんに流通しているものか。 そうでなければ、そいつらが独自のルートを確立しているかだ。
…………っていうかさ。 同年代の若い奴らが数人グループで、しかもある程度、薬草関係に詳しそうな奴が噛んでいることは確実っぽい。 グループの全員が薬草に精通している必要はないが、少なくとも1人か2人はそういう奴が含まれているんだろう。 勉強なんてのは、金がなきゃ出来ない。 金がなくて勉強したいやつは、遊んでる暇なんかない。 けど、あの素人売春たちは金を稼ぐことが目的というよりも、面白がってるだけのような印象を受ける。 金を稼ぐことが目的なら、もっと頻繁にやるはずだし、そうなればもうちょっと情報も集まってただろう。 イヤだなぁ……そういう奴らって遊び半分で犯罪に足突っ込んでることに気付いてねぇんだよな。
あー、ほら。なんかイヤなビジョンが見えそうじゃん。 金持ちの坊ちゃんどもの暇つぶしでさ、自家栽培してた薬草の変種で面白い効果を見つけちまって、同じように自堕落な金持ちの娘を誘って、繁華街の片隅でそういう遊びに通行人を巻き込んで。あげく、頽廃がどうのとか刹那主義がどうのとか、大人なんてゴミだとか言ってんの。 衛視どもに見つかるんなら、そりゃ親の金もあるからブタ箱入りくらいで済むかもだけどさ。んでもって、ブタ箱入りのことも武勇伝にして、ちょっとしたワルを気取れるんだろうけどさ。 盗賊ギルドに見つかったらどうなるのか、何もわかってねぇんだろうなぁ。親の顔も多少は利くだろうが、仮にもギルドが采配してる仕事をモグリでやってるってことなんだから、それなりの仕置きはあるんだぜ? それをいざとなったらやっぱり親に泣きついて、こんなはずじゃなかったとか、ちょっとした出来心なんだとか、盗賊ギルドなんて自分たちは知らなかったとか言い出すんだよな、そういう奴らって。 そういうのって、三角塔とかに通ってる、金持ちの末子だったりするんだよなぁ。 あー……なんか、そういう流れになりそうでイヤだなぁ……。
「ね、そういえば……知ってる? ルッカを流行らせたのってさ、三角塔に通ってたお坊ちゃんだって」 …………ティール。おまえ、俺の心を読んだのか(がっくり)。 |
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| 決算。 |
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| ラス [ 2007/11/25 17:04:32 ] |
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| | 「ラスさん、見事に引っかかりましたよ。いやぁ、ルッカの亜種と原種の組み合わせというのはすごいものですね。正直、あそこまで記憶が飛ぶなんてなかなか無い体験でした。そうそう、僕への報酬の件なんですが、現金よりも例の薬のサンプルをいただけませんか。お香と、あと飲み物にも入ってたらしいんですがね……」 フォスターが語り始めた。 例の売春グループへの引っかけのひとつをフォスターに頼んだのだが、どうやらうまいこといったらしい。 フォスターは、相手が見事に騙されてくれたことを語るのではなく、そこで使われた薬の効果がいかに興味深いものだったかを嬉しそうに、恍惚とした顔つきで延々と話し続けた。……キメた薬残ってんじゃねえのかこいつ。
それが昨日の出来事だ。 そして今日、見学のスウェンとともに、俺は繁華街近くの宿にいた。 そこへ「奴ら」がやってくる手はずになっている。 【アノスからオランへ移住しようとしている金持ち】の、【その住居の取引のために一足早くやってきた使者の1人】が身分証明に置いていった【家紋入りの指輪と不動産取引委任状の写し】を現金に引き換えてもらうために。 もちろんアノスから云々というのは俺が流した噂だし、その使者というのはフォスターだし、身分証明なんてものはギルドで用意してもらったパチモンだ。 少し上等な身なりをさせて、物慣れぬ風を装ったそんな【使者】たちを何人か、売春グループがうろついているらしいあたりに歩かせておいた。 そのうちの1人、フォスターを客として引っかけた「奴ら」は残念だったろう。金を持ってるだろうと声をかけて部屋にまであげたのに、いざ財布をあらためると現金はガキの小遣い程度しか持っていない。ただ、フォスターは指輪と委任状の写しを差し出して、これを預けるから明日あらためて宿のほうに来て欲しいと言った。その時に現金を支払うから、と。
……大抵、こんな風にして仕掛けるものというのは、幾つかあてが外れる。 泳がせた餌に食いついてもらえなかったり、せっかく食いついても逃げられたり。 あてが外れるからこそ、こういう仕掛けは幾つも用意したり、どう外れたのかによって相手の素性や性格を推測したりもする。 けど、今回は……と考えていたら、夕方になって男と女が1人ずつ、のこのことやってきた。 あー……やっぱり馬鹿だなぁ、こいつら。 しみじみとそう思いながら2人を捕らえ、ギルドに連行した。 そうなれば、残りを捕らえるのもそう苦労はない。相手は戦闘経験がないどころか、古代語魔法だってようやく第一階梯を終えたばかりの若い奴らだ。 全員を捕らえて、縄で縛ってギルドの一室に閉じこめた。男3人、女4人、全部で7人だ。
項垂れたそいつらを眺め渡すと、そいつらは口々に、自分たちはどうなるのか、もうしないから許してくれ、衛視の立ち会いを求める、親に連絡してくれと叫び始めた。 そいつらに、“静寂”の魔法を使いたくなったが、そこはぐっとこらえる。 「なぁ君だって僕らと同い年くらいなんだから、僕らの気持ちはわかるだろう? こんなはずじゃなかったんだ。ちょっとした出来心で。魔が差したというか……。そう、僕らは大人たちの作る世の中がとてもつまらなく見えていてね、決して盗賊ギルドに楯突こうなんて思っちゃいなかったんだよ。そもそも僕らはああいうことが盗賊ギルドの管轄だなんてちっとも知らなかった。なにせ、僕らは三角塔に通う真面目な学生なんだから。ああ、真面目というのは少し違うかもしれないけれど、でも僕らは……」 どうしてこう、言い訳までもがシミュレーション通りなんだろう。いっそ清々しいほどに。 「うるせぇ黙れ。タメ口叩いてんじゃねえぞ、若造どもが」 凄んで見せると静かになった。
「さーてと。どうすっかな、ん? 普通はさ、同業者がコレやると、手首にくるっと一周入れ墨いれんだよ。目印にな。んで、まぁ2回まではその入れ墨とちょっとした仕置きで済ませる。それが3回目になると、その入れ墨のところに斧をいれてな、すっぱり切り落とすわけだ」 そう説明すると、俺の左腕に視線が集まった。示し合わせでもしたかのように一斉に。 「……ああ、これは」 違う、と言いかけて、ふと思い付いた。 「そう、これもな。まぁ俺は“真面目なギルド員”じゃねえもんで。手首を通り越して、二の腕からすっぱり切り落とされたわけだ。片腕ってのも不便でなぁ、どうせならおまえらの腕もらおうか。どれが合うかわからねえから、7本全部もらうよ。どれかが合えばいい。なに、俺は贅沢言わないから大丈夫だ」 この程度で真に受けて、泣きそうなツラをしているやつもいる。……悪事向いてねぇよ、おまえら。 とはいえ、脅しだけで済ませてやるわけにもいかない。
「……っていうかさ。おまえら、盗賊ギルドのこと知ってたろ。とくにそっちの女、リラ。おまえ、マーサの娘じゃねえか。ギルドの縄張りのことも掟のことも全部知ってたはずだ。んで、こいつらにやり方教えたんだろう? ……となると、さっき魔が差したとかナントカ言ってたのも全部嘘だな。おまえらは全て知っていて、それでもルールを破った。てめぇのケツはてめぇで持ってもらうぜ」 とりあえず一晩、ギルドの地下に泊まってもらうことにして、晩飯にはルッカの実を山ほど与えておいた。 食べると腹をくだすというアレだ。
そいつらが地下の便所に一晩泊まっている間に、一応、上役に相談しにいった。 没収した売り上げは報酬としてくれてやるから、表沙汰にならない程度に適当に仕置きしておけ、と素晴らしく具体的で明確な指示をくれた。 奴らに入れ知恵したリラの他は、そこそこ金を持った家の出だ。多分親のほうに話をつけて賠償金はたっぷりふんだくってあるのだろう。 野郎どものほうは適当に痛い目を見せて寒風吹きすさぶスラムにでも放り出すことにして……女どものほうは、ギルドの死体置き場の掃除でもさせるか。今ならちょうど、こないだ衛視局から引き取った、ほどよく腐った死体がいくつかあるはずだ。 ギルドの地下には拷問部屋もあるから、悲鳴が便所にまで届いているだろうし、左腕を云々という話を鵜呑みにしてる奴もいるだろう。 少なくとも、盗賊ギルドは優しい場所じゃないってことを噛みしめる一夜になるはずだ。
……なんでこんな馬鹿どもの始末にこんなに手間を……。 ぶつぶつ言いながら収支の計算をする。 押収したのがこんだけで、かかった経費がこんだけで、手伝いの奴らに払う報酬がこんだけで……残りが…………うん、まぁこういう仕事もたまにはいいか(謎)。 |
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| 再生 |
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| ラス [ 2007/11/29 1:22:07 ] |
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| | 腕を無くしてから約3ヶ月。 多少の不便や不自由はあるけれど、まぁどうってことはない、と。そう思っていられたのは、神殿での奇跡を予約してあったからだろう。 再生の奇跡とは言っても、後遺症が残る場合もあると聞いたことはある。 それでも、喪ったままではなく、それはちゃんと「再生」するのだから、と。
そして今日、マーファ神殿からの呼び出しを受けた。
ナントカって名前の司祭(←忘れた)が、ごにょごにょと俺には聞き取れない神聖語の祈りを捧げると、次の瞬間には俺の身体がふわりと白い光に包まれた。 全身をさわさわと撫でられているような感覚に思わず眼を瞑る。 左腕があったあたりに、ざわりとした感覚が走る。いや、左腕だけじゃない。なんだかあちこちでざわざわとした。 次の瞬間、何日か前からずっとあった、左腕の「無いはずの痛み」が、唐突に消えた。 目を開けると、ナントカ司祭がにこやかに微笑んでいた。 「ああ、いいようですね。はい、終わりですよ。マーファ様の慈悲が今、貴方の身体に奇跡をくだされました。貴い御力が……」 「終わったのか。思ってたより早いな。さんきゅー」 ナントカ司祭の口上は途中から聞いていなかった。 セシーリカが、良かったとか女神様ありがとうとか、その他もろもろ意味不明なことを口走りながら抱きついてきたせいもあるし、まぁ最初からあまり聞く気もなかったし。 とりあえず寝台に横たわったままじゃ左腕は見えない。持ち上げようとしたが……持ち上がらなかった。 「……ん?」 右腕だけで身体を起こす。途端に、左肩にずしりと重みが加わった。 新しい左腕が、そこにあった。
「なぁ、イエティ」 セシーリカの後ろにいたイエティに声をかける。ナントカ司祭はまだ何か喋っていたが、俺が聞いてないことがわかると、もにょもにょと誤魔化して、イエティに「後はよろしく」と言って部屋を出て行った。 「いやぁ、成功してよかった。なにせ大きな奇跡だから」と、イエティはにこやかだ。 「なぁイエティ」 「どうかしたかね?」 「どうかしたもなにも。……これは本当に成功なのか?」
確かに新しい腕はある。左肩にその重みも感じる。 が、それはぴくりとも動かない。右手でそれを触れば確かに生温かい感じはするけれど、右手で「触った」感触はあるのに、左手のほうに「触られた」感触はない。 「ああ。成功じゃないか。立派な左腕だ」 どれ、とイエティが俺の左腕を持ち上げる。そのまま大きな手でさすり始めた。 新しい左腕はなんだか頼りない。右腕に比べて細いような気がするし、色も白いように見える。あげく、力が入らないどころか、さすられようと持ち上げられようと、何も感じない。 「どこが立派だ。これ、誰か別の奴の腕じゃねえの?」 「最初はそんなものだよ。少しずつ感覚を取り戻さねばならん。まずはマッサージをして、皮膚の表面の感覚を蘇らせねばな。次は肘の曲げ伸ばしをして、肘が動けば肩も動くはずだ。そうして手首、指、と少しずつ」 ほら、とイエティが俺の左肩を支えながら、肘の曲げ伸ばしをさせる。 確かに動く。そして、肩はもともとあったから、それが動くのはわかる。 「ほぅら、元通りじゃないか」 セシーリカもぶんぶんと音がしそうな勢いで頷く。 「そうだよ、よかったね、ラスさん! ほんとのほんとに再生したんだね。よかったぁー!」 「……ぇー?」
それから、マッサージの仕方だの、リハビリの順序だのいろいろと聞かされた。 「2、3日は、外を歩くときなんかは腕を吊っておいたほうがいいだろう。感覚がないまま自由にさせておくと思わぬ怪我をする」 「……ぇー?」 「最初の2日くらいは無理をせず、表面のマッサージのみだな。明後日あたりから関節の曲げ伸ばしをするといい」 「……ぇー?」 「……不満そうだね」 「…………」
いや、不満なわけじゃないんだが……。 期待ハズレ感?みたいな? まぁそりゃ確かに、奇跡が終わった直後からばっちり元通り!ってのを期待していたわけじゃないけれど。 でももう少しまともになると思っていたのは確かだ。 ……だってさー。ぶっちゃけ、3ヶ月も待ったんだしさー。 これって見た目、失敗ぽくね?
「腕が細く見えるのは筋肉が落ちているせいだろう。それは少し経てば元通りになる。そして白く見えるのは……気付いたかね? 産毛しかないせいだよ」 言われてまじまじと左腕を見ると、確かに前腕には産毛しか生えていない。 もともと毛深いほうではないし、毛の色も金色だから目立ちはしないけれど、右腕のほうにはちゃんと毛が生えている。 あとは、多少の日焼けの差か。 考えてみれば、左腕のほうは生まれたてで陽も浴びてないんだ。当たり前か。 「君はまだ良いほうだよ。日焼けした屈強な男が片手を再生したことがあるんだがね。左右の差は著しいものだった。まぁ今は長袖の季節だし、目立たなくていいだろう。それに、少なくとも『無いはずの痛み』は無くなったはずだ。違うかね?」 違わない。確かにそれだけでもありがたい。 「まぁ、さっき渡したスケジュール表通りにリハビリをしていけば、1週間後にはほとんど不自由は無くなってるはずだ」 「それは、日常生活レベルで?」 「…………そうだ」 「……その先は?」 「君次第だよ。完全に元通りになる可能性は、充分に高い」 「OK。その答えはわかりやすい」
「よかったね、ラスさん。リハビリ、わたしも手伝うよ! がんばろう!」 セシーリカは嬉しそうだ。 「えっと、確かにまだ出来たて(?)だから、ちょっと頼りなく感じるけど……」 「……やっぱり(がーん)」 「あ、でもほら! 見て、右腕とそんなに変わらないよっ!」 「えぇっ!?(更にがーん)」
帰り際、「ぶらぶらさせておくのは危ない」と言われて、やっぱり左腕は三角巾で吊られてしまった。 感覚の無い左腕はされるがままで、吊られた布の中から自力で抜け出すこともかなわない。
……ちっくしょ、ゴキゲンな腕だぜ。 |
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| 奇妙な感覚 |
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| ラス [ 2007/12/03 3:39:28 ] |
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| | 左腕は順調だ。…………多分。 一度落として再生するなんてことは過去にしたことがないから、これが順調なのかどうかはわからないが、「1週間程度で日常生活レベルにはなる」とイエティが言ったことから考えれば、3日経ってこの状態というのは順調のように思える。
現状は、とりあえず動く。ただ、力はあまり入らないし、指先の動きは未だぎこちない。 それでも、表面の感覚が戻るにつれて、神経や血管がさわさわと末端に向かって伸びていくような感覚があった。 まだどこか、自分の腕じゃないような気はするが、痺れがほどけていくような、腕の中で神経が少しずつ張り巡らされていくような、そんな感覚は妙なリアリティを与えてくれる。 そういえばこの感覚は、女と寝た時にうっかり腕枕をしたまま眠り込んだ時のような感覚だ。 半日でもとに戻るようなそれが、1週間かけてもとに戻るとすればこんなものか。
「ラスさん、これ使うといいよ」 そう言ってセシーリカが持ってきたのは、短い棒の両端に砂袋を結わえ付けたものだ。 「これを持って肘を曲げ伸ばしすると、筋力アップになるって。わたしが使ってたやつだけど……」 右手で受け取っただけで重かった。 もちろん、左手では支えることすら出来なかった。 「…………」 セシーリカは一瞬だけ不満そうな顔を見せて、黙って砂袋の中身を半分に減らした。
少し前にセシーリカと話したことでもあるが、神の力というのは理屈を越えた力だと思う。 今、俺の左腕にはちゃんと血が流れている。不自由ながらちゃんと動きもする。 骨があって、肉があって、血が流れていて。 それらは、そこに精霊の力が働いているということだろう。 その精霊たちはどこからやってきたんだろう。 何も無かった場所に、忽然とそれは現れた。 そして、俺の中の生命の精霊はそれを受け容れた。
以前、左腕にあった幾つかの傷痕は消えている。 傷1つない生まれたての肌は、確かにまっさらな新品に見える。 「もとに戻った」のではなく、「新しく再生した」のだから、当然と言えば当然だ。 「古い腕」はマーファ神殿の片隅に埋めたとセシーリカは言っていた。 だから今この瞬間、俺には「新しい腕」と、今まさに物質界に還ろうとしている「古い腕」とがあるわけだ。 考えてみると、それは随分と奇妙なものに思えた。 けれど神の力はその奇妙なことを実現させる。
そして神の力は、ことのついでに色々なものを「再生」したらしい。 今日の昼、食事をした時に口の中に違和感を感じた。 食事の後に鏡を覗いてみると、以前、喧嘩をした時に欠けたはずの奥歯がもとに戻っていた。不完全な形だったものがちゃんとした形になっている。 ひょっとして、と思って、服をめくって身体の傷痕を確認してみると、もともと薄かった傷痕はほぼ消えていた。深かった幾つかはまだ残っているが、これもそのうち消えるのかもしれない。
「これは癒す力ではないのだ」とイエティは言った。 身体の内にあるものを賦活するのではなく、損なわれているものを再生する力なのだ、と。 なるほど。欠けた歯や、皮膚に刻まれた傷痕は、「損なわれている」とされたらしい。 損なわれたものを補う……いや、再生する力。それは、精霊の力にはないものだ。 もともとあるものをどうこうするのではなく、そこに新たに与えることは、神だけに許された力なのだろう。 カストゥールの人々が使った「人を越える力」であっても、それは神の力ほどには超越していない。無から有を生み出すのが魔術だと言われてはいるが、実際にはマナがあって成り立つのだから、完全な「無」とは言えないだろう。 けれど神の力は、本当に「無かった腕」を創りだした。
──神なんか、何も出来ない。 昔、そう言ったことがある。半妖精の友人もそう嘆いて死を選んだ。 けれど……そう、随分と即物的だとは思うが、少しだけ考えをあらためてみてもいいかもしれない。
リハビリついでに、そんなことを考えてみた。 頭の中は暇だし。 |
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| 鍛錬決定 |
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| ラス [ 2007/12/10 2:22:25 ] |
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| | 結局、幾つかの傷痕は残ったままだった。 消えることを特に期待していたわけでもないし──それを言えばそもそも左腕にあったもの以外の傷痕まで消えるとは思ってもいなかった──消えなかったとしても不都合はないのだから、それはそれで構わない。 そうやって幾つかの傷痕は残っているのに、10年以上も前の怪我で変形していた左足の小指の爪はもとに戻っている。 カミサマの律儀さっていうのは、どこか推し量れない。 というか、実はすげぇ適当なんじゃねぇの?とか呟いたらセシーリカに怒られた。
そして左腕自体に傷が残っているのは、これまた不思議だ。いや、ある意味納得は出来るし、特に不都合もないんだが、「再生」が及ぼす力というものの理不尽さがそこにあるような気がする。 つまり、左の二の腕、その半ばに、二の腕を一周する細い傷痕が残っているということだ。 そこから先は新しい腕だぞと主張するかのように、二の腕には薄赤く細い線が描かれている。 再生する前に、一旦は傷口がふさがって、傷口は新しい皮膚に覆われて断端はやや丸みを帯びていたはずなのに、それでも「そこから先が再生したもの」なんだろうか。 全く、解せない。 解せないが、この傷痕は消えるよりも残っていたほうが自戒にはなると思った。
左腕の動き自体には、思ったよりも不自由はない。 盗賊ギルドで、「この箱、左手だけで開けてみろよ」と罠箱係のおっさんに箱を渡された。 なるほど、それが出来ればある程度の目安にはなるなと思って解錠ツールを手にした。 ツールの先端で感じるわずかな突起や空隙を、細い鋼の棒から左手に感じつつ作業を進めるが、あと一歩のところで思うように動かない不器用さに苛立つ羽目になる。 そしてややしばらくそれと格闘していて、不意に気付いた。 ……そういえば、そもそも以前もコレは出来なかったんじゃねぇか? 俺は右利きだ、と言って箱を放り投げると、今頃気付いたのかとおっさんは笑った。
その後、娼館に顔を出すと、スウェンが待ちかねていたように俺の目の前に資料を広げた。 「兄さんが留守の間に、シメなきゃならない野郎が列を成してたんだよ!」と資料の説明を始める。 荒事に関しては、隣の通りを仕切っている奴に任せていたはずだがと言うと、確かに急ぎの荒事はそいつが片付けてくれたらしいが、その分、急ぎじゃないものを交換条件としてこちらに回してあったらしい。 「復帰祝いなんだから、ちゃっちゃと片付けちゃってくれよな、兄さん!」 スウェンは張り切ってスケジュールを組み始めたが、俺はそこまで勤労意欲に富んでいるわけじゃない。 1日2件までな、と釘を刺しておいた。
スウェンの「復帰祝い」はともかくとして、体術の訓練(と実戦)の必要はあるだろう。 左腕が無い間、動きに変な癖をつけないようにと思って、あえて身体を動かすことはしなかった。 左腕が再生された直後は、腕1本がなんて重いんだと感じた。それは左腕を無くした後に、たかだか腕1本で妙に身体のバランスがとりにくいと感じたそれと同質のものだったろう。 ただ、重さの感覚というのは毎日の生活で慣れる。新しく再生した腕をある程度自由に動かせるようになれば、感じる「重さ」は解消された。 だから妙な癖はついていないし、いざ動けばもとの感覚を取り戻すのにそう時間は掛からないだろう。 けれど、運動不足ではある。 地道な鍛錬というのは柄でもないが、まぁしょうがない。
とりあえず「リハビリ」という名目が最も功を奏したのは、家の中でだった。 ここ最近は、料理が出来るようになりたいという、セシーリカの無謀な挑戦を見守る(もしくは受けて立つ)ことになっていたが、「これもリハビリの一環だから俺に料理させろ」と言うとセシーリカは黙って引き下がった。
そんなささやかな勝利に満足を得て、久しぶりにチャ・ザの公衆浴場へ足を運んでみた。 脱衣場で服を脱いでいると、湯上がりらしいロビンに会った。 「なんだ。腕生えたのか」 「生えたとか言うな」 「どうせなら股間のそれを切り落としてもらえば悪さも出来なかったろうにな。残念だぜ」 「じゃあおまえの時には腕じゃなくてそれを落としてもらえよ」 「それにしても……」 「なんだよ」 「その腕、なんだか生っちろいな。間違えて別の奴の腕をくっつけられたんじゃねえの?」 「……」 自分でも思っていることをロビンに指摘されてつい言葉を失う。 そういえば、再生直後にもセシーリカと似たような会話を交わしたっけ、と思い出した時、ロビンが更に付け加えた。 「あ、でも右腕とそんなに変わんねえか」 「……やっぱりっ!?(がーん)」 それきり、ロビンは興味を失ったようで、鼻歌を歌いながら自分の髪を拭き始めた。
くっそー。 |
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| 偏食 |
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| ラス [ 2007/12/23 1:56:33 ] |
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| | 「……あ。ニンジン食べてる」 今日の昼、たまたまコーデリアと食事をしていて、そう言われた。 確かにもともとニンジンはあまり好きじゃないが、食べられないほど嫌いというわけでもない。 出来れば食べたくないとか、一緒に食事をしている相手に押しつけられるものなら押しつけたい、という程度だ。 けれど今日は、シチューに入っていたニンジンをコーデリアに押しつけもせず、自分で食べた。 好きになった、というわけじゃない。 ただ……。
最近、セシーリカが料理に情熱を注いでいる。 左腕再生後しばらくは、「リハビリのため」と称して俺が料理をしていたが、実際にある程度リハビリをして仕事に復帰すると、仕事に時間をとられるせいでなかなかそうはいかない。 くわえて、セシーリカが自宅で作ってそれを持ちこむことまでは阻止できない。
以前、シタールがセシーリカの料理を評したことがある。 「素材の味はする」と。 的を射た意見だと思った。 素材の味はする。 だが、それ以外の味もするし、非常に独創的な素材の組み合わせを発見したりもする。
少し前、俺はその日の夕食のためにホワイトソースを作っていた。 本当はそれでチキングラタンを作るつもりだった。 が、料理をしている途中でギルドからの急ぎの呼び出しを受けた。 ファントーに、少し出かけてくると言い置いて家を出た。 結局、呼び出された内容は急ぎではあったけれどたいしたことはなくて、半刻ばかりで家に戻った。 すると家には、泣きそうな顔をしたファントーと、にこにこしたセシーリカがいた。 俺が作る予定だったチキングラタンは、セシーリカの手によってホワイトクリームシチューになっていた。 ただ、ホワイトソースは失敗していないはずだし、我ながらなめらかに出来たと思っていた。 そしてシチューの見た目は普通だった。 だから油断した。
「……あのな、コーデリア。普通の食事ってのは、すごくありがたいもんなんだぞ」 「はぁ? ナニ言ってんのぉ?」 そりゃ食事は大事だけどぉ〜とコーデリアは首を傾げた。 芋の代わりに梨が入ってたりしなくて、ニンジンは渋柿じゃなくてちゃんとニンジンで、添えてある彩りは生ニラだったりしないクリームシチューがどんなにありがたいか、きっとこいつは知らない。 食事をした店は、一流のレストランなんかじゃなくて、街の片隅によくある食堂だけれど、少なくとも、隠れていない隠し味なんかないし、生焼けの魚が出てきたりもしない。 もちろん、食べた数刻後に下痢や吐き気や胸焼けを催すこともなくて、変な汗が出ることもない。
……少なくともニンジンを残さないようになったのは、セシーリカ効果なんだろうか。 |
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| 暗号 |
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| ラス [ 2008/03/01 3:27:10 ] |
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| | 「ねぇこれぇー、なんて書いてあるのぉ?」 フランツの店の張り紙を見つめながら、コーデリアがそう聞いてきた。 なんのことだと聞き返すと、バザードの張り紙に俺が書いた返事のひとつがよくわからないのだという。 いわく、東方語としては文章になっていないとか。 「バザードったらぁ、『きっとこれは僕の知らない暗号なんだ! ラスさんはまた僕が知らない言葉で…っ! は! いや、ひょっとしたら共通語の時と同じように、ラスさんは僕が読めるものだと思い込んでいるのかもしれないな……』なぁんてぶつぶつ言ってたんだけどぉ。……これってアンゴウ?」
なるほど。まぁ確かに、東方語は不得手だから、幾つか文章の間違いはあるかもしれない。 東方語に限らず、西方語も読解や書き取りは苦手だ。 それぞれを使う地方に何年も住んではいるから、日常会話ならなんとかなるが、やっぱり母国語と同じようにとはいかない。 それでも、自分の記憶力とか学習能力が劣っているとは思わない。 ただ単に、覚える気がないんだ。
昔、両親と一緒に住んでいた頃──まぁその頃の記憶はほとんど無いが──母親は西方語が母国語だった。父親はエルフ語だった。2人とも冒険者をしていたから、互いに意志疎通をする言葉として選んだのは共通語だった。 だから当然、3人で暮らしていた家の中では共通語で話していた。 外に出れば、近くに住んでいた同世代の子供たちは西方語を話していたが、そいつらと交流はなかった。時折投げかけられる言葉は覚えるに値しない言葉ばかりだった。
そうして、共通語もまだたどたどしかった頃に、住む環境が変わった。 森に住むエルフどもは、エルフ語と精霊の言葉以外の言語を森の中で使う気はないようだった。 自然、エルフ語を覚える羽目になる。 父親と暮らした家の中では共通語、森の中ではエルフ語という暮らしになった。 そこに西方語と東方語が入り込む余地はなかった。
森を出てからタラントの街で暮らした時も共通語で事足りたし、その頃に古代語を習わされたせいで、それ以上他の言葉を覚えるのが面倒にもなっていた。 多分、拗ねていたんだろう。 覚える気がないというよりはむしろ、覚えたくないと言ったほうが近いのかもしれないくらいに。 それは、自分にとっての『母国語』がエルフ語になってしまったのが悔しかったんだろうと思う。 それを母国語に『させられた』ことが。 なのに、そこは決して『母国』ではないことが。
「これってぇ、カークをスラムで見たってこと?」 「そう書いてあるだろ」 「どこにぃ?」 「……」 「でぇ、スラムの男たちが3人でカークを料理して食べちゃった?ってカンジ?」 「そんなことがどこに書いてある」 「ここぉ」 「……」 「っていうかぁ、『かゆうま』ってアンゴウ?」 「そんな暗号なんか聞いたこともねぇよ」 「じゃあこれナニ?」 「意味は知らねぇ。東方語で文章に自信が無くなったら、最後にそれを書き込んでおけばオマジナイになるってシタールに習ったんだ」
そういえば、何のまじないなのかは聞いていなかった。 見ると、コーデリアは微妙な表情をしていた。
……東方語の読み書きくらいは、ファントーあたりに習っておいたほうがいいのかもしれない。 |
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| 霹靂 |
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| ラス [ 2008/07/14 1:45:57 ] |
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| | 「あのね、わたしね、……出来たみたい」
蒸し暑い夏の昼下がり、起き抜けに耳にする言葉として考えるなら、インパクトという点でかなり上位に入る言葉のひとつだろうと思う。 この類の言葉は何度か聞いたことがある。 仕事上の相談以外なら、今までで3度。どれもまだ西にいた頃だ。その3度は、3度とも狂言だったな、とふと思い出す。 けれど今回はそんなんじゃないことくらい、セシーリカの顔を見ればわかる。
なんとなく、右斜め上を見ながら考える。そこに何らかの答えが書いているわけでもないけれど。 セシーリカは、望んでいるんだろう。顔にそう書いてある。「産んでもいいかな」と。 こういう時、女はずるいと思う。 女はいつだって心の準備をしている。先に気付くのは必ず女のほうなんだから。 実際に体の変調として何かを感じ取って、ひょっとしたらと想像して、そうして女は覚悟を決める。 けれど男はいつだって、言葉で告げられるだけだ。それも唐突に。 男の側にだって、何らかの猶予とか予兆があってもいいんじゃないだろうかと以前から常々思ってはいたけれど、それを今このタイミングで言っても怒られるか呆れられるか泣かれるかのどれかだろうとも思う。
……セシーリカならいい母親になるだろう。 俺は…………いい父親にはなれないかもしれない。
じっと俺を見つめていたセシーリカが、小さく身じろぎをした。 それを見て、返事をしていなかったことを思い出した。 そしてついでにもうひとつ思い出す。
「……しまったな」 「…………え」 「順序が逆になった。マーファはそういうのうるさくねえの? 結婚してなきゃ産んじゃ駄目とかそういうの」 「う、うん。誉められることじゃないけど、別にそんな……」 「そっか。じゃあとりあえず挨拶しといたほうがいいのかな。リデルとか……あとカールとかもおまえの後見だよな?」 「ちょ、ちょっと待って、ラスさん!」 「なに? ……ああ、どうする? カレンとファントー追い出して、ここで一緒に暮らすか?」 「え、なんで!? 追い出さなくても別に……って、そういうことじゃなくて! 待ってってば!」
ぐ、と服の袖を掴まれた。 「……本当に?」 真剣な瞳で囁かれる。 「うん。……まぁ、それもありじゃねぇ?」 「いいの……?」 「おまえが嬉しいんならいいよ。俺はいい父親になろうとか、今の仕事をやめてもっと堅実にとか、そういう変化に積極的じゃないかもしれないけど、おまえはきっとそういうことを求めてないだろうし」 「う、うん。それは……そうかも。ああ、でもよかったぁ。すっごいどきどきしてた」 「ただ、実感とかそういうのは、もう少し待ってくれ。……俺にとっては今のところ、遺跡のガーディアンとの戦いよりも唐突な事態なんだから」 「…………へ?」 「あとな」 「ん?」 「…………ちょっと時間くれ。顔洗ってくる」 「……」
……そう。 これならまだ、遺跡の深部でヘルハウンドと対峙しているほうがまだいい。
……今年の夏は、なんだかいろいろ大変そうな気がする。 |
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| ……ん? |
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| ラス [ 2008/08/04 2:55:08 ] |
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| | とりあえず色々と──主に俺が精神的に──落ち着いてから、カレンとファントーには話した。 ファントーは「わーお」と言って驚いていたし、カレンも少し眉をあげて「……へぇ」とは言ったけれど、あまり驚いてはいなかったようだ。ひょっとしたらカレンは知っていたのかもしれない。 2人揃って「おめでとう」と言うから、「それはセシーリカに言え」と言ってやったら、ファントーは小首を傾げた。 「ラスだっておめでとうでしょ?」 ……まぁ。そうか。……そうなるのか。 「新婚夫婦の家に居候するわけにもいかないな」 カレンがどことなく嬉しそうに言う。 「え。じゃあオレも独り立ちしなきゃ! うわー。どうしよう」 ──おまえら揃って余計な気をまわすな。
そして、少し前からセシーリカが家にいる。 チャ・ザ祭りの関係もあって、俺はあまり生活時間帯があわないが、同じ家にいれば一緒に過ごす機会も多い。 あの中に命があるのか、と思って時折セシーリカの腹のあたりを見つめるが、特にそこに何らかの気配を感じるわけでもない。 やっぱり男にとっては、すぐに実感できるものでもないらしい。 今はまだ膨らむ気配すらないあの下腹は、いつどうやって丸くなっていくんだろう、なんてことを考える。 そして今は感じ取れない生命の精霊の気配はいつ生まれるんだろうと思う。 臨月も近いような……そうでなくとも、腹の膨らみが目立つ頃になると、そこに小さな生命の精霊の気配を感じることは多い。男はもともと、その精霊との交流は得意じゃないが、感じ取るだけなら可能だ。 ただ、道行く女たち全員の気配なんて探ったことはないし、こうやってそばにいて日々観察したこともないから、いつどうやって精霊が生まれるのかは知らない。 それが感じ取れるようになれば、俺も多少は実感できるだろうか。もしそうだとしたら、精霊使いじゃない他の男どもよりは、少し早くから実感できるのかもしれない。
そんなことを思いながら、今日も仕事をしていた。 祭りの前後は毎年、オランに人が多くなる。西からの物流が怪しくなってきてる今年もなぜか祭りに関しては例外らしく、真夜中を過ぎても娼館のある通りは賑やかだった。 「……次の休みって、いつだっけ。スウェン」 うんざりしながらスケジュールを訊ねると、スウェンもうんざりしたように返事をした。 「祭りは明日で終わりッスけど、その後何日かはまだごたごたしますからねー。……あ。兄さん、それとは別にちょっと揉め事っつーかなんつーか、ごたごたまではいかないンすけど、こたこた?くらいまでかな。ありまして」 「なんだそれ」 「いえ、ヒルダねーさんと、エリスねーさんが、ちょっと内密に相談したいことがあるとか」 そう言った後、スウェンはきょろきょろと周りを確認してから、俺の耳に口を寄せてきた。 「……実は、デキちまったらしいんで」 「…………は?」 「いや、だから……妊娠したらしいんスよ」 「…………流行ってんのか」 思わず呟いた一言に、スウェンは首を傾げた。 「2人だけだから、流行ってるってほどでもないッスけどね。あ、でもマリねーさんの様子も最近おかしくないっすか?」 「確かにな。浮かない顔してるし、顔色が悪かったな。声かけてみたんだが、スルーされたし」
娼館では珍しくないことだ。 珍しくはないが……ここ2〜3年は、薬師の腕が良くて、娼婦たちの避妊はうまくいっていた。 最近になって薬師を変えたわけでもない。 「おい、それ、詳しい事情を……」 「へっへっへ。そう言うと思って、ちゃーんと調べました! あたしだって役に立つんですよー。兄さんがこないだ、夏風邪ひいてたっぽいんで、そこで恩を売ろうと、じゃないや、兄さんのためを思って!」 無言で耳を引っ張ると、スウェンは続きを話し始めた。 「あいたたた! 暴力反対! あーいてて……で、ですね。ヒルダねーさんとエリスねーさん、んでもって、ついでにマリねーさんも、診てもらってた産婆が同じばーさんなんですよ」 「……まさか、その婆さん、頭にウロがきてるとか?」 「うーん、そこが確証掴めないんすよね。しっかりしてるようではあります。あたしがうろついてる間にも、1人、赤ん坊取り上げてたみたいですし。もちろん無事に」 「その産婆の名前と住まいは?」 「エーディト婆さんです。もとはマーファの産院で働いてた産婆で、何年か前に年を考えて引退したらしいっす。住まいは、ヴェーナー神殿の裏っかわのほうで」
………………ん? エーディト婆さん……? ………………。
……聞き覚えあるなぁ。
「……で?」 「……はい?」 「調べた結果は?」 「だから、確証が……」 「掴めるまで調べろボケ」 とりあえずスウェンを外に放り出した。 祭りが終わったら俺も調べてみるか。 |
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| 頼み事 |
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| ラス [ 2008/08/19 3:42:50 ] |
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| | 仕事で朝帰りをすると、家では出勤前のセシーリカと夜勤明けのカレンが茶を飲んでいた。ファントーはとっくにどこかへ出かけたらしい。 「おかえりなさい、ラスさん」 そう言われ、ただいまと返事をしながらふとセシーリカの腹に視線がいく。 やっぱりそこに生命の精霊を感じ取ることが出来なくて、それが「まだ感じられない」というだけなのか、それとも……と考える。 後者だった場合、セシーリカはがっかりするに違いない。おそらくカレンも、そしてファントーも。 俺は……どうだろう?
幾つか調べた結果、エーディト婆さんの診断は7〜8割が誤診らしい。 婆さんに妊娠を告げられていた何人かの娼婦たちは、それぞれにほっとしたりがっかりしたり、複雑な表情を見せていた。 そもそも、腹が膨らむ前の妊娠の診断というのは、ほとんどの症状が自己申告らしいから、初期には間違える医者や産婆もいるとは聞く。 ただ、女たちは自分で「そうかな?」と思って婆さんのもとを訪れるのだから、当てずっぽうでも五分五分にはなりそうなものだが、婆さんの的中率は2〜3割だ。 娼婦の付き添いとして、変装して婆さんのところを訪れてもみたが、確かにベテラン過ぎる年齢ではある。それでも、存外にしっかりしているようだ。少なくとも、精神の精霊におかしなところは見受けられなかった。 だとしたらその誤診率の高さはなんだ。まるでわざと外しているような。 婆さんのところに行った女たちのことだけじゃなくて、婆さん自身の人間関係も調べたほうがいいのか。
……いや、俺自身、その問題を解決するつもりがあるんだろうか。 セシーリカに一言言えば済む。 「あの婆さん、最近診断が危ういらしいから、別の医者にも診てもらえ」と。 でも、昔はマーファ神殿で産婆をやっていたというエーディト婆さんのことをセシーリカは信頼しているし、結果に喜んでいる。 今、俺の口から「別の医者に」と言ったらセシーリカは怒るだろうか。 やっぱり嬉しくなかったんだ、と言われかねない。
……うーん。
「ラスさんもお茶飲む?」 「……ああ。頼む」 「ねぇ、昨夜はちゃんと食事した? ダメだよ、暑いから食欲ねぇー、とか言って食事忘れたふりするの」 「あー……食ったヨ?(語尾上がり)」 そこでカレンが、ふと気付いたように口を開いた。 「……何食った?」 「………………………………西瓜」 俺の答えにセシーリカがびっくりして振り向く。 「そんなの食事じゃないじゃないか! ダメだってば、ちゃんと食べなきゃ!」
セシーリカから茶を受け取って、聞いてみる。 「おまえは? 食事もだけど……えーと、体調は?」 「うん? 大丈夫大丈夫。なんか、最近は食事が美味しくて。わたしも暑いの苦手だから、冷たいものばかりになりがちだけど、でも意識してあったかいもの食べるようにしてるし。ラスさんこそ、そんな、カブトムシみたいな食事で仕事して大丈夫?」 「大丈夫だよ、別に肉体労働してるわけじゃ……いや、たまには体も使うけど」
そこでまたカレンがちょっと考えて口を開く。 「……どうせ、晩飯が西瓜なら、昼飯は桃だったとか言うんだろうな」 ──なんで知ってるんだろう。 「……大丈夫とか言ってる割に顔色は良くない。頭痛とかするんじゃないのか」 「…………ちょっとだけな」 「胃腸の具合は?」 「………………好調とは言い難い」 「ふぅん……目眩とかは?」 「いや、それはまだない」 そこで、カレンが「ほらな」と言って、セシーリカに顔を向ける。 「コイツの場合は、具体的に聞かないとダメなんだよ。具体的に聞けば、案外と嘘は言わない。……このコツは覚えておいたほうがいい」 あとで帳面に書き記しておこうと言わんばかりに、セシーリカがうんうんと大きく何度も頷いた。 ……くそっ。
セシーリカが神殿へと出かけた後、台所で食器を洗うカレンを見て、ふと思い付いた。 「なぁカレン。相談が……いや、相談っつーか、頼みがあるんだが」 カレンに事情を話して、カレンからセシーリカに言ってもらおう。
「実はな……」から始まる、エーディト婆さんにまつわる話を、カレンは黙って聞いていた。 |
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| 予想外 |
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| ラス [ 2008/09/20 23:25:40 ] |
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| | 「……ごめんなさい」 そう言って、セシーリカは報告を終えた。そして、俺の反応を確かめるように、じっと見つめてくる。 驚きはなかった。俺は、おそらくそうじゃないだろうかと思っていたから。 けれど、「そうか」と答えた後、小さく息を吐くのは堪えきれなかった。
これは、予想外だと思った。 いや、そうじゃない。予想してはいた。 けれど、予想していたことが予想外だったというか、自分がそう予想することが予想外だったというか。
「がっかりした?」とセシーリカに聞いてみた。 落ちこんだ顔で頷かれることを予測して、少しばかりおそるおそる問いかけた言葉だが、案に相違して、セシーリカは真顔で小首を傾げた。 「ううん、そうでもない。……でも、そうでもなかったことに、ちょっとがっかり」 「なんだそりゃ」 「……わたし、もっとがっかりすると思ったんだよね。出来たんじゃないかって思った時にすごく嬉しくて、もちろん嬉しい反面、ちょっと不安もあったんだけど、でもとにかく嬉しかった。それがそうじゃなかったってわかったんだからもっとがっかりすはずなんだ。でも、意外とそうじゃなかった。 ……ラスさんは? がっかりした?」 俺と同じように、少しばかりおそるおそる問いかけてくる。
「んー……」 ……予想外だ。どうやら俺は些かがっかりしている。
昔、盗賊技を仕込んでくれた爺さんは、盗賊としての心構えとして、いつでも最悪の事態を想定しろと俺に説いた。 その時考え得る最悪の事態を想定していれば、起こる出来事はいつだって、予想よりも少し良いものになる。そうでなければ予想通りのことになる。慌てずに対処出来るから、と。 そして俺が今回、元マーファの産婆の誤診率の高さを耳にして、少し調べてから、それをセシーリカにそれとなく伝えてくれるようカレンに頼んだ後、俺が想定していたことは。 『子供がやっぱり出来ていなくて、セシーリカの症状はなんらかの深刻な病気で、セシーリカは肉体的にも精神的にもひどくダメージを受けるかもしれない』というものだった。 『子供はやっぱり出来ていて』というのは、悪い方の予想には入っていなかった。 それを、今更ながらに思い知る。 そして、俺の最悪の予想は、3分の1しか当たっていなかった。ただ、そもそもどうして『子供が出来ていなかった』という事実を悪い方の予想に入れてあったのか。自分でも解せない。
「なんていうか……俺は甘党じゃないんだけどさ。でも例えば焼きたてのハニートーストは美味いと思うわけだ」 「……へ?」 「で、宿屋に泊まった時なんか、朝食に下りていくと先客はハニートーストを食ってるわけだよ」 「……ラスさん?」 「今日はハニートーストがお勧めですよ、なんて店員も言う。朝から甘いものかよ、なんて文句を言いながら、じゃあそれをって頼むんだ」 「…………何のこと?」 「そうすると少しして店員が、申し訳なさそうに近づいてくる。すみません、蜂蜜を切らしちゃって。……そんな時の気分に似ている」
だから、がっかりしていないけれど、自分ががっかりしていないことにがっかりしたというセシーリカの言は、実はよくわかる。 俺自身、がっかりしている自分に戸惑っているからだ。 「……まぁ、俺たちの寿命は長いし。のんびりいこうぜ。焦らなくていいって、誰かが教えてくれたんだと思えよ」 そんな風に、慰めるような言葉を口に出したけれど、そうか、セシーリカはがっかりしてないんだったな、と途中で思い出した。 |
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| 秋の1日 |
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| ラス [ 2008/10/06 1:48:23 ] |
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| | 9の月に、カレンが引っ越していった。 勤務先が本神殿じゃなく、スラム傍の小さな分神殿に異動になったからだ。 左遷かと聞くと、表向きは昇進だと珍しく苦笑いをしていた。 神殿内部というのもいろいろと厄介らしい。
そして今日、カレンの新しい住み処でも覗いてみるかと思って、スラムに足を運んだ。 確かこのあたり……と目星をつけて路地に入ってみると、どうやら違った。 路地の奥には目指す分神殿はなく、その代わりちょっとした犯罪があった。 スラムに似つかわしい若いチンピラが2人、こちらはスラムに似つかわしくない若い男を壁際に押しつけて何やら脅している。 なるほど、カツアゲ中だったか。面倒くせぇから見なかったふりをして路地から出ようとしたところで、被害者のほうに声をかけられた。 「た、助けてください!」 襲われてるのが女性なら頼まれるまでもなく助けるが、野郎相手にそこまで善人にはなりたくない。 「ンだぁ? やんのかてめぇコラ」 「それともあんたがこのにーちゃんの代わりに通行料払ってくれんのか、あぁ?」 加害者2人もこちらを向く。 「いや。俺は関係ない。邪魔して悪かったな、続けてくれ」 そう言って、手をひらひらと振り路地を出ようとすると、視線の先に見覚えのある女の子がいた。 汚れてくすんだ金髪で、擦り切れた男の子用の服を着た女の子は、路地の出口でこちらのやりとりをじっと見ていた。 「ヘザー? なんか、でかくなったな、おまえ」 「……へぇー。にーちゃん、逃げるんだ」 「ああ、逃げるさ。面倒なことには関わりたくねぇ」
……と、言ったはずなのに。 ややしばらくの後には、逃げる加害者2人を見送りつつ、路地の隅っこでうずくまってる被害者の男を助け起こす羽目になった。 「あ、あり、ありがとうございます」 鼻水を拭いながら、震える声で立ち上がる男を見ていたら、いらっとした。 「だいたいてめぇがぐだぐだしてっからだろうがよ。スラムの歩き方も知らねぇヤツがのこのこ迷い込んで、ケツの毛をむしられようが、○○○を○○○○されようがこっちは知ったこっちゃねえんだぞボケが(どかばき)」 「うわ、あ、えと、あの、すみません! ごめんなさい! お、お金なら差し上げますから…っ!」 「ンな小銭で買収しようとすんな。まるで俺がカツアゲしてるみたいじゃねえか!」 「……にーちゃん、オレ、一応それを迎えにきたんだけど」 被害者の腕をひねり上げているところで、ヘザーが呆れたように口を挟んだ。 ん? そういえば。 俺がひねり上げている「それ」は、神官衣を着ていた。
「……本殿からの使いの人なんだ。……助けてやってくれてありがとう、と言うべきかな」 ヘザーの報告を聞いて、カレンは小さく眉を寄せた。 ヘザーが微に入り細を穿って報告したせいだ。くそ。 「助けた相手まで殴るな」 「それにしても、住み心地はなかなか悪くなさそうじゃねえか。ただ、使いを受けるなら、ある程度人選をしたほうがいいと本殿には言っておいたほうがいいな」 「……そうだな。言っておこう。……ところで」 「なに?」 「……あれからセシーリカはどうだ? 落ちこんでたりとかは……?」 「んー……」
妊娠が間違いだったとわかってから後、セシーリカは思ったよりも落ちこんでいなかった。 むしろそれよりも、俺の反応のほうが心配だったようだ。 俺が多少なりともがっかりしたことで、逆にセシーリカはほっとした。 落胆と安堵が、互いに少しずつ予想とは入れ違っていたような、でもそれはそれでいいような、互いにそれを説明しあっているうちに、気が付けば笑っていた。 セシーリカは、マーファ神殿の連中やリデルたちに説明し、俺はフランツやユーニスに説明し、あちこちで笑い話の種になった。
「まぁ、そんなこんなで。いつも通りだよ。あいつも俺も」 「そりゃいい」 「だから多分、一番がっかりしたのはおまえだな。あとユーニス」 「……だろうな」 そう言ってカレンも笑った。そしてふと、真顔になってもう一度口を開く。 「…………オマエは?」 「言ったろう。いつも通りだよ。こないださー、スカイアーと一緒に、学院の仕事で近場の遺跡に行ったんだけどな、それが……」 「いや、そうじゃなくて」 「ん?」 「……さっきの、本殿からの使い。あれはひょっとして……八つ当たりかと」 「……へ? ……ああいうのは、俺はいつもやってるけど。おまえはしないのか?」 そう尋ねると、カレンは呆れたような顔をしていた。 どうやらカレンは、ああいうことをやらないらしい。
チャ・ザの分神殿には小さな中庭があった。 そのうち、誰かに庭の手入れを頼んで、小さな菜園も作ろうと思うとカレンが言ったその中庭は、確かに多少の手入れが必要そうだった。 秋の陽が差すそこでは、ヘザーが気持ちよさそうに昼寝をしていた。 「いいトコじゃん」 「…………まぁな」 |
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| 魔法の指輪 |
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| ラス [ 2008/11/04 3:37:52 ] |
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| | あと10日くらい待ってくれ、とセシーリカに酒場で言った日。 家に帰ってから、あらためて、セシーリカがもじもじと確認する。 「ラスさん……さっきの、10日くらいってあれ、やっぱ早すぎない?」 「なんで? おまえマーファ神官だろ。どうせ神殿の儀式だって、『イロイロな事情』でドタキャンするやつ結構いるんじゃねえの? 職権濫用して、俺らの予約ぶち込んじまえばいいじゃん」 「いや、そういう問題じゃなくて!」 「……じゃ、どういう問題?」 「ああいうのって大変なんだからね! 互いの親族に挨拶したり、いろいろ親戚に連絡したり、挨拶を誰に頼むかとか、どこで誰を招待してどんな風にするかとか! それにわたし、ドレスなんて用意してないよ!」 「何言ってんだ。おまえの兄貴の嫁、仕立て屋だろう。おまえがドレス着たいって言えば、あの連中はドレスの1着や2着、一晩で仕立てるぜ」 「それはそうだけど……」 「それに親族の挨拶やら連絡やらって、そもそもおまえの親族、兄貴だけじゃん。リデルやカールには『まぁよろしく』って一言言やぁいいだろうし、誰か招待するもしないも、その辺の店借り切って、来たいヤツは来いって言ってまわればいいんじゃねえの?」 「……それもそうだけど。…………はっ! だめ! 流される!」 セシーリカははたと気付いたように頭を一度振った。
「……花の咲く季節がいいな。こんな風にばたばたと急ぐんじゃなくて」 「わかった。……じゃあ、春にしよう」 「指輪、頼んであるって本当?」 「本当」 「じゃあ、わたしたち、本当に結婚するの?」 「したくねぇの? おまえ、したいって言ったじゃん」 「そりゃわたしはそうだけど……ラスさんはそういうのイヤなのかなってずっと思ってた」 「あー……それ。うん、前はそうだったけど」
そう。結婚という、なんていうか、そういう類の約束を嫌っていた。 それは共に過ごすという約束事のはずなのに、そうしたからと言って、本当に一生を共に過ごせるかといえば、必ずしもそうではないと知っているから。 例えばコーデリアなんかは、それがケジメだとか、周囲の友人たちに自分たちの誓いを知っていてもらうほうがいいと言う。互いの愛の言葉だけが縛るものだっていうのはあまりにも脆すぎる、と。 けれど俺は縛ろうとも縛られようとも思わないから。 だから、今までは結婚を持ちだす女が嫌いだった。その言葉で縛られるようで。まるでカミサマに誓いを立てれば心が揺らぐことなどないかのように。 カミサマとやらに誓おうと、何万人の人間に誓おうと、揺らぐものは揺らぐ。誓いの言葉なんかクソの役にも立たない。 今までの俺は自分を信じられなかった。だから結婚してくれという女には、嫌気がさした。そんな約束事で縛っても何の役にも立たないのにと哀れみさえ覚えた。 じゃあ今は自分を信じられるのかといえば、それは少し違う。 そういう問題じゃなくて……セシーリカの口からそういう言葉を聞くと、じゃあこいつは一生俺の傍にいてくれるんだと思えて、嬉しかった。 ……俺は、自分自身じゃなくて、セシーリカを信じた。
そして、ずっと待っていた西からの荷が届いたのは10の月の末日。 セシーリカの誕生日に間に合えばいいと思っていたものが、うっかり自分の誕生日にまで持ち越した。 それもこれも、東西を結ぶ自由人の街道がちっとも自由じゃなくなっているからだ。 とりあえず、遅れに遅れた荷が届いたと商家から連絡を受けて、取りに行く。
商家の支店同士で、短時間で連絡を取り合えるという便利な道具を使っている大店がある。 その幾つかはオランに本店を構えていて、支店に多少高価なものが入荷すると本店と各支店で情報を共有して広く客を求めている。 馴染みの商家でリストにあるそれを見つけたのは初夏の頃だった。 エレミアの少し先にある遺跡から見つかったという、ミスリルの指輪。 ミスリル製、と書かれているのに、色は淡金とあるのが気に入った。 ミスリルでの細工なら、古代王国期以外のものではあり得ない。そうなれば余計な魔法が付与されて、見た目も派手派手しくなるのが多い中、色は淡い金で、形状は何の飾り気もない──石も嵌ってなければ、気の利いた彫刻の1つもない──細い指輪だという。 付与されている魔法といえば、ごく普通の保存の魔法とサイズ調整の魔法。あとは、指輪が本当の意味で2つセットになっているという事実。互いに互いの名を呼びながら指に嵌めれば、他の人間はそれを外すことが出来ない。嵌めた者か、嵌められた者か、どちらかの意志がなければ外すことが出来ないという、たったそれだけの魔法。 この指輪を作った魔術師はロマンチストなのか、リアリストなのか。 他者には外せないという魔法は、互いの愛が邪魔されないようにともとれるけれど、嵌められた当人が外せるなら、別れたければ止めはしないと言っているようでもある。もちろん、単なる泥棒避けともとれる。 その中途半端な魔法付与も悪くないと思った。
その日の夜、家に戻って、セシーリカの前で箱を開けた。 淡い金色の、飾り気のない細い指輪が2つ、小さな箱の中で、布張りの台座の上におさまっている。 セシーリカは、高そう、と呟いた。高いぜ、と言うと、値段は聞かないことにすると言って首を振った。 「こういう時ってさ。なんか、洒落た台詞を言ってくれるものじゃないのか?」 指輪を前に、セシーリカが少しだけ口を尖らせる。 「例えば? 『日ごと夜ごとに百万回の口づけを君に贈ろう』なんてのを芝居か何かで聞いたことがあるな」 「シンプルなのなら、『俺の朝メシを毎日作ってくれ』っていうのもあるらしいよ?」 「それはいやだ」 「なんで即答!?」 「朝メシは食べない主義だから」 「なんで目を逸らすの!?」 「それはともかく。うーん……あんまりそういうのも言いたくないんだけど……。じゃ、こうしよう。俺だけ言うのは不公平だ。おまえも何か考えろよ。春までの宿題にしようぜ」 「ぇー」
形見屋がいつも俺をからかうように、確かに俺はそういった言葉遊びなら過去に何度もやってきた。 相手の美しさを褒め称える言葉、かりそめの愛をさえずる言葉、閨を共にしようと囁く言葉。 飾るための言葉なら、多分考えるまでもなくいくらでも出てくる。 けれど、セシーリカ相手にそれを言うのは、なんだか言葉だけが上滑りしそうで嫌だった。
「あ。そうだ。俺、明日から2〜3日仕事で帰ってこねぇから。市内のどこかにはいるけど」 「ぇー。ちっとも新婚らしくないじゃん」 「まだ新婚じゃねえじゃん」 そう答えると、セシーリカは少しむくれた。 「でも一緒に住んでれば新婚みたいなもんじゃない」 「一緒に住みたいっつったのおまえじゃねえか」 そう答えると、セシーリカはさらにむくれた。
……どうやら、俺が正直になると、相手はむくれるものらしい。 |
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| 断片 |
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| ラス [ 2008/11/19 2:53:21 ] |
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| | 花街で、娼館店主の寄り合いがあった日、店主の1人にくっついて来ていたらしい娼婦が、近づいてきた。 「ねぇ、お願いがあるの。たいしたことじゃないんだけど……」 年を取って、記憶や言動が危うくなってきた、スラム在住の父親と縁を切りたいと、彼女は言った。 彼女がそれを、「たいしたことじゃない」と言うのならそうなんだろう。
その父親とやらに会いに行くと、確かに記憶も言動も危ういし、もう長いことはなさそうだ。 たった1人の身内であるその娼婦が切り捨てたのなら、尚更に長くはないだろう。 スラムにはこういう人間は多い。奥にある阿片窟に近づけば近づくほど、なりふり構わず苦しみから逃れるためのおこぼれに預かろうと、こういった人間は増える。 幸い、その老人はそういうものに手を出しているようには見えなかったが、しきりに「井戸が怖い」と呟いていた。
井戸が怖い、あの枯れ井戸は人を喰らう、 叫び声が聞こえる、昨夜も聞こえた、 わしが眠ろうとすると必ずだ、わしもいつか井戸に喰われる…… あの枯れ井戸には魔女が棲んでいる……
帰り道、「人を喰らう枯れ井戸」とやらを覗いてみようかと思ったのは、ちょっとした好奇心だった。 スラムの枯れ井戸なんてのは、死体の始末に困ったヤツが使いそうな手段ランキングの、かなり上位にくるものだろう。 爺さんの頭の中が、思っていたよりもまともだとしたら、このあたりで殺しがあったか、死体が投げ込まれた事実があるのかもしれない。 満月を過ぎたばかりで、外は明るい。月明かりを頼りに、井戸端に近づいてみた。 井戸や泉なんかは、周囲に水乙女の気配が濃いのが普通だが、井戸はやはり枯れているようだ。 爺さんの話を信じるなら、亡霊みたいなものが出るって可能性もあるな、とふと思った。 そこへいきなり、ぬぅっと黒い影が井戸の中から現れた。 薄汚れた服装にヘドロの臭い、黒く長い髪を振り乱した細身の影。 少なくとも不死の気配はしない、それだけを見てとって、ならばこれが枯れ井戸に棲む人食いの魔女かと、右手が慌ててダガーの柄を掴む。
──リヴァースだった。
互いに驚いて、馬鹿だの阿呆だの罵り合う。 聞いてみると、このクソ半妖精は、枯れ井戸の調査を依頼されて、ご苦労にも井戸の中に潜っていたらしい。 リヴァースは、酒場で耳に挟んだ、人肉を食う邪神神官を討伐したと自称する冒険者の自慢話を思い出したと言って、いかにも気色悪そうに、自分が井戸の底から持ち帰った腐肉やら骨やらをぽいぽいとそこらに放っていく。 月明かりに照らされたそれがふと気になった。 光霊を呼び出して、リヴァースが放り出した骨の幾つかを検分してみる。 大方は豚の骨だったが、人骨に似た物が混ざっていた。 「豚じゃなきゃ牛だ」というリヴァースの言葉は、そう思いたいだけだろう。
とはいえ、それが人骨だったとしても、少なくとも昨日今日のものじゃない。 スラムで行方不明者が出るのなんかいつものことだし、そうやって野垂れ死んだ死体が、枯れ井戸に放り込まれるのも珍しいことじゃないだろう。 ただ、リヴァースの話す、食人を自分たちの役目の1つとする邪教──ニルガル教のことは妙に耳に残った。
先日、木造の酒場でアリュンカに聞いた話が脳裏をよぎる。 「なんかネ、スラムのあたりにカミサマが出るって」 カレンがスラムの分神殿に配属になったせいで、そこに使いに行く世間知らずで無防備な神官見習いが増えたってことだろうと思っていた。 スリを生業にする奴らにとっては、そういう隠語で表したくもなるだろう。 警戒もせずに歩くから盗みやすい。ボンボンも混ざってるから良い物が盗めることも多いし、財布の中もしょぼくない。うまいこと盗めたら、それを盗品市場に流せば、口止め料も含まれてるのか、それとも相場を知らないだけか、かなり割高な価格で買い取ってくれる。 それを称して、カミサマ、と。 ……それは本当に、チャ・ザ神官のことだけだろうか。
もう1つ、脳裏をよぎるものがある。 ギルドの、花街を束ねる部門の準幹部、“赤鷲”──単に鷲鼻の先がいつでも赤いというだけの呼び名だ──という男の言だ。 アリュンカも言っていたが、“赤鷲”は子飼いの部下を幾人か要職につけている。それは花街部門とは限らない。様々な部所にだ。そうやって、ギルド内で1つの勢力を作っている。 が、ここのところその部下たちが続けて不手際をして降格されたり、パダに飛ばされたり、エイトサークル城の地下に放り込まれたり、そうでなければ魚の餌になっている。
“赤鷲”は自棄にでもなっているのか、俺の肩まで叩いた。なんでそんなに頭数が減ったんだと尋ねてみると、“赤鷲”は苦虫を5〜6匹まとめて噛み潰したような顔をして答えた。 「下っ端が消えちまうのよ」 要職についているというその部下たちの、更に下についている人間たちが、何人も消えたのだという。 仕事の直前になって姿をくらますものだから、仕事が滞る。その積み重ねが不手際に繋がる。上の人間というのは、ある程度の手駒がいなければ動きが鈍る。 1人2人ならよくあることなんだ、と“赤鷲”は鼻の先端を掻いた。ただでさえ赤い鼻が更に赤みを増す。 逃げだす新人がいるのは珍しくないし、どっかで刺される馬鹿だっている、だから下っ端が1人2人欠けるのはよくあることだ、と。 けれどそれが続いた。しかも消えた人間が見つからない。よほど上手く逃げたのか、それともよほど上手く殺されたのか。 「だからなぁ、“音無し”。考えといてくれよな。人手不足なんだ」 知ったこっちゃない、と返したけれど。
…………うーん。繋げて考えるには、まだ少し早いかな。 |
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| 最大限の努力 |
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| ラス [ 2008/12/24 0:04:44 ] |
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| | (PL注:【イベント】枯れ井戸の端で#{588}の続き )
……おっかしいな。
昨夜、最後にまわった逢い引き宿は、もともと店主や従業員と顔見知りだった。だから新しく担当になるといっても、特に顔ツナギの必要はない。仕事の引き継ぎが少しあったが、書類上のものだったから「後でいいか」と放り出した。 そうして俺は、自分の体調を考慮して、空いている部屋を1つ借りた。 夜食にリゾットを作ってもらってそれを食べ、温かい茶を飲んで水分を補給。 部屋には室内用の火鉢を用意してもらい、毛布も2枚追加してもらった。 ベッドに入る前には、火蜥蜴に落ち着くようにささやきかけた。 『今年は施療院に押し込まれない』という年間目標のもと、俺は自分に出来る最大限の努力をした。 セシーリカにはもともと、2〜3日帰れない旨を伝えてあるから、今夜あたりはリデルのところに行ってるだろう。 それなら、無理に帰って余計な心配をさせることもないし、こうやってカンペキに整えて一晩眠ればこんな熱くらいすぐに下がるだろうと思ってた。
今日、起きたのは昼少し前。 ……おっかしいな。下がんねえな。 全身がみしみしと痛んで、悪寒がする。 あー……あれかな。最近オランで流行っているとかいう、たちの悪い流感。よく効く特効薬が品薄で高値で取引されてるとか。ただし、その特効薬は体質によっては副作用があるとかなんとか。 特効薬……副作用……うーん、嫌な単語だ。ぜってー飲まねぇ。 特に咳が出たり鼻水が出たりということはないが……いや、喉は少し痛いな。それに、少し息苦しい。 これは、人に感染さないように、少しおとなしくしていたほうがいいかもしれない。 幸い、残ってるのは書類仕事だ。この部屋を少し借りて、食事も仕事もこっちに運んでもらおう。 火鉢にも炭を追加してもらって……。
よし、こうやって大人の対応をして今夜もおとなしくベッドに入れば、明日には熱も下がるだろう。 さほど進まなかった書類仕事をまたしても放り出して、俺は毛布の中に潜り込んだ。 |
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| 見慣れた天井 |
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| ラス [ 2008/12/27 23:58:43 ] |
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| | (PL注:カレンの宿帳「日々を記す#2」#{388}No.25「声」の続き )
見慣れない天井……というのは実はあまりない。天井を見る可能性のあるような部屋では、大抵1度ならずその天井を見ているからだ。 一番見慣れているのは自宅。今の家に引っ越す前の定宿。担当している娼館の1室。盗賊ギルドの仮眠室。カレンが勤める分神殿。 今見ているのも、見慣れた天井の1つだ。 少し古びてくすんだ漆喰塗りの天井。それを支える梁は黒い樫。 この天井は……どこだっけ。 悪寒とは違う、嫌な予感がする。 この天井の意味がわかったら、なんだかものすごくがっかりしそうな。
「目が覚めたかね。いやぁ、よかったよかった」 快活な……この声はイエt…………。 ちょっと……待てよ。 マーファ施療院か!(がーん) 「さて、気分はどうだね?」 「………………最悪だ」 イエティ院長(注:ヘルムート)は首を傾げたようだった。 「……年間目標が……(がっかり)」
……ああ。そうだ。仕事が一段落して、ギルドに書類を提出して帰ろうとしたところで、エナンに会って、あの黒髪の半妖精が見あたらないから、代わりに精霊力とやらを見てくれないかとかなんとか言われて、喋ってる最中に意識が飛んで……いや、途中でカレンにも会ったような気がする。 そんな話をイエティにしていたら、イエティは2、3度頷いた。 曰く、ここに俺を運んだのはカレンらしい。 「セシーリカくんと交代で、ずっとこの病室にいたがね。今は外しているようだ。……で、彼から君が倒れた時の状況を聞いたんだが。ふむ……聞いてもいいのかな」 「……何を?」 「彼は、奇跡を行使できる神官かな」 「俺が答える筋じゃないとは思うが……まぁ、使えるかな。少し不安定だけど、解毒することくらいは出来るようだ。あいつの奇跡で俺は何度も助かってる」 「では、今回も君は彼のおかげで助かったようだ」 「……運んでもらったしな」 「そうじゃない。“病気治癒”だよ。彼は神に愛されてるね。……よくこんな、難しい病気を」 「難しい、って……流感だろ? 今年のはタチが悪いって聞いてたけどほんとだな。死ぬかと思ったぜ」 「破傷風だよ」 「…………はぃ?」 「本当に死ぬところだった」 「……なるほど。意外なところに危機があったな」
イエティの説明を聞いて、自分の左手首を見る。大げさに包帯が巻かれていた。二の腕にも同じような感触がある。 悪い精霊が入り込んだ傷口を開いて、中を少し抉ったという。道理で痛いはずだ。しばらく傷口は塞がないで洗浄を続けるという。ヴィヴィアンの奴、余計なものを残していきやがって。 「ところで、今日は何日だ」 「27の日だ」 「帰ろうとしたのは25の日だったはずなんだが」 「その状態で外をうろついてたなんて、無茶だよ、君。そんなに大事な仕事だったのかね」 「……」 別に仕事は大事じゃない。ただ、それを終えれば休暇だった。セシーリカも今年は年末が非番だと言っていたから。 だから……。 「……なぁ、イエティ」 「ヘルムートだ」 「知ってるよそんくらい。で、イエティ。……セシーリカは?」 「ああ。着替えをとりに行ってくると……そろそろ戻ってくる頃だと思うがね」 「…………退院してイイ?」 「はっはっはっはっ」 素晴らしいジョークを聞いたとでも言うように、イエティはその白い巨体を揺らして笑った。
イエティの笑い声がおさまらないうちに、病室──いつもの個室だ──のドアが、ばん!と勢いよく開いた。 豪快な笑い声が廊下まで届いていたことで、俺が目を覚ましてるのを知ったんだろう。
そこには、セシーリカが凄い形相で立っていた。 |
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