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【イベント】辻斬りの正体
イベンター [ 2007/08/20 3:48:09 ]
 (PL注:これまでの情報は伝言板(http://mani.qee.jp/dengonban/kboard.cgi)の記事468番にありますが、以下にそれをまとめ、これからは宿帳にて進行することにします)


事件の発端は、7の月21の日。夕刻、オラン港付近の倉庫街で、単独で倉庫の見張りをしていた冒険者の男が斬り殺されたことから始まる。それから時を置かず、その付近で酔っぱらっていた男も1人、同じように殺されている。
倉庫自体に被害は無かったことと、また最初に殺された冒険者もオランに来て日が浅く、怨みを買うようには思えなかったことから、衛視局はこれを辻斬りと判断。酔っぱらいの男はそれを目撃したために殺されたのだと思われる。

その後、7の月31の日までに更に2人。1人は傭兵をしていた女冒険者、もう1人はとある賭場の用心棒をしていた男が同じ手口で斬り殺されている。
8の月4の日、5人目が殺される。モグリの夜盗で、盗賊ギルドが本格的に捜索を始める前に殺害された。
8の月10の日夕刻、6人目が、まだ人目もあると思われる通りの片隅で殺害されている。こちらも戦士風の冒険者。

ここに至って、衛視局はこれまでの被害者における共通点、その他、手がかりとなりそうなものを幾つか公表している。中には冒険者の店からもたらされた情報もある。


・被害者は今のところ、帯剣している戦士、もしくはそれに準ずる冒険者や盗賊(初日に殺された酔っぱらいも冒険者を生業にしていた)
・被害者の衣服には傷に沿って焼け焦げの跡が見られるものもある(血に染まって判別不能なものもあり)。
・いずれも見事ともいえる袈裟斬りで殺されており、傷の方向から、犯人は右利きであると思われる。
・犯行の前後に、現場付近で黒い大型の犬を見かけたという情報もあり。


8の月12の日、傭兵が襲われ、深手ながら一命を取り留めた。目撃情報によると、黒ずくめの格好をした細身の影に見えたという。また彼は、帯びていた剣で相手に斬りつけ、左前腕に傷を負わせたらしい。
それに該当する患者は、神殿や民間の治療院などに来院はしていない。


衛視局では魔剣による犯行もしくは、魔術と剣による複合的なものと考えている。そのため、魔術師、精霊使い、魔剣を持った戦士などが可能性として挙げられている。また、単独ではなく、魔術師(もしくは精霊使い)の助力を得た戦士という可能性も否定できない。
その犯行手段を考慮にいれると、魔剣の所持もしくは魔法の助力が必要になるため、冒険者かそれに連なる者が犯人ではないかと目されている。

今のところ、いわゆる「善良な一般市民」に害は及んでおらず、冒険者同士の争いが原因と思えなくもないため、衛視局側は捜査に熱心ではない。
 
8人目
情熱を持つ者 [ 2007/08/20 18:18:53 ]
 <8の月20の日・8人目>

あの、とぼけた顔が腹立たしかった。
自らが襲われることになろうとは思ってもいなかったという瞳が。
左肩から右脇にかけて、大きくばっくりと裂けた傷口を、一瞬信じられないという目で見下ろしていた。
傷口の割には出血は多くはない。炎を纏う剣が切り裂くと同時に傷口を焼いているからだ。
それでも決して止めようのない出血と、致命的に引き裂かれた臓腑。それらが意味するものに気が付いて、愕然と私を見つめる目。
自分のそれが喪われる時になって、ようやく命の意味に気が付いたとでもいうような愚かしい目。

崩れ落ちる身体が動かなくなるのを見下ろして、私の身の内に灯る暗い情熱の炎がゆらめく。
何分の一かの、ほんのかすかな達成感が心の奥に生まれる。

時折、ひょっとして……と考えてみる。
ひょっとして、こうしてわずかな時間で死に至らせるよりも、喉を潰し、足の腱を斬り、膝を砕き、肩を砕き、眼をえぐり出し、そうして生きながら炎で焼いたほうが、私の中の達成感は大きくなるのだろうか。
ごうと鳴る炎の中から、喉からひゅうひゅうと漏れる声にならない悲鳴を、耳を澄ませて聞き取るほうが、私の暗い情熱は満足するのだろうか。

けれどそれは出来ない。
街の中で炎を上げることは人々の目を集めることになるし、じっくりと死に至らしめることは、それにかかる時間が長引くことになって、私自身の姿を目撃されてしまう。
夕刻、通りには人通りがある。買い物に出ている女や、仕事場から戻る男、歓楽街へと足を運ぶ男、市の片づけをする女。この行為に時間をかけてしまえば、彼らに目撃されてしまう。


……神よ、神よ、我が神よ。私はもう人ではありません。
想像するだに怖ろしい残虐を、私は半ば以上真剣に考えてしまっています。
それは出来ない、と考えることすら、人の道に照らしてではなく、保身のためでしかないのです。
神よ。あなたのことを考えるのと同じ頭の中で、私はそのような残虐を想像しているのです。
神よ。あなたを思う心はこの聖印に託して、私はいつも身につけています。
もしも私が、あなたの御心に逆らっているとお思いなら、いつでも、この聖印を通して私に語りかけてください。
 
情報は被害者にあり
カレン [ 2007/08/21 1:19:56 ]
 神殿勤めから帰って、着替えて、巣穴の仕事をして、その帰りに稲穂亭に寄って、多少飲んで夜中に帰宅する。
これが、ここ数日の生活パターンになった。
ラスは、左腕の傷が原因で、おおっぴらに出歩けないでいる。
ヤツが外出を控えるということは、その分俺が出て行って情報を集めてこなければならないということで……。
いや、違うな。
これは必要だと感じてやっているんじゃない。ほとんど癖か習性みたいなものだ。


新たな情報を得れば、ラスに報告することにしているが、あまり芳しくはない。
「犯行時」の情報が、ほとんどないからだ。
あるとすれば、例の生き残ったヤツのものくらい。
「らしい」というだけでは、確たるものは掴めないと、本人に会いに行きもした。
だが、あまりに突然のことで、覚えているのは、自分ができたことのみ。
魔術師の詠唱が聞こえたか聞こえなかったかはもとより、刀身が見えたか見えなかったかすら覚えていなかった。
だが、ひとつわかったことがある。
この被害者が関わったこれまでの仕事のことを聞いたのだが、彼は俺よりも経験をつんでいない。それで助かっている。ということは、剣は扱えるが、スカイアーやカールさんのような熟練の域には達していないということだ。
比較対象があるだけでもよしとするか…。


「人を一撃で殺そうとするなら、躊躇なくやらなくちゃだめなんだ。殺すことだけを考えてな」
「なんだよ、突然」
「一撃で終わらせて、犯行時間を短くすれば、それだけ目撃される可能性も低くなるわけだ。それで、一刀両断なんだろうな。方向性というか、考え方っていうか……似てはいるんだけど……暗殺術ではないんだな。そりゃまぁ、例外はいるけど、暗殺なら袈裟切りにはしない。返り血は浴びたくないからね。ダガーに毒を塗って傷をつければいいだけだ。…………そのほうが簡単。なのに、犯人はそうしない。何故だろう。
「単純に考えれば、そうした技術を持っていないからだろう。こだわり、というものもあるだろうが、それは考慮に入れなくてもいいことだと思う。暗殺術よりも剣技を優先的に使う人物、と考えて問題ない。
「注目すべきなのは、被害者達の生業だな。いわゆる、一般市民ではない。そして、一般市民からは、あまり受け入れられない者たちだ。極端なことを言うなら、「善良ではない者」だろう。このあたりに、犯人の動機があるように思う」
「……………推理かよ。新しい情報はないのか?」
「もし、この推察が正しいとすれば、だ。………………うん。不思議ではないんだ」
「何が?」
「やってみる価値はありそうだ。時間はかかるかもしれないが。………………しばらく神殿の仕事は休もう」
「カレン………もしかして、それ、独り言か?」


明日から、少し派手に動かなければならない。
冒険者の店はもちろん、巣穴管轄の地域を巡回して………非道の限りを…尽くすことはできないが、それなりに悪徳な人間に成りすましてみよう。
もちろん、その間、神官服など絶対に着られないし、神殿の同僚に会っても気付かれないように変装をしなければならない。
危険な賭けに出る前に、有力情報を掴むことができれば言うことはないが、それが叶わなければ仕方がない。
襲ってもらおうじゃないの。
 
7人目の被害者の証言
デイビス [ 2007/08/21 2:46:04 ]
 ムカつくぜ。
あの神官野郎、手を抜きやがった。
まぁそれでも、公費とやらで癒しの奇跡を貰えただけでも良しとするか。
まだしばらく動きまわるのには不自由するが、どうやら少しの間は施療院とやらで面倒みてもらえそうだ。

傷がふさがってから、何人も、俺にものを聞きに来た。
明らかに盗賊ギルドの野郎だったり、衛視局の人間だったり、冒険者だったり。
そのたびに俺は答える。


殺気を感じたと思った時にはもうヤられちまってたから、相手の人相風体はわからねぇ。
ただ、俺よりは小柄だったなと思うし、路地の暗がりで見分けがつきにくいなと思った程度には黒っぽい格好をしていた。
俺が剣を抜くよりも早くヤられた。ただ、抜きかけていた勢いのまま剣が鞘から抜けて、その切っ先がそばにいたあいつの腕に当たったような気はする。

ああ、そうさ。確かに俺は「善良な市民」とやらじゃねえ。
食いっぱぐれれば、屋台の串焼きをかすめることもするし、小銭を持っていそうなとぼけた野郎が無警戒に歩いてりゃカツアゲしたりもする。ボケたババアが足元にカゴを置いて買い物してりゃ、置き引きくらいはするさ。
だからなんだ? 現行犯でもねぇ置き引きやかっぱらいで今俺をしょっぴくか? えぇ?
は! 馬鹿いうなよ。弱ぇ奴が悪い。世の中ってのはそういうモンだろ?
かっぱらわれたくなきゃ見張ってりゃいいんだよ。殴られるのは弱ぇからだ。そうだろが。

普段? そうだな、普段はうさんくせぇ賭場の用心棒したり、たまには冒険者の店でしみったれた仕事を請けたりもするぜ。
ヤサは鐚一文横町の“カケスの羽根”亭だ。あぁ、衛視サンよぉ、俺の荷物引き取ってきてくれねぇか。なぁにたいしたもんは入ってねぇ。汚れたずた袋1つだが、まぁ言ってみりゃ全財産なもんでね。あんなもんでも、無くすといてぇ。


……ん? あーぁ、そう言われてみりゃ、俺ぁなんで振り向いたんだろうな。
いや、周りに知り合いはいなかった。通り1本隔てたところで、市の店じまいをやっててよ、そこで慌てて買い物をしたらしい主婦が多かったな。腹ぁ減ってたからそんくらいは気付いた。


ああ、そうだ。思い出した。
名前を呼ばれたんだ。
 
炎の中の叫び
情熱を持つ者 [ 2007/08/22 2:31:45 ]
 炎は、まるで魔界のそれのように、全てを焼き尽くした。
何年も何年も前だ。
私はそれを見ていた。ただ、見ているしかできなかった。
神はいないのか、と叫んだ。

その荘園で働いていたのは、私の家族を含めて、ほんの5家族ほどだ。
あとは、季節に応じて労働のための人員を雇っていた。
普段は30人ほどの小さな集落だった。
兄が身体をこわしたのをきっかけに、私もオランからその荘園へと移り住んだ。
農作業の合間に、彼らに神の教えを説いたりもした。
のどかな、日々だった。

そののどかな日々は、業火に呑まれていった。
炎の中に赤ん坊の泣き声が聞こえ、私は負傷した身体を引きずってその子供を助け出した。
私が祈る間に、その赤ん坊の命は消えていった。私の腕の中で。
嗚咽が悲鳴に、そして咆哮に変わっていった。
こんな理不尽なことが何故起こるのかと私は叫んだ。
神は天地を遍く見守っていてくれるのではなかったのかと叫んだ。
後の叫びは言葉にならなかった。「ああ」とか「おお」とか、そんなものであったろう。まるで獣のように。


……7人目のあの男。デイビス。
あれは一命を取り留めたようだ。あの男の口から何か漏れるだろうか。
いや、それよりも、あれは殺さねばならぬ男だ。
だが、あまりに事を急ぎすぎては、し損じる。
街の人間の緊張が続かない程度にゆるやかに、けれど、連続でやるはずがないという油断の裏をかける程度には速やかに。
匙加減が大切だ。

あと、9人。
……神よ。あなたは今も、私のことを見ていらっしゃいますか。
 
情報は被害者にあり2
カレン [ 2007/08/23 0:30:20 ]
 7の月21の日が始まり。月の終わりまでに全部で4人。
8の月4の日、10の日、12の日、20の日。
日付がばらけてるから、突発的に起こっているように思えるが、先月よりも頻度が落ちていることに気付いた。
特に、生き残ったヤツの後は、かなりの間が開く。
これは、怪我を負わせたことも関係しているのだろうが……他にも何か理由がありそうな間でもある。
例えば、生き残り男から漏れる情報に用心した、とか。万が一、顔を見られていれば手配書が回るはずだ。見られていないことを確信するまでに、一週間以上の時間を要したのかもしれない。そして、確信がもてた頃に犯行を再開……。
ああ…だとしたら、用心深いな。


コイツは一般市民は殺さない。(少なくとも今までは)
戦士や冒険者を狙う。
そして、たぶん、殺しが楽しくてやってるんじゃない。
楽しいとか、殺したいという衝動だけで犯行に及ぶなら、本当に誰だっていい。仕事帰りの大工だろうが、流しの吟遊詩人だろうが。
むしろ、抵抗の少ない女や老人に狙いを定めるだろう。
それを敢えて、剣の心得のある者を選んで……。

…ちょっとまてよ……。
もともと無差別ではないと考えてはいたけれど、それでもそれは「善良ではない」という括りの中では無差別じゃないか。
違う。…もっともっと的を絞る必要があるんじゃないか?
被害者達には、何か共通点があるんだ。
ならず者と呼ばれて、剣の心得がある。それ以外の共通点。それが犯人を動かす……。


この日、再び生き残り男デイビスのもとを訪ねた。
変装したままの俺の顔を見るなり、ヤツは驚いた顔をして、全く知らない名を口走った。
「ジョバンニじゃねーか。なんだよ、見舞いなんてガラにも、ね………?」
そして、最後には、怪訝な表情で口をつぐんだ。
別人だとわかったんだろう。

「似ているのか? どういう知り合いなのか、是非とも伺いたいね。それと、この人物達について、何か知っていることがあるか? 事件当夜のことも含めて、どんな些細なことでも構わない。聞かせてくれ」
「誰だよ、てめぇ……」
「辻斬りの調査で、何度も同じことを訊かれてうんざりもしてるだろうが、辛抱してくれよ」

デイビスの問いに答えることなく、今までの被害者の名を連ねた羊皮紙を、ヤツの前に差し出した。
 
みつかった
黒き物 [ 2007/08/23 1:25:30 ]
 私が 知恵と呼べる程の 高度な自我に 目覚めたのは 主が死んだ 翌朝だった

知恵のない私には 家が無くなり 主達が居なくなったことが 哀しかった

ただ ただ 淋しかった

私は 家のあった場所に 蹲り続けた

そこに主の弟がやってきた 手には 主の部屋にあった 変わった首輪を 握ってきた

主の弟は 私に首輪を填め こう言った

「私たちは生き残った。そして私にはやらねばならないことがある。」

知恵を得た私には 何がしたいかが わかった

それは 私が望むこと でもあった

月日が経った 8人は片づいた

そして 9人目が みつかった
 
7人目
デイビス [ 2007/08/24 20:39:27 ]
 
俺とジョバンニが顔をあわせたのは深夜。スラム街の端っこだ。
「馬鹿言うな、あんな胡散臭ぇ野郎にペラペラ喋るほど俺ぁヌケてねえぜ」
そう言って肩をすくめると、まだ傷が痛んだ。
ジョバンニは、浅黒い無表情な顔でふぅん、と唸った。
「その聞き込みにきた男は、そんなにオレに似ていたか」
「ああ、似てたさ。ただ、髪は短かったから、おまえがこの暑さに耐えかねて髪を切ったのかと思った」
「とにかくおまえは、あの時のことをその男には喋ってないんだな?」
「ああ、喋ってねぇよ」

施療院を出てきてから、とりあえずの寝床に決めたのはスラムの廃屋だ。
多少マシな寝床を探すのは仕事を見つけてからにしようと思っていた。
そこへ俺はジョバンニを呼びつけたのだ。いいこと教えてやるからメシと酒を持ってこいと。

「今まで辻斬りなんてぇモンに興味はなかったが、昨日来た男が見せたリストは……あぁ、けったくそ悪いぜ。いいか、ジョバンニ。リストになんて書いてあったと思う。サム、アーニー、ピート、クリフ、ニナ……とにかく、奴らだ。あの時一緒だったあいつらだよ。もちろん、全員がオランにいるわけでもねえが、それでも大半はいるはずだ。どうする、次はおまえかもしれないぜ?」
「そうだな、オレかもしれない。けれどおまえかもしれない」
「俺は一度狙われたぜ?」
「でもまだ生きてる」
「……俺の後に殺されたのはナックだ」
「あと、オランにいる奴というと、ドリー、スティン、フィリップ……ああ、あとは覚えてないな」
「確か、学院に入ったやつがいたろ。悪事からは足を洗ったとか抜かした……」
「そう、確かリーブだ」

言われて、俺もリーブのツラと名前を思い出したところで、立てかけてあった戸板が外れた。
風で倒れたのだと思った。そこには暗闇しか見えなかったから。
唸り声ひとつあげなかったそれを犬だと認識したのは、その牙が俺の首筋に食い込んでからだった。

「ぐはぁっ!」
血しぶきが上がる。ぶしゅうと聞こえるのはその音だ。
じゃあ、ぶちぶちと聞こえるのは何だろう。
犬の口元に肉がぶら下がっているのを見て、自分の首の肉を噛みちぎられる音だったのだと知った。
ひぃ、と声を上げてジョバンニが駆けだした。
それをじっと見つめていた犬は動かなかった。そしてもう一度俺の首に噛みついてきた。
けれど今回は、肉を食いちぎられる音は聞こえなかった。
その前に俺の意識は闇に呑まれた。
 
掴み損ねたもの――9人目?――
ユーニス [ 2007/08/25 11:44:08 ]
  「ユーニス!」
 背後から突然かけられた声に続いて振り下ろされたのは予想どおりのもの。数年前、何度か受け止めたお約束の動作――手刀を払いのけて文句を言いつつ、私は振り返る。傭兵ギルド訓練場の端で、私を手荒く呼び止めた男はからからと笑った。
 いいだろ、ちゃんと声をかけてる以上は卑怯な不意打ちじゃねえし、と。

 彼、ロイさんは北の戦線で一緒の隊に居た傭兵だ。私が除隊した後も彼はずっと戦場に留まっていたが、契約期間が切れたのを機に、更新せずに一旦戻ってきたらしい。
 久々の夏祭りには間に合わなかったがな、と笑っていた。
 近くの酒場に移動して昼間から酒を酌み交わす。何度か杯を干した後、私は切り出した。
 辻斬りの件で、ある程度腕の立つ人間に対してギルドでも調査が行われている様子なのか、進捗はどうなのか、と。また、オランへの帰途で何か事件の話はなかったか、ということも。
 「なんだ、それが本題か? お前らしいが随分と色気のない話だな。
 そうだな……一応探りは入ってる。特に北からの帰還者については、な」
 
 想像通りだった。戦場帰りの人間は決して穏やかな精神状態とはいえない。常軌を逸しているといっても過言ではないのだ。戦場からの長い帰途で、些細なことから争いになって旅人から金品を奪ったり、行きがけの駄賃とばかりにそこらのごろつきと徒党を組んで近隣の村を襲ったりというのは結構聞く話だ。長期にわたる戦いで、人の心は確実に荒みかけている。
 辻斬りの正体は、戦場帰りの人間なのではないか……私はその日までそう考えていた。

 「念の為に言いますが、ロイさんを疑ってませんよ。そんな面倒なことしないだろうし、帰ってきた時期が合いませんから」
 「面倒が基準かよ。それはさておき。今回の辻斬りは結構な回数らしいな。ギルドの連中も神経を尖らせてる。少なからずギルド出身者で相応の腕を持つやつは、ある程度マークされてる様子だ」
 
 つまり、回数を重ねるだけギルド内でも容疑者が絞り込まれる訳だ。ただ、結果を得るには多くの血が流されるのを傍観することになるけれど。
 何か判れば連絡をくれるというので、ご厚意に甘えることにして、酒場を後にした。財布が薄くなったけれど、それに見合うものは多分もたらされるだろう。

 辻斬りと間違われて衛視にしょっ引かれて以来、私は折に触れて辻斬りの手がかりを追っていた。自分の身の潔白も示したいし、同様の状況に置かれているラスさんの手助けにもなるかもしれないと、そんな風に思っていたのもある。
 ただそれとは別の次元で、それほどに練達の相手なら……と、手合わせを望む僅かな欲望が生じていることも、認めていた。
 

 「……で、何か御用ですか?」
 ロイさんと別れた後、薄暗い路地にわざと入り込み、私の後をずっとつけてきていた気配に振り向いて、問う。相手は驚きつつ観念したらしく、物陰から姿を現した。
 というより、必死に後ずさっている。本当は逃げ去りたかったとでも言わんばかりだ。

 「おめえ、傭兵ギルドやらマイリーの訓練場やら、あっちこっちで見かけるけどよ、何嗅ぎまわってんだ」
 及び腰で震えながら問われても困る。
 「さっき聞こえちまったんだよ。”辻斬り””探り”ってな。確か相手は戦場帰りのデキる奴だったよな。おめえ、辻斬りの野郎に情報サシてんじゃねえだろうな……それとも、おめえみたいな女が?」
 
 「何が、言いたいんですか?」
 走りよって腕を捕らえ、動きを封じる。軽く締め上げると、男は半ば叫ぶように、かすれた声で懇願した。
 「み、見逃してくれよ、頼むっ。あんたじゃないんなら、そう伝えてくれ」
 「私は辻斬りでも関係者でもないですよ? でも、知り合いが被害に遭うかもしれないんで調べているんです。何か知っているなら……狙われていると言うなら、理由を。
 手がかりは一つでも欲しいんです。内容によっては少ないですがお礼も考えますよ」
 「し、知らねぇっ、ニナとアーニーが、俺の古い仲間が殺られたからよっ、気になってるだけだっ」
 「ニナさん……は確か傭兵ギルド所属でしたよね。一体どういう仲間ですか。恨みを買うような真似でも?」
 「む、昔の遊び仲間だ、ただの、そう、ただの若気の至りみてぇなもんだっ」

 「そこで何をしている!」
 ”若気の至り”の内容を詰問しようとしたその時、巡回中の衛視が私たちを見つけて駆け寄ってきた。一瞬力を抜いたその隙をついて、男は私の腕から逃れて走り去った。緊張がとけたのか、逃げ足は思ったより速かった。
 おかげでそのあと、私が一人、詰め所まで引っ張られたのは言うまでもない。
 あえてただの喧嘩だ、絡まれたので締め上げただけだと言い張って、詰め所を後にしたのは日がすっかり沈んだ後だった。

 伝言と厄落としのために”きままに亭”に寄った。
 被害者のうち、少なくとも3人は過去に関係があった。それだけでもラスさんに伝えねば。
 恐らく私が情報を教えても衛視は曲解するだけだろうと思い、決して詰め所では言わなかったそれらをしたためた手紙を、フランツさんに託した。ラスさんも辻斬りではないかと怪しまれている以上、疑われている私が直接接触していいのか躊躇われたのだ。
 私とラスさんが親しいことが知れてしまえば、自然とあちらにも疑義が生じる。衛視には嗅ぎ回っていることも知られないほうが得策だろう。こうも引っ立てられては、衛視に協力したくなくなってきたというのもあるが。
 もしラスさんが傍観を決め込んでいたとしても、知っていると知らないとでは恐らくとる行動が異なってくるだろう。

 私は、もしかしたら間違っているのだろうか。”市民”としては間違っているのだろう。けれど、冒険者、容疑をかけられた者としては? 
 やはり間違っているのだろうか。
 
 しかし、十六夜小路に行かず、きままに亭で飲んでいたのは結果的に正解だった。

 「ちっ、あいつらが殺られてビビりすぎたか。俺もヤキが回ったもんだ」
 走って逃げた後にそう呟いた男――フィリップという名だったらしい――が、その夜遅く、別の酒場からの帰り道で死体となって発見されたとき、まだ私は飲んでいたのだから。

 争っているところを衛視に目撃され、あまつさえ詰め所に連行されていたので、先日に続いて事情聴取を受ける羽目になったが、明らかに時間的に無理があるとして釈放された。衛視の目が疑念に満ちていたのが悔しかった。

 なんとかして、辻斬りの尻尾を掴んでやりたい。
 あのときすり抜けた腕を掴みきれなかった自分を歯がゆく思うと同時に、その思いが胸に満ちていた。
 どんな理由があるにせよ、ただ人が殺されるのを傍観したくはない。
 それに、故なく疑われるばかりなのはごめんだ。私も、ラスさんも、きっと。
 
情報は被害者にあり3
カレン [ 2007/08/25 23:40:51 ]
 巣穴に出向くと、スラムで殺人があったとの情報が入った。
殺人や傷害なんかの事件が少なくなく、衛視の目が届きにくい場所なので、盗賊ギルドが最速で入手、且つ事件性を帯びた情報だろう。
情報を持ってきたのは、殺人現場付近に塒(といっても壁のある家ではない)を持つ物乞いだ。

廃屋のひとつに、見知らぬ者が身を潜めた。
詮索はしなかった。隠れたいヤツがスラムを利用することなど、当たり前のことだったから。
夜中、足音で目を覚ました物乞いは、誰かがその廃屋に入って行くのを見た。その後、男が二人、喋っているのが聞こえた。
おおかた、街を逃げ出す算段でもしているのだろうと思っていた。
それから間もなく、もうひとつの影が廃屋に近づくのを見た。
四つんばいで歩く、明らかに人間ではない影は、器用に戸板を倒し、中に飛び込んでいった。
続いたのは、くぐもった呻き声と、狼狽した悲鳴。そして、足をもつれさせながら必死で逃げていく背中、足音。
あたりは静寂を取り戻し、物乞いは息をするのにも細心の注意を払い、それでも辺りを窺い見ていた。
しばらくして、四足の獣は悠々と廃屋から出てきて、地面に鼻を近づけにおいを探った後、逃げて行った者と同じ方へ去った。
物乞いは、かなりの時間、身じろぎもせずにいた。
長い夜だった。
あたりが明るくなる前に、物乞いは廃屋の中に入った。
そこには、首を噛み千切られた男が転がっていた。

デイビスは殺された。
現在、唯一の情報源といっていい人物が死んでしまった。
デイビスと接触していた人物の人相は見えなかったという。
ただ、廃屋に入っていく際、ジョバンニと呼びかけられていたと証言した。
知らないと言い張ってはいたが、やはり繋がっていたってことだ。

ここで疑問がわいた。
事件の前後に、黒い大型の犬の目撃証言があったのは知っている。どういう関係があるのかは、まったく見当がつかず、犯人の飼い犬なのかとしか考えていなかった。
が、今回、突然、おそらくその証言の犬だろう獣が襲いかかっている。
どういうことだろう。やり方を変えたのか?
そして、その場に居合わせたらしいジョバンニを、一緒に殺していない。これも不思議なところだ。


それから間をおかず、また死人が出た。
今度は、今までの手口と同じ、袈裟切り。そして、衣服には焼け焦げの跡。件の辻斬りの犯行と見て間違いない。
早い……。
いや、そうでもないのか…。中3日開いてる。
それにしても…。


なかなか尻尾を出さない犯人を追うのは大変だ。一日中歩き回っても、ちっとも見えてこない。
息抜きに、木造の酒場に立ち寄った。

「フランツ。柑橘水くれ。喉がカラカラだ…」
「……誰だったかな? いや、すまん。こう暑いと頭がぼーっとしちまって…」
フランツは、愛想笑いと胡乱気な目つきを同時に俺に向けた。
「…………俺。カレン」
「お前か! なんだ、その顔は。品性のかけらもねぇ」
「いいから、飲み物くれって。…辻斬り調査の一環だよ。ちょっとやめられない理由がね…」
「ほぉ。お前さんもやってるのか。ラスはどうしてる? 一緒かい?」
「いやぁ…アイツはね、家に引きこもってるよ」
「だろうなぁ。妙な噂立てられちゃ、外にも出たくねぇよな。店にも来れねぇか? 手紙預かってんだけどよ」


つい昨日殺された男と、これまでの被害者であるニナ、アーニー両名は過去に繋がりがあった。
それが手紙の内容だった。
ユーニスが実際に聞いたという情報だ。古い遊び仲間、と言っていたらしい。”若気の至り”とも。
この3名と、デイビス、ジョバンニの2名。一応、点が線になっている。
犯人はやはり、特定の人物を狙っているんだ。これは、生き残ったデイビスをそのままにしておかなかったことからも推察できる。”若気の至り”でやらかしたことで恨みを買ってる、そんなふうに考えられるな。
じゃぁ、ジョバンニを見過ごしたのは何故だ。
それに、このでかい街で、特定の人物を、こんな短時間でどうやって見つけ出してるんだ。
………ジョバンニ…コイツ、もしかして泳がされてるのか? あまり現実的ではないが、犬を使って追っているとか?
……まぁ、トゥーシェだってかなり利口で、教え込めばそういうことだってできるかもしれないが…。


新たに出てきたのは、傭兵ギルド、か。被害者のニナは、所属していたそうだからな。聞き込みにいってみるか。
馴染みのない場所だけど…しかたない。
 
10人目と11人目
シタール [ 2007/08/26 1:58:46 ]
 「・・・は?・・・食い逃げ?カレンが?」

昼過ぎの小孔雀街の屋台。あまりにも予期しない事に汁そばを手繰る箸も止まる。
「応よ。あの浅黒い西方人の兄ちゃん。お前のツレだろ。」
店の親父はそういうと事細かに説明しだした。要約するとだ。3日ほど前に一見客のようにふらっとやってきて汁そば2杯に肉まんじゅう3つを食って逃げたらしい。

「でもよ…あいつさ。チャ・ザ信じてるんだぜ?それにそういうこと出来る性分の奴じゃねえ。」
「お前のツレだ。そういう奴がじゃないとは信じたい。だがな其奴がうちの店で金払わずに物食ったのは事実だ。」
そういうと親父は鉈みてえな包丁を見せてこう言った。
「今度見かけたらタダじゃおかねえ。」
まあ、もしそれがカレンなら親父は返り討ちに遭うだろうけどな。と思ったが口に出すのは止めた。
「ごっそさん。また来るわ。」
「毎度。学問とやらを頑張ってやってこいよ。」
「おう。あんがと。」
サイフをローブの中へしまい直すと俺は学院へと向かった。

思うところがあって、春から学院で基本的な博物学と下位古代語の読み書きを習いに通っている。
世間様で言うところの「学院の学生さん」って言う奴だな。
自分でも言うのも何だがこれほどこの言葉が似合わない人間って居ないと思うが…。まあ、それはそれだ。

ようやく通い慣れた三角塔へ入り、博物学の講義の行われる部屋へと入る。まだ始まる前の所為か若い生徒達は騒がしい。
…が、俺が入った瞬間に一瞬空気が変わって静まる。そりゃそうだ。金持ちの子弟が多い中で俺みたいな奴は浮く。あいつ等からしたら未知の生き物だろうからな。
いいんだ。後でバレン師主催の集まりがある。あそこなら俺も浮かない。大丈夫。気にしない。むかつかない。絡まない。うん(自己暗示)

それにこいつもいるしな。
「やあ。シタール。」
「うす。リーブ。」
30過ぎの痩躯の男が俺に話しかけてきた。
 
絶望
情熱を持つ者 [ 2007/08/26 2:47:12 ]
 あの日、戻ってきたモーザに水を与え、食べ物を用意しようとすると、食べ物は要らないとでも言うように首を振った。
見ると、黒い毛皮には幾つか──そのほとんどは口元だが──血が染みこんでいる。
あれを片付けてきたのかと問うと、モーザは首肯した。

私の腕に切りつけてきたあの男。腰の入った剣ではなかった。
その日のうちに、神への奇跡を願って、それは聞き入れられ、今ではもううっすらとほの赤い線が残るだけだ。
「なぁ……何故だろうな」
私はモーザの隣に腰をおろし、モーザの血の汚れを拭き取りながら口にした。
「何故、神は私に奇跡をくだされるんだろうな」
モーザがふと私を見つめる。
「……いいんだ、モーザ。その答えはもたらされるべきではない」

7人目の男の始末をモーザに任せたのは、奴はもう確認がとれているからだ。
モーザと私が別行動でオランの中を歩き回り、標的を見つけるとモーザが私にそれを教える。そして、私が確認をし、名前を呼んで返事をしたその相手を……という手順になっている。
返り血を浴びてもよいように、私はいつでも黒いマントを持ち歩いている。
剣を隠し、疑われぬように姿を変え、ごく自然な形でマントを持ち歩いている。
姿を変えたまま標的に近づき、標的に声をかける寸前にマントを身体に巻き付け、事を終えたらまたそれを身体から外す。そうしてまた人々の群れに紛れ込む。
私はもう人ではない。復讐の悪鬼になっている。なのにまだこんな小賢しい知恵を働かせている。
冷静に、周到に、決して疑われぬように。最後まで……やり遂げられるように。



そして昨日。私はモーザに羊皮紙を見せた。フィリップの名を線で消したばかりのリストを。
モーザが、ジョバンニの名を前肢で押さえる。そしてこちらを窺うように、その黒い目を動かす。

そうだな。ジョバンニはフィリップを見つけるのに役に立った。
けれど、もう使えない。使わないほうがいい。
同じ餌を何度も使うと、餌に使われている人間も、周囲の人間も気付く恐れがある。
大丈夫だ。奴らはオランに集っている。
奴らの1人が金で爵位を買ったという噂があった。あの卑劣な奴らはそれに群がるだろうと思ったが案の定だ。
金づるを最後まで残しておけば、奴らはオランを去ることはしまい。
皆、思っている。自分だけは大丈夫だと。
まずジョバンニを片付けようか。デイビスはジョバンニと会っていたという。それを追ってフィリップを見つけたが、繋がる線は消しておくに越したことはない。
ジョバンニを私の目で確認しなくては……。古代語魔法とやらが使えるのならさぞ便利だろう。使い魔というのは感覚を共有出来るらしいから。



今日、ジョバンニを求めて通りを歩いていると、幾つかの噂を耳にした。
辻斬りの容疑者が捕まった、というのだ。聞くとどうやらまだ若い人間らしい。しかも女だという。
精霊魔法も使えることから、犯行が可能なのではないかと疑われたらしい。
そしてフィリップと最後に会っていたのもその女だという。言い争っているのを目撃した人間が多数出たことから、衛視が取り調べてみる気になったのだと。
……それは私だ。彼らを殺したのは私だ。今も身につけているこの剣で私が彼らを殺した。
その女は何もやってはいない。共犯者でもなく、情報提供者ですらない。
殺したのは、私だ。
叫びたかった。けれど、往来で叫ぶわけにはいかない。普段は口が不自由な人間で通っているのだから、そんなことをしてはいけない。
……自らが疑われぬために、濡れ衣を着せられた人間を助けることさえしない。それが今の私だ。

モーザが見届けた場所にジョバンニの姿は見あたらず、私は家に戻った。
私とモーザの意志の疎通のために、家には幾つか文字を書いたカードが置いてある。
モーザはそれを操って、私に情報を伝えてくれた。

「ジョバンニ 入る 牢屋」

ジョバンニが捕まったという。何故だ、と問う私に、モーザは首を振った。わからないらしい。
ならず者であれば捕まっても不思議ではない。
となれば、ジョバンニは釈放されるのを待つしかないだろう。
次は……リーブにするか。奴は居所がわかっている。


私は自分の冷静さが怖ろしかった。
私は聖印を握りしめた。
もうこの聖印を握っても、心が落ち着くことなどない。
なのに握りしめた。

神よ、神よ……私の声を聞き届けてくださる女神よ。私は自分が怖ろしいのです。
私の手は血に染まっています。
同志モーザも、既に人の血の味を知っています。
女神よ、何故私たちに救いの手を伸ばしてくださらないのですか。
私はあなたに絶望しています。

強く、強く聖印を握りしめた。
 
塀の中の隣人
ユーニス [ 2007/08/26 15:19:35 ]
  「いい加減に吐いたらどうですか。6人目のときは事件直後に我々が拘束していますし、今回は事件の日に被害者と言い争う姿を数人が目撃しているんです。言い逃れはできませんよ」

 何やら上品ぶった衛視が、くどくどと並べ立てるが、私としては丁寧に反論するしかない。

 「今回酒場に居たというのも所詮冒険者の店での証言です。仲間を庇った虚偽の証言でないとは限らないでしょう。あなたが用足しで席を外したことも把握しています」
 「お手洗いに行く時間程度で人を殺して帰ってくるなんて芸当は私にはできません」
 「例えそうだとしても。犯人に情報提供をする共犯者という可能性も否めません。ですがあなたはそこそこ剣を使えるようですし、魔法も使える。今のところ間違いなくあなたがもっとも犯人像に近いんです」

 衛視が宿の私の部屋に来たとき、私は武器の手入れをしていた。手持ちの武器を片っ端から並べて順に手入れする光景が彼らの目にはいかにもそれらしく映ったのだろう。
 扉の脇で困惑気味にこちらを見ていた宿の女将さんは、いざ私が連行されるとなると
 「来月の部屋代までは貰っているから、それまではそのままにしておく」と
心強いんだか切ないんだか判らない言葉で送りだしてくれた。

 初めて入った留置場は、石造りで湿度が高く、不衛生だった。でも簡素ながら食事も出るし、とりあえず夏の日盛りに石の上に縛り付けられるよりはマシだろうと、のんびり構えることにしてみた。

 「よう。姉ちゃん何をやったんだ? 随分物々しい雰囲気だったじゃねえか」
 腹を据えてどっかりと座り込むと、隣り合った房から声がかかった。
 辻斬り容疑で連行されたと答えると、周囲に一瞬沈黙が訪れる。
 左隣の房の男などはあからさまに動揺している。震えてすらいるようだ。カタカタと床に何かがぶつかる音がする。
 「そ、そうか、とうとう捕まったか」
 安堵と恐怖の混在したその声に違和感を覚えた。仕切りのある留置場内で鉄の手鎖――魔法を使わぬように――で戒められている状態で殺せなどしないのに、相手の怯えは過剰ではないか。
 
 自分ではないが、犯人検挙に焦った衛視に捕らえられた、フィリップと最後に会って言い争っているのを目撃されただけで自分は何も知らないと答えると、左側の男はまた動揺する。
 「よう、ジョバンニ。カツアゲで捕まった挙句、ブタ箱で隣り合った姉ちゃんに怯えるたぁ可哀想なヤツだなぁテメエは」
 
 近隣の房から、幾つか下卑た笑い声が上がった。どうやら左隣の男、ジョバンニとやらは素行のよろしくない人なのだろう。時折ここにご厄介になっているらしく、そこそこ顔が売れているようだった。うるせえ、と怒鳴りつける声はどこかぎこちない。
 そうこうするうちに衛視が来て、ジョバンニが取調室に引き立てられていった。私の房の前を通るときふと目に入った彼の姿は、何だかカレンさんに似ていた。もっとカレンさんの髪を伸ばして下品な目付きと卑屈な口元にしたら、こうなるだろうか、とまで考えて、それがとても失礼な想像だと反省した。誰かが面会に来てくれたら、退屈すぎてついその話をしてしまいそうだけれど。

 このまま、やる気のない衛視に犯人扱いされて、刑を受けるのだろうか。それは避けたい。
 けれど、恐らく私が釈放されるとしたら、それは恐らく次の事件が起きたとき、だ。
 誰かの死傷と引き換えの自由など望まないけれど、一番確実で、少なくとも実行犯としての容疑は格段に薄まるそれを、今の私は待つしかなかった。
 
思わぬ足止め
カレン [ 2007/08/26 23:36:31 ]
 「おい、貴様!」

傭兵ギルドにいく途中、真正面から来た衛視が、こちらに指をつきつけ怒鳴った。
誰に言っているのだろうと、後ろを振り向いたが、通りを歩く者はみんな、驚いた顔を衛視に向けているだけで、誰も逃げる素振りを見せなかった。

「お前だ、お前! どうやって抜け出した。取調べ中だろう!」

二人組みの衛視は、俺を挟み込むように近づいたかと思うと、がっちりと両腕を押さえつけてきた。
何が起こったのか理解するより早く、乱暴に引っ張られ、衆目の中を連行されてしまった。

「なんで引っ張られたのか、教えてくれないか」

詰め所につくまでに尋ねると、衛視は顔を真っ赤にして怒った。

「とぼけるな、食い逃げ常習犯が! 何度も何度も手間かせかせやがって。今度は脱獄までやらかすか! 面倒をかけるな、チンケな小悪党が!!」
「……」

外で何か言うのはやめよう。
多少顔を変えているとはいえ、こんな激しく名誉を傷つけられる場面を知り合いに見られるのはゴメンだ。


詰め所に着いたら、今度は気まずい空気が場を支配した。
チンケな食い逃げ常習犯は、まさに取調べ中だったから。
しかし、疑いが晴れたわけでもなさそうだった。
やはり、チンケと似ているのだろう。「兄弟か」と問われた。二人で悪さをしているのではないか、とも。
冗談じゃない。
顔が似てるだけで、手癖まで同じだと思われてはかなわない。迷惑だ。
そして、事態はそれだけでは終わらなかった。
取調室から出てきたチンケが、俺を見るなり、狼狽して「お前は!」なんて口走ってしまったのだ。

「知り合いか?」
「知らない」「知らねぇ」
異口同音に答える俺とチンケ。
「隠し立てすると、ためにならんぞ?」
「…知っていたのは、似た奴がいるということだけだ。会ったのは初めてだ」
「ジョバンニ、お前は?」

コイツがジョバンニ…。見つけた。
ジョバンニは、こくこくと頷き、俺と同じことを繰り返し言った。
それも、衛視には気に入らなかったのだろう。確かに、示し合わせた言い訳に聞こえる。

が、どんなに疑わしくても、罪を立証できないのでは、放免するしかないのが衛視局だ。獄に繋ぐなども論外。
ジョバンニは、再び牢に戻されたが、俺は一晩、取り調べ室に拘束されただけで済んだ。
その間、聴取などもとられたが、適当にあしらった。
俺の神経は、目の前の衛視の質問ではなく、詰め所の会話に集中していた。

辻斬りの犯人が捕まった。女だったのは意外だった。そんなふうに見えないのに、外見ではわからないもんだ。所詮は冒険者さ。まぁ、しばらくは神経をとがらせることもないだろう。あとは自供させれば終わり。

そんな会話だった。
顔だけで引っ立てた衛視に、今回の周到な犯人を捕まえることができるんだろうか。
……納得できないなぁ。誤認なんじゃないの?
 
驚き
セシーリカ [ 2007/08/27 0:53:24 ]
 

「ねえねえ、セシーリカ知ってる? 辻斬りに斬られて、運ばれてきた人」
 食事中、フレデリカが小声で話し掛けてくる。またその話か、と眉をひそめたわたしの目の前で、フレデリカは真面目な顔でスプーンを振った。
「結局、殺されちゃったんですって」
「……ふぅん」
 興味がないわけではないけれど、それ以外にどう答えればいいんだろう。
 確かに、辻斬りの事件は気になっている。
 ラスさんが手傷を負って引きこもっているのも、元はと言えばその事件が原因みたいなものだし。
 ……第一、私はその人に会ったわけではないし、治療を手がけたわけでもないから、言いようがないんだ、と口に仕掛けたところで、ぴこ、とスプーンが止まる。

「それでね、犯人、捕まったんですって」
「へ、ほんと? よかったぁ……。それで、それはどんな人なの?」

「銀嶺の雫亭ってところを常宿にしてる冒険者なんですって。しょっ引かれていくの、ナナが見たそうよ」
 あれ、それって確かユーニスさんが常宿にしてるところだ。そんな人が隠れ住んでたなんて、ユーニスさん知ったら吃驚するんだろうな。
「それで、どんな感じの人だったのかは聞いた?」
「ええ。背はそんなに高くないんだけど、筋肉が逞しい、腕の立ちそうな女の子だったんだって」
 女の人だったんだ。ちょっと意外。でも、オランには、腕の立つ女剣士はたくさん居るから、そう珍しくも……。
「部屋を改めたら、たくさんの武器を持っていたんですってよ。怖いわよねぇ」
「ぶふっ!」
「きゃ! ちょ、紅茶かかっちゃったじゃないの! 

 って。
 待て。ちょっと待て。激しく待て。


 部屋にたくさん武器を持っている、逞しい体つきの女の子……?

「ゆ、ユーニスさん!?」
「そう、そんな名前だった……ってセシーリカ、どこ行くの?」
「ちょっと急用!」
「ちょ、午後の仕事はどうするのよー! こら、センカ、待ちなさいよーっ!」

 フレデリカが何か文句を言ってるみたいだったけど、そんなのを気に留めている余裕はなかった。



 数刻後。
 わたしは、ラスさんの家でくだを巻いていた。
 カレンさんは忙しいらしく、哀れなラスさんは一人、わたしの愚痴を聞く羽目になった。

 結果を言うと、ユーニスさん(?)には会えなかった。
 重大な犯罪を犯した虞のある人間だから、めったなものに会わせるわけには行かないのだ、と、主にわたしの耳を見ながら、衛視の一人はそういった。
「どうしても会いたいなら、誰か後ろ盾のしっかりした人を同伴しろ、なんて言うんだよ。この耳でからかわれるのは慣れてるとはいえ、流石に腹立っちゃった!」
「あー。そうだなー」
「やる気あんのラスさん」
「違う“やる気”ならなくもない」
「て、ちょ! 触るな!(べし)」
「いてっ! 叩くなよ、冗談だって」
「……ったく……。それでね、明日にでもヘルムート先生連れて行ってみようと思うの。心配だし」
 ユーニスさんがしょっ引かれたなんて、誤認に決まってるのに。ちゃんと調べたのかな、あの人達。
 まあ、オランの「臭い飯」はそんなに臭くないから、それほど凹んではいないと思うけど。


 と言うわけで翌日。
 事情をヘルムート院長に話して、朝早くにユーニスさんに会いに行く。衛視は、ちょっとむすっとした顔をしたけれど、特に問題もなく面会を許可してくれた。

「セシーリカ! 会いに来てくれたの?」
 格子越しに会うユーニスさんは、いつも通りのつやつやした、でもちょっと疲れた顔でわたしを出迎えてくれた。わたしたちは再会を喜び合い、ちょっとした差し入れ(座布団は無理だったけど、金平糖なんかの小さな甘いものは許可してくれた)を渡して、会話に興じることが出来た。
「何かの間違いなんです。でも、きっとそのうちでられると思うから、そんなに悲観はしてません」
 次の事件を心待ちにしているようで嫌だけれど、と言うユーニスさんの言葉は、それでも、それしか自分が自由になることはないと言っているようで。
 あ、やばい。本気で腹立ってきた。ここの衛視の無能さに。……わたしの怒りが伝わったのだろう、ユーニスさんは話題を変えようと、別の話しを持ち出してきた。

「そうだセシーリカ、知ってる? ここの隣に、カレンさんにそっくりの人が居るの」

 ユーニスさんの話だと、彼の名前はジョバンニ。カツアゲで捕まったちんぴらさんらしい。カレンさんの髪を伸ばして、目つきと口元をいやらしくしたらそっくりなんだとか。人の容姿で盛り上がるのは申し訳ないけれど、こういうことしか話がないのだから仕方がない。わたしたちは衛視が面会の終了を告げに来るまで会話に興じ、早く帰れとせっつく衛視を後目にまた来る約束をして、詰め所を後にした。


 帰り道。
「院長、付き合ってくださって申し訳ありませんでした」
「いや、どうせ手のかかる患者が居ない今は暇なのでな。しかし、オランの衛視にも困ったものだ。数年前からとみに、その傾向が強くなっているな」
「そうなんですか?」
「うむ。わたしがまだ郊外の村に赴任していた頃の話だが……いや、これは蛇足かな。あくまでも個人の意見だから、口外はしないでくれたまえよ」
「はいはい、わかりました。今日のサボリを認めてもらえるなら、黙っておきますとも」
「うむ。あの可愛い半妖精の彼氏に宜しく言っておいてくれ。また来るなら大歓迎だと」

 分かれ道でヘルムート院長と別れて、わたしはラスさんの家に向かった。
 ユーニスさんの現状と、ユーニスさんから聞いた「カレンさんそっくりのジョバンニ」の話をするために。
 
情報は被害者にあり4
カレン [ 2007/08/28 1:10:01 ]
 傭兵ギルドとは、どれだけ荒くれた雰囲気のところかと身構えて訪ねたのだが、なんのことはない、冒険者の店とそう変わらなかった。傭兵達は、皆サバサバとして明るい連中だった。
雰囲気で比べるなら、盗賊ギルドの小暗さのほうがよっぽど居心地は悪い、かもしれない。
そこで、ニナという傭兵について話を聞いてみた。
気が強く、かなりムラのある性格だったらしい。
普段はおしゃべりで陽気なのだが、怒ると人や物に当り散らすか、部屋に閉じこもって姿を現さない。そして、怒りが収まると、それまでの事をいっさい忘れてしまったかのような態度になる。しかも、突然。
気分の浮き沈みが極端に激しく、戦場の厳しさを経験し、肝の据わった古株と呼ばれる者たちにも、御しきれないところがあったらしい。
所謂、部下には欲しくない代表格。
それでも、一緒に組んで仕事をする者もいたようで、それがデイビスだという。
デイビスも、一般市民相手に問題を起こすことがあり、評判はよくなかった。そろそろ除名処分と噂されていたらしい。
二人は、このギルドに所属する前の事を、全く喋らなかった。詮索すると、それがどういう流れの会話であれ、キレるというので、そのうち誰も訊かなくなった。よっぽど喋りたくない過去なのだろう。
こなす仕事も少ない。その割りに、金回りがよかったらしい。

「あいつら、ナントカっていう金持ちにタカってたみたいだぜ。酒場で喋ってるの聞いちまったんだ。むこうは気付いてなかったみたいだけどな。なんか、弱みを握ってるっぽかったな。ありゃ、強請りだ。
名前? ぁ〜……なんてったかな。キリバス、だったかな。ドリー・キリバス。
でかい家を構えてるってさ。場所までは知らないよ」

まぁ、住所なんかは、巣穴で訊けばわかるからいいか。


傭兵ギルドからの帰り、ローブを着た男と歩くシタールを見かけた。

「よぉ」

声をかけると、シタールは小首をかしげ、ローブの男は一歩後ずさった。

「な、な、な、何の用だ。こ…声をかけるなって言ったじゃないか…」

脈絡のない返答が、俺とシタールを黙らせた。

「おい、リーブ……?」
「もう関係ないんだ! 放っておいてくれ!」
「あ、ちょ、待てよ。リーブ!」

リーブと呼ばれた男は、あっという間に走り去り、俺たちは状況がよくわからないまま取り残された。
いや、本当にわからないのは、シタールだけだ。
あの男は、俺を誰かと間違えたんだ。それは、きっとジョバンニだろう。便利な顔だ。

「もしかして、カレンか?」
「そうだよ。わかったのかい?」
「声でな」
「たったあれだけで?」
「吟遊詩人の耳をナメるなよ。…なんてな。
あ! そうだ。お前、食い逃げの容疑かけられてるぜ。汁そば2杯に肉まんじゅう3個」
「昨日、冤罪で引っ張られてきたよ」
「なんだ、やっぱり間違いか。そうだと思ったぜ」
「…その話はもういいや。なんか、屈辱だ…。
それよりシタール。あの男、アイツからできるだけ目を離さないでいてくれないか」
「リーブのことか? いったい、なんだってんだ?」

リーブが辻斬りの被害者候補である可能性をシタールに説明し、後を追いかけてもらった。
口を割るかどうかはあやしいが、ジョバンニ、ニナ、デイビスなどの名をあげ、知ってるかどうか、どんな関係だったかも問いただしてくれとも頼んだ。


ここで、一旦、家に帰るこことにした。
取調室の椅子は硬く、座り心地は最悪だった。少し横になりたい。
ジョバンニも、そう長く拘束されてはいないだろう。明日からは、ヤツを張ることにする。それと、ドリーという男の家を突き止めなければな。

そして、家では意外な事実を聞くことになった。
辻斬り容疑で捕まったのは、ユーニスだという事実を。
 
傍観者
ラス [ 2007/08/28 2:09:49 ]
 
何故だろう。今回は動かないでおこうと思った時に限って、情報は集まってくる。
衛視の通達やらギルドの情報やらは、途中まではそこそこチェックしていた。だから事態は把握している。
衛視やギルドが想像する「犯人像」とやらに俺が当てはまる、と聞かされたから余計に。
奴らの予想する犯人像というのはこうだ。
「魔剣を持っていて、目くらましなどの魔法が使えて、細身な男」
切れ味が普通の剣ではなさそうだというのと、傷口が一部焼け焦げていた点から魔剣と想像しているらしい。
そして、犯行の前後に目撃者がいないことから、目くらましかそれに類する魔法を使えると。

確かに、俺には可能だと思う。もしも俺の剣が炎を纏う剣だったら。
目撃者がどうのというのは、姿隠しでなんとでもなるし、相手の近くに静寂の範囲を作り出すか、相手に混乱の魔法でもかければ、近づいて一気に片を付けるのは難しくないだろう。
細身な、というのは、唯一生き残った(でも先日殺された)被害者の目撃証言だ。
だが、「自分より小柄だった」と言っていた当の被害者は、身長190センチ、体重100キロの巨漢だそうだから、そいつに比べれば大概の奴は小柄で細身になるだろう。


ユーニスは投獄される前に、酒場経由で手紙を寄越した。
カレンは自分の頭の整理も兼ねてだろう、いつも独り言なのか報告なのかわからないことを、俺の目の前でぶつぶつと呟いている。
ユーニスに会いに行ったセシーリカも、愚痴の続きの経過報告をしていた。

そして、ふと思う。
誰も、「犯人像」の修正はしていないよな、と。
衛視やギルドが想像した犯人像を肯定する証言も出ていないし、否定する証言も出ていない。
「誰が」「何故」やったのかを、ユーニスやカレンは調べているようだ。
それはまぁ、ある意味正解なんだろう。動機を特定することで犯人が特定出来るなら、次の標的も特定出来る。そうすれば、被害を未然に防ぐことが出来るかもしれない。

でも、「どうやって」やってるんだろう。一度ならず、夕刻、まだ人通りの多い時間に犯行は行われている。何故目撃者がいない? 犯行の前後に黒い犬を見かけたという情報は知っている。けれど、実際に犬が襲ったのは、うっかり生き残った奴の後始末だけだ。
じゃあ何故、目撃者がいない?
どうせ魔法を使って……と、俺はギルドの中でもよく言われる。今回の事件とは関係のないことでも。
けれど実際には、その殆どは魔法を使わなくても可能なことだ。
魔法の代わりに技術を覚えるんじゃない、技術の代わりに魔法を使うんだから。
今回の犯人は……どうだろう。

魔法を使っているのなら、古代語魔法の幻覚か、それに類するもの。何らかの方法で路地におびき寄せてから眠らせるという手もある。
精霊魔法なら、「自分がやるなら」と想像したように、姿隠し、静寂、混乱、このあたりか。
でも、じゃあ魔法以外では不可能なのか……?
いや、そんなことはない。
魔法以外で不可能なのは、黒い犬とやらの動きと、殺した傷口の焼け焦げだけだ。
むしろ魔法なら、呪文の詠唱が必須になるんだから、その分タイミングが遅れるだろう。一撃必殺を狙う時にそれはどうなんだろう。


カレンはどうやら被害者たちの「金づる」を調べに行くらしい。
シタールは、ジョバンニという男を知っていたリーブという男を追ったらしい。
ユーニスは、どちらにしろアリバイがあるだろうからそのうち釈放されるだろう。

んー……俺はどうしようかな。左腕の傷はもう治ってるが、このクソ暑いのに出歩く気はしない。
余計な揶揄を聞く気にもならない。


今回の犯人は……どんな奴なんだろう。
 
事故
ディーナ [ 2007/08/28 3:01:04 ]
  最近、巷を騒がせる連続殺人犯。被害者の衣服に焼け焦げのあることから、犯人が魔法を使った、もしくは魔法を使う協力者がいるのでは、と推測されている。
 魔法がそんな目的のために使用されるなんて、私としてはとても心外なこと。解決のためにできることがあるならやっておきたいが、私にできそうなことなんて、何かの合間にぶつぶつと考え込むぐらい。
 しかも、別に積極的に情報集めをしているわけでもないし、噂から思いつくことは、もしかしたら、犯行に共通語魔法が使われているかもしれない、という仮説ぐらいだった。
 後から考えれば、炎の魔剣による犯行の可能性もあり得るし、犯人が剣士かつ魔術師である可能性もある。また、犯人に脅された魔術師の協力や、考えたくは無いが、目先の金のために、殺人に手を貸している魔術師の存在だって否定しきれない。むしろ、禁制の共通語魔法を学院から持ち出して犯人が使用しているというものに比べたら、そちらのほうがいささか現実味がある話に思えた。

 が、そんな話を学院の知り合いに話してみたところ、共通語魔法の可能性は否定はされなかった。むしろ、「過去に禁制の共通語魔法を持ち出して売る者もいた」という話まで聞かされた。
 ただ、同時に、「そこまでして炎付与をする理由は分からない」とは言われた。
 確かにそうだ。一般市場にない入手しづらい炎付与の共通語魔法でなくとも、威力はやや落ちるが、同様の付与魔法は市場に存在する。
 しかも、そちらなら、剣に魔力を込めるだけなので衣服が焦げたりすることもなく、自分の情報を無闇に残すこともないし、炎を剣に宿らせるような派手なこともないので夜でも目立ちにくい。これだけ犯行を続けられる周到で賢いと思しき犯人なのだから、その程度のことは分かるはずだが……?

 考えてみれば、それは、魔剣だろうが、古代語魔法だろうが、共通語魔法だろうが同じこと。
 どうして、犯人はそんなことをするのだろうか。周囲に悟られないために確実に一撃で仕留めるために強力な武器を選んだ? だが、炎であるが故の不利益を覆すほどに重要なことだろうか。それなら、2回斬りつけて止めとしても良いのではないか。
 何か、炎に固執する理由があるのだろうか……例えば、怨恨による殺人と仮定して、その恨みに炎が関わる……とか。

 悪い癖で考え始めると、あまり周囲に気遣いができなくなる。目の前の本にも集中できないままに、図書館も閉まるような時間になっていた。
 司書さんに声をかけられてようやくそのことに気付いたが、図書館を出てからもずっと考え事は続いていた。
 とりとめのない考え事は、枝分かれするもので、犯行の理由が怨恨とすれば、被害者たちは一体、加害者に何をしたのだろうか……というようなことも考えたりしていた。

 と、そんな調子で常宿に続く道への角を曲がろうとしたところ、誰かが勢いよくぶつかってきた。
 相手は、かなり慌てて走っていたため、私は突き飛ばされるような格好になった。その際、私の持っていた杖や本などはもちろん、相手の持っていたものも散らばった。
 相手は、大体30歳ぐらいの男の人で、私と似たような格好をしていた。持ち物も同じような具合で、顔は見覚えは無いが、恐らく魔術師なんだろうな、と思った。
「気をつけろ!」
 その人は、慌てている心を紛らわすように大声で私に怒鳴りつけると、散らばったものをかき集めて、また走り始めた。
 私は、思わず呆然としてしまったが、はっと我に返って自分の荷物を拾った。杖に、本に、携帯用のインク……は、ひっくり返ってダメになっている。
 後は……メモがない! いつもメモに使っている羊皮紙がどこにもない。もしかして、今の人が間違えて持っていってしまったのかもしれない。
 慌てて、男の人の走り去った先を振り返るが、そこに姿はすでにない。
 う……困った。今、読んでる本の大事なところとかをたくさん抜き出してメモしているものなのに……。

 仕方ない、と呟いて、頭の中で、エリザに呼びかけた。エリザは最近、ようやく儀式に成功して呼び出した使い魔の黒猫。普段は、あまり用事もないし、基本的に別行動だが、今は身軽な彼女に男の人を探してもらうのを手伝ってもらうことにした。
(無茶を言うね。この町に一体、いくらの人間がいると思ってるの?)
(見つからなくてもいいから、とにかくお願い。場所は宿から北に向かう方向で、とにかくすっごく慌ててる感じの人!)
(やれやれ……)

 頼んでおいて、私も走り始める。また、人にぶつからないように注意もしながら。
(あれじゃないかな?)
 しばらくしてエリザから声がかかる。エリザの視界で確認すると、幸運なことに、確かにさっきの人だった。走り回って疲れたのか、今は壁に手を置き大きく息をついている。
 場所は今、私のいる場所からそう遠くない、大通りから外れた安宿の点在する細い路地、他に人の姿はない。
 今になって行くべきかどうか躊躇った。何しろ、今にも通り魔事件が起こりそうな場所だからだ。
 しかし……メモは取り返したいし、それに……その男の人は今までの被害者とは違う、魔術師風だった。多分……大丈夫。

 自分に言い聞かせるように考えていると、
(うわっ、犬! おっきい!)
 慌てるエリザの声が聞こえ、同時に視界が急転した。一瞬後には、路地から男の人を見上げるエリザの視点は屋根の上を映し出していた。
(どうしたの!?)
(大きな犬が来た。怖いから逃げた)
 猫らしくもない冷静な口調で猫らしいことを言われると、なんとも変な気分だ。
(場所はもうわかったからいいでしょう?)
(うん、ありがとう。すぐにその場所には行けるし、多分、大丈夫)

 だが……その通りについた私は、ガタガタと震えることになる。
 そこには、散らばる書物、私のメモ用紙、鉄の匂い、焦げる匂い、広がる血と内臓と、そして、その真ん中に、変わり果てた男の人の姿があったのだから。
 さっき、エリザと最後の会話をしてからそんなに経ってない。数分も経っていない……と思う。
 全く、何が起こったのか分からない。何の心の準備もなく、あまりに生々しい人の死を目の当たりにして、私はただ震えるしかできなかった。

「おい、一体どうしたんだ?」
 私の後ろから声がかけられたのは、そのときだった。
 
牢獄の扉は開かれ
ユーニス [ 2007/08/28 14:52:18 ]
  何度かの取調べを経ても口を割らない私に業を煮やしてようやく裏付け捜査をはじめたら、アリバイが崩れるどころか私の証言の補強になってしまい、衛視たちは頭を抱えていた。
 私の態度にも神経を逆なで、もといすり減らされているらしい。疲労困憊といった様だ。
 それに対し、独房でも鍛錬を怠らず、ほどほどにクサイ食事も残さず食べる私の方は、減量してまで闘争心を高める競技の選手よろしく結構元気だった。でもセシーリカの差し入れが、一番元気の素になったのかもしれない。
 ちいさなお菓子を口に運びながら、考えてみる。
 もし、これで犯行が終わりならば、犯人は自分に目をつけられる前に、私に罪をかぶせたまま逃げるだろう。もしくは、自分を犯人とされていないことに安心して、これを機にリスクを重ねることをやめるかもしれない。
 
 「若気の至り」フィリップはそう口にしていた。その後彼が殺されたことからも、それが原因なのだろうと思う。ここまで執拗に殺すところを見ると、もしもまだ古い遊び仲間とやらに生き残りが居るなら、犯人の恨みは恐らくその人を殺すまで晴らされることはないだろうとも思う。 犯人は、何故今になって過去の清算をしているのだろう。

 結局私は釈放された。証拠不十分ということで、結局拘束しきれなくなったのだ。
 午後も遅い時間に手続きをしていると、ジョバンニが誰かに身元引受人を頼んだとかで、先に出て行った。奉公する筈だったお屋敷だか何だか伝手を頼って、という話が聞こえてきたので、相手にとっては迷惑な話だったのかもしれない。本人ではなく使いの人が迎えに来ていたようだ。

 当分はオランから出るなとか容疑は晴れたわけではないとか疲れた口調で説明する衛視の顔色がさらに悪くなったのは、その場に届いた「辻斬りが現れ、現場で第一発見者にして怪しい魔術師の男女の身柄を確保した」という報せのせいだった。
 慌てて駆け出していく数人の背を見送る。気まずさからか早口で残る説明をしたあと、私を追い出すように送り出した衛視の顔は、安堵したようにも見えた。

 晴れて自由の身、とも言えず、宙に浮いたような状態では仕事も請けづらい。
 せめてどんな人が犯人か見てやろうと気になって、詰所の近くに留まっていると、通りの向こうからものものしい制服の一群がローブ姿の男女を引き連れて戻ってきた。容疑者というより参考人といった扱いを受けていたけれど、辻斬り、という言葉にたちまち人垣ができる。人垣の間に紛れるようにして私は彼らを見ていた。
 二人とも、よく見覚えのある顔だ。

 「え、ディーナさん!? シタールさんまでっ」
 意外すぎて、彼らが不利になる、とかそんなことに気が回らず、つい名を呼ぶと、彼らは驚いたように振り向きつつ、詰所の扉に消えていった。周囲の視線より、何故彼らが、という衝撃が勝って、私はしばらくそこに立ち尽くしていた。
 恐らく、私と同じように、彼らも巻き込まれたのだろうと確信しつつ。

 だって、ありえない。あのディーナさんに限って、ありえない。彼女が人を殺めることが考えられない。しばらく一緒に仕事をしてないけれど、それだってこの夏はなんとか一本研究論文を仕上げたいとか言ってたからというのもあるし、彼女の行動範囲を考えれば、アリバイも多分あるはずだ。
 シタールさんが犯人というのだっておかしい。大体さっき、ローブ姿だった。あの下に剣を隠し持っていたというのだろうか? そもそも学院通いに、剣など持ち込めない気がするし、あのとても繊細な心遣いのできる人が、あえて持ち込みもしないだろう。
 もしライカさんが傍に居たら先にシタールさんの息の根が止まってただろうなとかそういうんじゃなくて、故なく人を斬るような人じゃないし、せいぜい拳で半殺しで収めると思う。
 確かに魔術師と戦士が組めば、辻斬りの条件は満たされるけれど、納得できない。

 ……さすがにこの一件からは少し距離を置こうかと思っていたのに、こうなったら徹底的に関わってやろうじゃないの。あ、でもその方が二人にとって迷惑だったら……それは、困る。
 
 とりあえず、私はマーファ神殿の施療院に向かった。もともとヘルムート院長とセシーリカにお礼をしに伺うつもりだったけれど、彼女に相談に乗ってもらえるなら心強いから。
 迷惑かも、しれないけれど。やっぱり一人じゃできることに限りがあって。
 彼女には、重ねてお礼しなきゃいけないと思いつつ、神殿への道を辿った。
 
回想と後悔と誓詞
シタール [ 2007/08/28 23:17:55 ]
 カレンの顔を見て慌てふためいて逃げるリーブに辻斬りの件で問いただした。

大体、アレは戦士ばかり狙われてたんじゃないのか?
お前は冒険者家業にはあこがれてたけどそんな経験はねえって言っていたよな?
商人の次男坊で独立してやっていた商売が軌道に乗ったからあこがれていた学院へ入ったんじゃないのか?

俺の矢継ぎ早の質問に対して、奴は長い沈黙の後に重い口を開いた。

「誰かに聞いて欲しい気持ちもあるんだ…。ただ。…時間をくれ。ケリをつけておきたいこともあるんだ。…頼む。」
そういうと奴は妻の待つ家へとまっすぐと戻った。
家まで道をつけた事で相手は商人だし、ちゃんと見張っておけば俺でも大丈夫。そう考えた。

夕刻過ぎに学院を出たあいつを追った。いつも大通りだけを通るはずなのに不意に路地裏へとはいる。
……気づかれた?そう思い急いで路地裏へと入るが…見失った。

ああ!くそ!やっぱ、カレンとかに任せるんだった。

その後に必死になって探した。一度は家に行ってみたが帰っている気配はなく。
嫁さんに話を聞いてみると「今日は学院の方々と話し込むから遅くなる。」と朝に言ってから家を出たのこと。
なるほど、ケリをつけに行ったって事か…。だからって路地裏に行ってしまったら死にに行くようなものじゃねえかよ。
嫁さん、居るじゃねえかよ。嫁さん、腹でかかったじゃねえかよ。死んじまったらどうしようもねえだろうがよ。

行きそうなところは全部探したが…つきあいが短いだけに片手で数えられる程度しか思いつかない。
諦めかけたその時に聞こえてきたかすかな言い争う声。この片方は……リーブだ。

そちらの方へ急ぎ走る。

「やめろ!」と言う奴の声。微かに聞こえた呪文らしき物。絶叫……その後に沈黙。
たどり着いたときには倒れ焼けこげ始めたリーブ。そして…炎を纏った剣を持った黒い外套を羽織った大柄な男。

はらわたは煮えくりかえっているというのに、以外と頭は冷静なものだ。相手は武器を持っていて、こっちは素手だ。はっきり

いって勝ち目はない。まずは身を隠し、相手が去るのを待つ。
カッカッカ。走り去る足音が遠ざかるのを聞き。気付かれずに去ったことにほっとしていると何かの気配がして振り向いた。
犬……にしては妙にデカイ。そして黒いの毛皮に妙に凝った衣装の金の首輪。こいつが辻斬りの現場でたびたび見かけられたっ

て言う黒犬だってのはすぐに分かった。
そして、俺はこのままこいつにかみ殺されるであろうとも…。素手でこいつに勝つ自信なんざカケラもない。

…が、奴はリーブの死体をじっと見つめ。そして辻斬りが去った方向を見た。
そして何かを考えるかのようにじっと空中を見た後に俺のことなど気にもせずに素早く去っていった。

ようやく一息つけるようになっってからやっとリーブの元へと向かった。
辻斬りは今まで対象のすべてを一刀のもとに殺していると聞いていたので、さほど苦しまずに死んだと思ったのだが…。
奴の顔にあるのは腹辺りを斬られ、苦しみながら死んだと思われる苦悶の表情。

何故だ…。
そう思っている内にまた誰かの足音が聞こえてきた………。



「…って言うわけだ。」
一通りの取り調べが終わり、詰め所の隣の牢屋に放り込まれたディーナに話した。
「………。」
ディーナはあごに片手を置くと沈黙を保ったまま何かを考え始めた。そして…。
「シタールさんはどう感じました?」
との切り返し。
「そう……だな。」
いつもの考えるの癖で頭を掻こうとしたが、鎖で拘束された状態ではそうもいかない。
くそ。俺らじゃねえってのは衛視側も分かってるんだろうが。ここまでご丁寧するなっての。
「とりあえず、いろんな感情が渦巻いてるけど。一つだけ言えるのはこの件は怨恨による犯行でその対象にリーブも居たっての

は事実だ。」
「そのことに関しては、私も同意見です。ただ…。」
そう言って…急に言い淀んだ。
「ただ?…何だよ。当てずっぽうでも何でも言い。言ってくれ。」

「リーブさんを殺した人間は本当に今回の辻斬りなんでしょうか?どうもシタールさんの話を聞くと引っかかる部分があるんで

す。」
「それって、斬られ方のことか?」
「はい。それもありますが他にも2、3箇所。でも、情報不足です。結論づけれません。」
「って言うことはアレだな。とりあえず色々と調べねえと行けないことは多いみたいだな。」
「うーん………でも、その前にここから出ること考えないと行けません。」

そりゃ。そうだ。と互いに軽く笑い合うと黙って床に座り込んだ。

今頃になって後悔の念が浮かぶ。あの時にとっちめてでも聞き出すべきだった。

それが出来なかった代わりに俺が出来ることは………犯人を見つけるぐらいだ。
 
裁く炎
情熱を持つ者 [ 2007/08/29 3:12:20 ]
 7年前の秋だった。
前年の収穫期に雇った若者が3人ほど、今年も手伝わせてくれとやってきた。
我々は彼らを喜んで迎えた。若い労働力は貴重だったから。

1人はデイビスだった。少々荒っぽいところがあったが、よく働く若者だった。
1人はケイトという女だった。時折怠ける癖はあったが、よく笑う娘だった。
1人はドリーだった。卑屈な目つきをしていたが、文句を言わぬ若者だった。

我々は彼らに住まう所を提供し、食事を提供し、酒と金を与えた。
彼らは我々に労働を提供し、オランでの最近の流行を教え、少しばかりの笑いをもたらした。

そしてその年の収穫が終わり、冬を迎える準備に入った頃、荘園を去ったはずの3人が戻ってきた。
他にもたくさんの人間を連れて。
生まれて数ヶ月の赤ん坊を含め、荘園には26人がいた。

彼らはまず子供たちから殺していった。
次に女たちを殺した。
年寄りが殺され、男たちも殺された。
奪われ、焼かれた。

彼らは笑っていた。
燃えさかる炎を背にして、笑っていた。
炎に照り映えた赤黒い顔は悪鬼のようだった。
血にまみれた剣を右手にさげ、左手には息絶えた子供を掴んだまま、彼らは笑っていた。

私は斬られた弾みで家の地下室に転がり落ち、そこへ誰が蹴ったものか、入り口を戸棚が塞いでしまった。
どうせ火をかけるから良いと思われたのかもしれない。それとも致命傷を与えたはずだと思いこんでいたか。私はそのまま捨て置かれた。
地下室の片隅で半ば朦朧としながら神へ語りかけた言葉は聞き入れられ、私の傷は神の恩寵によってふさがった。
けれど、地下室から這いだした頃には既に荘園は焼けていた。
その光景は、私に絶望を教えた。

地下室にあったものは、彼らは奪わずに去った。
現金や食料、宝石、そういったわかりやすいものばかりを彼らは奪っていった。
地下室には、古代王国期の魔法の品がひとつ残されていた。動物に知恵を与える魔法の首輪だ。
私はそれをモーザに与え、その日から私とモーザは同志になった。


荘園を焼かれた貴族は、当然、オランの警備隊にその旨を申し立て、犯人を捕らえるように要請したが、無能な警備隊たちが捕まえてきたのは、あの日笑っていた彼らとは別人ばかりだった。
犯人が捕まらないままなのはとても遺憾に思うと貴族は顔をしかめたが、次の年の春までには焼かれた荘園は再び整えられ、別の家族たちがそこに住まうことになった。
今までご苦労だった、と貴族は言った。家族を全て喪った神官殿に慰めを、と言った。
私は、一振りの魔剣を貰った。

鞘から抜き放ち、短いコマンドワードを唱えるだけで炎を纏う魔剣。
炎の光はあの時の絶望を思い出させたが、彼らを裁くのならそれもまたふさわしいと思えた。
小振りの剣だというのもまた都合が良かった。

オランの神殿にいた頃、剣を習い覚えたことがある。
神官戦士として任命されることはなかったが、その心得のある友人から手ほどきを受けていた。
それを思い出しながら、私は自らを鍛えた。
知恵を与えたモーザに、人間の言葉を教え、文字を教えた。
そして、あの時の彼らが今どこにいるのかを調べた。

7年、かかった。



神よ、神よ。我が神よ。
私の心はもう、憎しみと哀しみしか知りません。
私の眼はもう、血と炎の色しか映しません。
私の耳はもう、自らの嗚咽と彼らの悲鳴しか聞きません。
けれど、唇は未だあなたの御名を唱えます。
神よ。
私にはそれが苦しいのです。
 
犯人の正体
ディーナ [ 2007/08/30 1:15:41 ]
  はぁ……。
 暗い独房の中、深い溜息を吐いた。オランに出てきて5年程にもなるだろうか……田舎ではできない色々な経験をしてみたいとは思っていたが、まさか、衛視さんのお世話になる日がくるなんて……両親が知ったらどんなに嘆くだろうか。
 まあ、もちろん、何も疚しいことはしていないということは胸を張って言えることだし、恐らく、衛視さんも分かってくれるんじゃないかと思う。明日、もう少し同じような話をしたら、外に出してもらえるだろう。
 ならば、いっそ、この本も何もない状況を逆に好機と捉えて、事件について考えられるだけ考えてみよう。
 幸いなことに一緒に捕まった(不謹慎な表現だが)シタールさんから、被害者のこととか、事件前の現場の様子などが聞けた。今まで噂程度の情報しかなかった私には、とても嬉しいことだった。

 だが、しかし……その話には腑に落ちない点がいくつかある。まるでリーブさんを斬った犯人は、今までの連続辻斬り犯とは違う人のようだと感じた。
 根拠の一つは、シタールさんも言った斬り方のこと。ただ、これは戦士さんらしい目のつけどころで、私は実はそこまで注目してなかった。
 それよりも気になったのは、まず、リーブさんが話をつけようとした相手だ。
 シタールさんが見た犯人の姿や、状況からして、連続通り魔犯のようだが、私にはそれが信じられない。だって、犯人はすでに9人も殺している上に、しかも、そのうちの一人、デイビスさんを、一度は命からがら助かったところを後から犬を使ってまで止めを刺す念の入れ具合だ。今更、命乞いや交渉で話がつけられる相手じゃないことは明らかだ。仮に犯人から何かを条件に呼び出されたとしても、どう考えても罠と思うだろうし、それならシタールさんに話すとき、何かを仄めかしただろう。

 また、シタールさんが見たという犬だが、事件後に現場に来たというのが気になる。
 犬がデイビスさんに止めを刺したことからして、その犬はかなりのレベルで、人間の言うことを聞き分け、その通りに動くことができるのだろう。もしかしたら、魔法の道具で人間並みに知能を高めたり、さらには使い魔のように意識を通じ合わせているのかもしれない(調べてみないとそんな道具があるのかわからないが)。とにかく、そうした場合、事件前に標的であるリーブさんの姿をチェックするために犬が現れたならまだしも、事件後に犬が出てくる理由がわからない。目撃者がいないか周囲に警戒するため、というなら、物陰に隠れたシタールさんを犬の嗅覚が見逃すはずがない。むしろ、まるでこれからリーブさんをチェックしようとしたところを先を越されたような印象さえある。

 そして、最後に、犯行の実行までに、リーブさんと犯人が会話をしていたらしいということ。加えて、それを聞いてシタールさんは、現場に向かうことができたということ。
 標的の最後の言い訳を聞いたりするのかと思ったが、デイビスさんは、”暗い道で声をかけられ、振り返ったと思ったら斬られていた”と証言していたらしい。一瞬のことに剣を抜くことさえままならなかったとか。今回の状況と明らかに違う。だが、そうであってこそ、何人も辻斬りをしながら正体不明の犯人でいれたはず。今回、はっきりとシタールさんに姿を見られているというのが、今までの犯人像とどうも合わない。

 まぁ、これらは、私の思うところ、知りうる範囲と比べての違和感なので、断言することはできない。新たに情報が入って意見を変えることになるかもしれない。だが、この違和感はそのときまで、忘れないようにしておいたほうがいい。何しろ、もしかしたら、二人目の殺人犯が現れたかもしれないという可能性を示唆しているのだから。

 ……はぁ……。
 さて、ある程度、考えてみたが、この場では新しい情報も入らないので、すぐに行き詰まってしまう。
 どうせなら、ここに入る前に考えていたことをシタールさんに意見伺ってみよう。

「シタールさん、ちょっとお伺いしたいんですけど……リーブさんも含めて、犯人は、最低でも10人もの相手に殺意を持っていたことになるじゃないですか。そんなにたくさんの人を相手に恨みを持つって一体、何があったんでしょうね?」
「さあな。色々考えられるだろ。恋人か、嫁さんを殺されたとか、子どもを殺されたとか……」
「10人がかりでですか?」
「いや、10人が一斉にじゃなくても……例えば、住んでる農村が野盗に襲われたとかじゃないのか?」
「うーん……でも、この犯人、元冒険者とか傭兵とかも一撃で倒してますし、炎の魔剣か、魔法かを使っています。それに犯行も凄く慎重で頭も良いし、それなりに学のある人と思います。とてもただの農民には無理ですよ。元々心得のある人か、裕福な環境で育ったか……」
「じゃあ、村に住んでた神官か何かか? 田舎の村に町から神官が派遣されることって珍しくないだろ」
 私はシタールさんの言葉に閃くものを感じた。
「……それって……かなり犯人の条件を絞りませんか? ここ数年……10年ぐらいで、派遣された村で野盗に襲われた人。その際、家族を失うなどしている。また、剣に長けている上に、魔剣を持っているか魔法を収めている……こんな人、そうそういませんよ。調べてみたら意外と犯人の名前がわかるかも……」
「いや待て。野盗とか神官ってのは、たまたま出た言葉だけで、全然関係ねえかもしれねえぞ。よく考えたらリーブだって次男とはいえ、商家の息子だし、冒険者みたいな荒事の経験もねえって言ってた。野盗なんかと縁があるように思えねえ」
「そうですか……。でも……ちなみに、10年ほど前のリーブさんのことは?」
「それは……知らねえ。そこまで長い付き合いでもねえからな」
 その答えを聞き、調べてみるだけなら損はないかもしれない、と思った。

「だが、調べるにしても範囲が広すぎる。オランにいくつの農村があると思ってるんだ。野盗の被害だって数えられないぐらいあるだろうし」
「農村の規模を限定しましょう。最初は、あまり大きなものは対象にしません。そこを襲うような大規模な野盗なら、今回のように一人ずつ復讐するなんて考えにくいですからね。後……1ヶ月以上の時間をかけて着々と犯行を進める犯人の執念からして、未解決の、そして小さな農村ながら被害の大きな事件を中心に調べたいですね」
 そこまで言って、もう一つ、引っかかっていた言葉が浮かぶ。
「それと……そう、炎……焼き打ちにあったような被害のところは特に洗い出したいです」
「なんでまた?」
「今回の犯人が使っている武器ですよ。炎の剣……おかしいと思いませんか? いくら強力な武器だとしても、夜はもちろん、昼でもすごく目立ちます。わざわざこんな武器を選ぶ理由……」
「なるほど、自分が襲われたときと同じ手段で復讐するってことか」
「ええ。そう考えると根拠は弱いですけど、辻褄合わせだけはできます。他にすぐに思いつくことがないし、やれるだけやってみて損は無いと思います」
「まぁ、そうかもな。だが、農村の被害なんて、どうやって調べる?」
「明日、取調べのときに衛視さんに聞いてみます。ここなら、過去のそういう事件簿とかもあるんじゃないかなって。後、相手が派遣された神官さんとしたら、町じゅうの神殿に伺ってみるのも……」
「どっちにしろ、大変だな。色んな意味で」
「う……でも、やらないことには……」
「どうにもならねえか……」

 そんなやり取りをして、それから私は無理やりにでも眠ることにした。
 もしかしたら明日から忙しくなるかもしれない。進めたかった論文は中断してしまうけど、もっと大事な調べ物ができてしまったのだから。
 
邂逅
セシーリカ [ 2007/08/30 1:57:30 ]
  神殿の施療院にお客さんが来たのは、ヘルムート先生と一緒に院長室で退屈きわまりない事務仕事を片づけているところだった。そのお客さんの顔を見て、思わずわたしは思いっきり安堵した。
「ユーニスさん! 良かった、釈放されたんだね!」
 院長も、良かった良かったと笑いながら、机の引き出しに隠していた(!)蜂蜜菓子を取り出す。ユーニスさんは面会の件について、丁重にヘルムート先生とわたしにお礼を言って、そうして意外な事実を口にした。

「こ、今度はシタールさんがしょっ引かれたのーっ!?」
「よりにもよって、ローブ姿だったんですよ、シタールさん。それと、ディーナさんって言う魔術師の女性と二人で。……誤認逮捕だとは思ってるし、不当に拘束していられる時間もそんなに長くないのが身に沁みてわかったから、すぐにでてこられるとは思うんですけど」

 確かに、シタールさんが今回の辻斬り事件の犯人でないだろうことは、彼を知っている人からすれば容易に想像が付く。シタールさんだったら、そんな辻斬りなんて真似はしない。嫌なことがあったらその場で正々堂々と拳で解決するタイプだ。ていうかシタールさんなら、武器、斧だろうし(←これは偏見)

「んー……明日、面会に行ってみようかな」
「難しいかもしれないね。向こうはきっとその二人が犯人だと思いこんで、ネタを吐かせることに躍起になってるだろう。わたしが付いて面会を申し込んでも、取調中だと断られるのがオチだよ」
 ヘルムート先生の言葉にも一理ある。彼はユーニスさんのためにだした蜂蜜菓子をものすごい勢いで消費しながら、さらに続けた。
「それに、しょっ引かれた二人は帯刀していなかったんだろう。面会に行くまでもない。すぐに出てくるとわたしは踏むがね」

 そうだ。よく考えればその通りだ。二人の事だから、すぐに出てくるだろう。よく考えたら、シタールさんにはお金持ちの後見人が居る。
 それに第一、「俺の初投獄は4歳だ」って胸を張るような人が、檻の中でへこたれてる道理はない。同行していたディーナさんって言う人のことは心配だけど。
「私、この件に徹底的に関わってやろうって決めました。それで、セシーリカにも、迷惑じゃなければ助けて貰いたくて」
「迷惑どころか。わたしで良ければ、何でもやるよ。……でも、情報が欲しいね。統合した、まとまった情報」
「シタールさん達が解放されたら、一旦みんなで集まって、情報をまとめてみたらどうかな。お互いの些細な情報でも、会わせたら、何か見えてくるかもしれないし」

 わたしは残りの事務仕事を他の神官に押しつけて、ユーニスさんと共にラスさんの家に向かうことにした。夜も遅いから、とヘルムート先生が少し離れた通りまで送ると言い出したので、お言葉に甘えることにする。
 ていうか、事務仕事さぼりたがってるのが見え見えだったし。ヘルムート先生。


 神殿の前を通り、繁華街に向かう方向の道へと入ろうとしたところで、どん、と肩に衝撃が走った。転びそうになったところを慌てて踏みとどまる。見れば、わたしと大して体格がかわらない人が……性別は、頭からすっぽり覆うように被った黒い外套のせいでよくわからない……、ふらふらとよろめいていた。どうやら、黒い服を着ていたから、暗がりで判別出来なくてぶつかってしまったらしい。
「す、すみません。あの、お怪我は?」
 慌てて声をかける。同時に、鈍い輝きが、ちゃりんと地面に落ちた。それは、古びた聖印。鎖がすり切れるほどに、使い込んだ、三日月の鎌。
「わ! ごめんなさい!」
 慌てて拾い上げて、手渡そうと差し出す。その時、視線があった。

 顔立ちは、三十代半ばくらい。……いや、ひょっとしたらもう少し、上かもしれない。
 ……何かを撓めたように、力強い青。凡庸な顔立ちの中で、その青い目だけが、強烈に印象に残るような。

 その目はわたしを見、わたしの差し出した聖印を見、……最後にわたしの胸元の聖印を見て、何とも言い難い表情を浮かべて。
 信じられないくらいの力でわたしの手から聖印をもぎ取ると、よろめきながらも、わたしたちが唖然とする速度で走って、人混みに消えていった。

 ぽかんと見送るわたしの隣で、ユーニスさんがわたしの荷物を拾って手渡してくれる。
「大丈夫? 怪我はない? それにしても、失礼な人ね」
「う、うん。わたしは平気だけど……さっきの人、かなりよろよろしてたよね。大丈夫かなあ」
 見送ろうとした姿は、もう人混みに紛れて見えない。歩き出そうとしたわたしたち二人は、ふと、ヘルムート先生が立ち止まったままなのに気がついて、振り返った。
「……ヘルムート先生?」
 先生は、いつになく真剣な……そして、何より驚いた顔で、呆然と黒い男が消えていった先を眺めていた。

「まさか、今のは……アダルバート……?」


 先生が呟いた名前に、わたしとユーニスさんは、顔を見合わせた。
 
現場
ラス [ 2007/08/30 2:12:07 ]
 
夕刻、スウェンから受け取った地図を持って、俺は街の中を歩き回っていた。

何日か前、スウェンは酒場で衛視に会ったと言っていた。
あいつ絶対アヤシイとか、きっと衛視の制服盗んでなりすましてるんだとか騒いでいたが、その衛視の顔に俺は見覚えがあった。3ヶ月ほど前に、俺を誤認逮捕した新米衛視だ。
そのことはまぁ敢えて知らせず、スウェンが衛視と交渉してるのを時々見ていた。
ふと思い付いて、スウェンに交渉材料を与えた。ギルドに引き渡す義務のない、ちょっとした犯罪者を俺のシマの中で見かけたから、その情報と引き替えに、今までの辻斬り被害者の死体が発見された詳細な場所を地図に記してくれ、と。

他の奴らが被害者の人脈や被害者になりそうな人間を当たっているようなので、現場でも見ておくかと思い付いた。
もし俺が犯人なら、その現場で実際にヤれるかどうか。


幾つかの現場を実際に目と足で確かめた。
ほとんどは路地だ。人通りの多い通りがすぐ近くにあって、そこからひょいと横に入り込むような路地。建物と建物の隙間。
これは……むしろ、魔法じゃ無理だ。
普通の話声なら雑踏に紛れ込むだろうが、呪文の詠唱となると悪目立ちする。
路地に入り込んでから囁くように詠唱すればなんとかなるか……いや、それだと間に合わない。とどめがその呪文だというのなら、路地に入ってからでも間に合うだろうが、例えば目くらましの魔法や姿隠し、静寂なんかの魔法は使えないことになる。
俺だって街中で仕事をする時には呪文はほとんど使わない。周りに一般市民がいないところか、魔法じゃなきゃ追いつかないような時くらいにしか。

じゃあ、やっぱり標的に近づくまでは魔法は無しか。
だとすれば盗賊の技術を持った奴? いや、そうとも限らないか。
そう思って通りを行く人々を見渡してみた。
行き交っているのは、買い物の行き帰りらしい女たち、屋台で買い食いをする少年たち、仕事上がりの漁師や、仕事に向かう夜の女。
……木の葉を隠すには森へ、か。
例えば、この人間たちの波の中に、俺が混ざれば目立つだろう。小振りとはいえ剣を持った冒険者風の半妖精。明日にでもこのあたりで、誰か目立つ奴を見かけなかったかと聞き込みしたら、「金髪の半妖精がうろついていた」と言われかねない。
じゃあ、どうすれば目立たないか。頭から黒いローブでもひっかぶるか。いや、そんなもの、自分は怪しい者だと喧伝しているようなものだ。
気取られないためにはその場に馴染め、と盗賊ギルドでは教わる。
もしも俺なら、ヤるために移動する時はそんなもの着ない。

もう一度、路地の奥を覗き込む。
埃臭い風が澱んでいた。鼻をひくつかせると、ほんのわずかながら血のにおいがした。
通りから……そう、この辺りで相手の名前を呼ぶ。雑踏に紛れて、呼ばれた当人にしかその声は届かないだろう。誰しもよく知った名前には反応するものだ。

……想像してみる。

名前を呼ぶ。
振り向く。
その動きを利用して、タイミングをあわせて肩を軽く押す。
よろけたところを路地へ押し込む。
体勢を立て直される前に剣を抜く。
躊躇わずに振り下ろす。
くぐもった悲鳴は雑踏がかき消してくれる。

相手の反応がよければ、路地へ押し込むあたりで手間取るかもしれない。
路地へ押し込んだ直後、剣を抜く前に体勢を立て直されるかもしれない。
けれど、そんなシンプルな行動に、咄嗟に反応出来る人間が何人いるだろう。いや……1人いたな。先日死んだ7人目。

そして事を終えた後は……?
また同じように雑踏に紛れればいい、か。
いや、返り血を浴びる可能性は高い。袈裟斬りなんてのは一番それがひどい。
返り血を避けるための何か……色の濃い外套か何か。けれど、この季節にそんなものは目立つ。だとしたら、犯行の時だけそれをかぶって、犯行を終えたら剣と一緒に隠せるような……。
いや、隠すことを考えちゃいけないのか。雑踏に紛れ込むのと同じだ。それが自然に見えるのなら、誰も怪しまない。


建物の壁に寄りかかってそんなことを考えながら人波を眺めていたら、暑さにヤられてくらくらときた。
たまには外に出るのもいいかと思ったんだが、やっぱり季節が悪かった。

家に帰って一休み……と思ったら、セシーリカとユーニスが家に来た。
 
情報は……
カレン [ 2007/08/30 3:06:20 ]
 「なぁ、カレン。今回の殺しは、どうやってやってるんだろうな」
「剣でばっさりだろう」
「魔術師の共犯とか、本人が魔法を使えるって可能性があるって言われてるだろう?」
「俺はさ…手段が限られてるから、ああいう方法なんだと考えてる。
古代語魔法が使えないか、使えても剣の技量のほうが秀でている。そして、炎を纏うような魔剣を持っている。だから、より確実な手段として、剣で切りつける方法を選んだ。
犯人がそういう物ではなく、普通の剣しか持っていなかったのなら、傷口や衣服に焦げ跡はなかったんじゃないかな」
「共犯説は?」
「連続で何人も殺すんだ。万が一にも、裏切りのリスクは負いたくないと思うよ。目的があってやってるとわかってからは、なおさらその可能性は低いと感じてる」
「目撃者がいないのは?」
「そこなんだよなぁ…。確かに精霊使いって可能性はじゅうぶんあるんだよ」
「俺を見るな」
「ま、今のところ、それは手段になりえるな、くらいにとどめてる。魔術師や精霊使いの複合技を考え出すと、絞り込めなくなっちまうからね」
「ふぅん。……それにしても、暑い格好だな。全身黒ずくめ、しかも長袖」
「闇に紛れるなら、これがいちばんいい。…じゃ、今夜は帰らないから」

「も」だろ。
苦笑混じりで、ラスは短くつっこんだ。
一晩、衛視詰め所に拘束されたことを面白がっているに違いない。
椅子の背にかけてあったマントを手に取る。
黒いマントだ。
黒い…。

……昔…仕事を請け負ったときは、いつも……。

「カレン。どうした?」
「……いや、なんでもない。行ってくる」

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ドリー・キリバスの屋敷の前に着いたのは、昼と夜の中間くらいだった。
家と家との間の狭い路地に入り込んだ。そこからは、屋敷の門とその奥の庭、そして玄関が見通せ、塀に這い絡み合う蔦の葉で、向こうからはこちらの姿が見えにくい。

しばらくすると、玄関の扉が開く音が聞こえ、使用人らしき男が出て行った。
それから間もなく、もう一人。
大柄で、黒いマントを着た人物が出てきた。
一瞬、犯人かと思ったが、ここはドリーの家。そんなはずはない。
見送るにとどめた。

それから、かなりの時間、動きはなかった。
その間、ここに来る前に、ギルドで聞いた情報を思い出していた。
ドリーは、もと冒険者。何年か前に、大物を掘り当てて、大金を手に入れた。それを元手に商売をはじめ、ついには爵位まで金で手に入れた。(「大物」の部分は眉唾もの、と但し置かれたが)
現在は、盗賊ギルドの保護も受けている。

「冒険者になる前は、どこだかの荘園で働いていたそうだ。そこが、夜盗に襲われて、命からがら逃げたって話を、一緒に仕事をしたことのあるうちのメンバーが聞いたことあるってさ。
その襲い方がハンパじゃなかったってよ。集落じゅうに火を掛けられたっていうんだ。助かったのは、自分以外はいないって。ドリー自身は、荘園の者達を助けようとしたんだが、炎の勢いが激しくて、どうにもできなかった。
……って、本人は話したらしいけど、その話を聞いてたメンバーは、ピンとこなかった。あいつは、そんな人間じゃない。むしろ、夜盗だったってオチのほうがしっくりくるって、そう言ってたな」

情報提供をしてくれたヤツは、小声で淡々とそう話した。

「そのメンバーに会えるか?」
「目の前にいる」
「……それ以上のことは?」
「ドリー本人については……そうだな、ヤツは子供でも殺せる。そう言っておこう」
「じゃぁ、荘園の事件というのは?」
「荘園が襲われる事件は、毎年のようにある。夜盗もそうだが、妖魔が人里まで降りてくる場合もある。ドリーが話したのは、たぶん、7年ほど前のものだろう。事件の話自体は本当だろうが、事実と違うところもある。助かったのは、ドリーだけじゃない。確か、神官が一人生き残っていたはずだ」


神官……。
そういえば、左腕に怪我を負ったはずだった。どこの神殿にも施療院にも、そんな患者はこなかったようだが…。
自分で治したというのか。
確かに、神官なら……神聖魔法を使えるなら、それもありだろう。
何故、気付かなかったんだ。
無意識に除外したとしか……。やるはずがない、と…。


日が落ちかかってきた頃だろうか、近づいてくる足音に気付いた。
さっき出て行ったマントの男が帰ってきた。
そのすぐ後を追うように、黒い影が続いた。犬だ。家の中に入っていく男を、門柱の陰に隠れて見ていた。
ふと、来た道を振り向く。そして、するりと庭の中に入ってゆく。
また、人が帰ってきた。
使用人と、ジョバンニだった。
頭の中で、いろいろなものが繋がってきた。想像できた。
けれど、それは、俺の勝手な想像だ。事実じゃない。必要なピースは嵌っていないはずだ。

使用人とジョバンニは、黒い犬に気付くこともなく、家の中に入っていった。
庭から這い出した犬は、一度、ぐるりと周囲を見渡し、迫り来る闇に紛れるように去った。
 
聖歌
情熱を持つ者 [ 2007/08/31 1:49:52 ]
 何もしなかった日は、仮の宿りとしている家から橋を渡った先の、太陽丘の麓へと行く。
そこに行くと、マーファ神殿からの聖歌が聞こえてくるからだ。

  我らは マーファをあがめ
  我らの心は マーファの救いに喜び踊る
  女神は卑しいはしためを顧みられ いつの世の人も我らを幸せな者と呼ぶ
  女神は我らに偉大な業をたまわれた その名は尊く
  哀れみは 代々神を畏れる人の上に
  神はその力を現わし 思い上がる者を打ち砕き
  権力を振る者をその座から降ろし 見捨てられた人を高められる
  飢えに苦しむ人は善い物で満たされ 奢り暮らす者は空しくなって帰る
  女神は慈しみを忘れる事なく 我ら大地に暮らす者を助けられた
  聖なる哉 聖なる哉 善き哉 美しき哉 我ら マーファの御名をあがめ奉る

聖歌隊の声に、私の胸は締め付けられる。
聖印を握りしめる手が震える。
いっそ……。
いっそ、この身に届く女神の声が、破壊の女神の声であったらよかったろうに。
もしもそうなら、この身はただの狂気の塊として、残ったこの心ひとつ手放せように。

そして帰り道、私は1人の少女にぶつかった。
握りしめていた聖印を取り落とした私に、謝罪の言葉と共に聖印を手渡してくれた彼女の胸元には……私のものと同じ聖印が揺れていた。
少女というには、正確ではなかったかもしれない。彼女の耳は妖精の血が混ざっていることを示していた。
彼女は……恵み深きマーファの使徒は、私をどう見るだろうか。
マーファへの祈りを聴きに行く日は、いつものような馬鹿げた扮装はしていない。
憎しみに疲れ果てた私の顔は、実際の年齢よりも老けて見えるだろう。
長いこと哀しみしか知らなかった私の瞳は、どんよりと濁って見えるのではあるまいか。

私は奪うように彼女から聖印をもぎとり、家へ戻った。
粗末な家の片隅に置いてあるいつもの衣服が目に入った。
人々に溶け込めるように用意した服だ。ぼろ布の長いスカート、詰め物をした薄汚れたシャツ、そして濃い色のストール。
視線を隠すようにしてストールをかぶり、顎の下で端を結ぶ。そして丸めた黒い外套を買い物籠にいれてそれを持つ。
太ももに皮のベルトで鞘を固定すれば、小振りの魔剣をスカートの中に隠すのは容易い。
顔を汚してうつむきがちに歩けば、人は私を農民の妻と見る。
剣をスカートの中に隠しているせいでわずかに片足を引きずる。その姿は老婆のように映り、人は私を目に留めなくなる。
人は変装を難しいという。
けれど、美しくなろうと思わなければ、人の目を欺くことはこんなにも容易い。

女の、それも老婆の扮装をしようなどと、以前の私ならば考えもつかなかったろう。
けれど今は、そのようなことは問題にならない。
何をおいても、やり遂げたいことがある。

その時、モーザが帰ってきた。
土間に膝をついて扮装用の衣服を握りしめていた私を、モーザは一瞬哀しい目で見つめた。
そしてそれを振り払うように、ひとつ首を振ると、私に情報を伝えた。

先日、リーブを殺したのはドリーだという事実。
ジョバンニがドリーに会いに行ったという事実。
そして、ジョバンニはドリーの家から二度と出ることはないだろうという事実。

ドリーがもとの仲間たちを始末しにかかっているらしい。
けれど、それは私には関係のない事だ。
奴が自らの罪を増やしているだけのこと。そうでなくとも、彼らは私が葬るはずだったのだから。
ああ……けれど、そう、ドリーは最後だ。
今や、ドリーは彼らを集める蜜だ。ドリーが持っている富に奴らは群がる。そしてドリーが奴らを邪魔に思って始末するというのなら、そうさせよう。
けれど、私の甥の首を持って笑っていた、あのドリーだけは私がこの手で葬り去る。


あの日、私は、何故こんなことが許されるのだと叫んだ。
神が裁かないのなら、私が裁こうと思った。
そして殺戮を重ねるにつれ、私の心はどんどんと重く苦しくなっていった。
そして今、通りに響いていたマーファへの聖歌を思い出して、聖印を拾ってくれたあの少女の瞳を思い出して、私は思う。
神よ。
あなたは何故、私を裁いてくれないのですか。
それでもあの男だけは殺そうと固く心に決めている、そんな私を何故、あなたは裁いてくれないのですか。
偉大なるマーファよ。
私を、止めてください。
 
切れた鎖
ユーニス [ 2007/08/31 3:29:04 ]
 セシーリカと連れ立ってラスさん宅にお邪魔した。
 何で俺の家なんだよ、とだるそうに長椅子に伸びて苦笑するラスさんに詫びる。
 実際に表立って動いているカレンさんの帰宅を待とうとしたが、今夜は帰宅しないだろうと言われ、とりあえず判っている限りの報告と情報の摺りあわせをすることにした。
 セシーリカがお茶を入れてくれる間に、自分が関わった件を説明していく。

 「俺は今回は動きたくないし、基本的に疑われる要素を排除したいんだぞ」

 そういう立場の人の所に押しかけるのは迷惑だと判っている。ましてこれでシタールさんやディーナさんがこの家に訪れて状況確認でもしようものならば。
 「間違いなく、辻斬りのアジトはここだよな」
 「……ううっ、すみません」

 それでも。知らない振りを通すなんてできない、というのは私の勝手な言い分だけど。

 「そういえば、カレンさんそっくりのジョバンニって人が私の隣だったんですよ」
 「ああ、聞いた。チンケな食い逃げ常習犯らしいな。そいつと間違われてカレンも引っ張られたんだぜ」
 「え、そうだったんですか!? 他の人から見ても似てるんだなぁ。
 私が出るときに、先に身元保証人が現れて出て行きましたけど、明るいところで見てもやっぱり似ていました。カレンさんはもっと上品ですけどね」

 そう告げると、お茶をすするラスさんの動きが止まった。
 
 「出た、のか? まあ遅かれ早かれとは思ってたが」
 「ええ……何か関わりが? そういえば異常に辻斬りの話題に怯えていましたけれど」
 「リーブって言ったな? 今回の被害者。シタールと一緒に居たところを変装したカレンに話しかけられて”もう関係ないんだ! 放っておいてくれ”とか怒鳴って逃げたって話だ」

 それはつまり、ジョバンニも関係者である可能性が高いということか。
 「カレンはそう踏んでる。デイビス……一度は難を逃れた奴が殺された夜、ジョバンニと会っていたのを見ていた人間も居るから、ジョバンニと他の被害者との接点も探してるはずだ。
 あとは、デイビスや女傭兵に強請られていた金持ちがいるとかで」

 「それって、もしかしてジョバンニの身元保証人だったりするかな? 確か使用人のいるような家の主人だかが身元を引き受けたって言ってたよね。話を聞いてると、ジョバンニって人にそんな知り合いが居そうに思えなくて。何か怪しいなーって。
 でも、ジョバンニと強請りで関係してるなら、わざわざ助けたりしないか」

 お茶のお替りを注ぎながら、セシーリカが首を傾げる。私も違和感が拭いきれなかった。

 「うん、何でも奉公先に決まっていたとかで、主人が多忙だからって理由で代理に使用人が来たようだけど、それなりに体裁を繕うような家に、どうやってジョバンニみたいな……っていってもよく知らないけど、そんな食い逃げとかカツアゲしてる人が取り入ったんだろうって不思議だった。衛視さんたちは不思議そうにしながらも”上手い事やったな”って。
 も、もしかして、強請られているのを苦に、次々と相手を殺しているのはそのお金持ち!?」

 「すぐに結びつけるのは短絡だろう。ああでもそうだな、辻斬りかどうかは別として、強請りのネタによっちゃ、詰め所でベラベラ喋られる前に身柄を確保して……ってのは充分あり得る」

 外出して疲れたらしいラスさんへのお礼代わりに、台所を借りて簡単なスープを作る。
 カレンさんも帰宅したら食べるかもしれないと、傷みにくい食材でシンプルに仕上げた。
 食卓を囲みながら、話題はいつしか施療院の院長さんに及んだ。
 
 「ヘルムート先生がまたおいでってさー」
 「冗談じゃねえ。用もないのにあんな薬臭いとこにいってたまるか」
 「一応わたしの職場なんだけど? そういえば今日わたしにぶつかった人、アダルバートさんだっけ、あのひと先生のお友達で母神様の神官らしいけど、先生と違って気持ちに余裕なさそうな感じだったな」
 
 セシーリカに頷き返す。自分の知り合った母神様の神官に比べて、どこか歪な印象があった。
 「ヘルムート先生も雰囲気が変わりすぎてるから、って自信なさそうだったね。長い間会わないうちに少しは立ち直れたのか、と心配してらしたけど」

 何の話だ、と尋ねるラスさんにセシーリカが説明する。

 10年ほど前、オランの神殿で仲良くしていた先生の友人が、家族のいる荘園に帰った。先生も相前後して郊外の村に配属された。しばらくして友人の村が夜盗に襲われ壊滅的被害を受けた。先生は駆けつけたかったが配属先に折悪しく流行り病が出てしまい、病が落ち着いた頃には事件は過去のものとなっていた。
 一人取り残された友人を励まそうにも彼の心に自分の声は届かなかった、と嘆き、そのときの衛視への不満と不信を、忘れることが出来なかったと呟いていた。

 「聖印を握り締めて慟哭する友人に、もっとしてやれることはなかったのか。そう仰ってました。無力だった自分を思えば合わす顔がないけれど、それでもオランに戻ったなら、喜んで会いに飛んでいく。剣でも酒でも何でも付き合って、憂さを晴らしてやりたいって」

 あのひとがアダルバートさんであるならば、親しい人を失う痛みが辻斬りによって日々重ねられているオランは、どんな風に見えているのだろうか。
 少しでも早く解決されたら、彼の心は癒されるのだろうか。ふとそんな風に思った。
 
情報は加害者にあり
カレン [ 2007/09/01 0:56:41 ]
 その日は、暑かった。
昼の間、太陽に熱せられた空気は、日が落ちてからもその熱を手放すことはなく、さらってゆく風もなく、ずっとうずくまったまま冷える気配を見せなかった。
空に月はなく、冴えた光も差さない夜。
闇に乗じて、屋敷の敷地内に入り込んだ。
屋敷の一角に、明かりが灯っていた。窓が開いている。
大きく張り出したその窓の下に潜り込んで身を潜めた。
中から、話し声が聞こえた。
一人は、ジョバンニ。
デイビスもニナもアーニーも殺された。自分もやられるかもしれないと、ひどく怯えていた。

「誰かが生きてたんだ。そうじゃなかったら、亡霊だ。これはあの時の復讐なんだ」

落ち着け、と低い声が制した。これは、おそらくドリー。
ジョバンニは黙らなかった。

「冬になって仕事が少なくなる前の、ちょっとした小遣い稼ぎだって…。ただの遊びだって。
それで…荘園全部焼き払って皆殺しに…」
「やめねぇか! 黙れ! てめぇだって楽しんでたんだろうがよ」
「もとはと言えば、あんただ。あんたが言い出したことだ! …ちくしょう。あれさえなけりゃ、こんなめに遭わなかったんだ。なんとかしてくれよ…。責任取ってくれ、ドリー。俺ぁ、もうこの街にいたくねぇ」
「……わかった。明日、船の手配と旅費の工面をしてやる。だから、落ち着け。怖い思いをさせて悪かったな。今夜はゆっくり休むといい」

しかし、ジョバンニは、この街を出ることはできなかった。
この屋敷の塀の外にすら出られない。
この夜、ヤツは殺され、庭に埋められたのだから。


荘園襲撃事件の計画者はドリーだった。
荘園で働いていたというのは事実だろうか。
事実と仮定すると、荘園にいた者とドリーは顔見知りだ。油断を誘える。虚を突ける。
情報をくれたギルドメンバーは、生き残りがいると言った。
ジョバンニは、復讐だと言った。
復讐……。
事件から7年の歳月。襲撃者を特定するにはじゅうぶんに思える。
その間、消えない恨み。
………復讐、か……。
一瞬、このまま手を引こうかと思った。
ドリーのようなヤツを殺してまわるのなら別に…。
しかし、あのリーブという男はどうだろう。シタールが親しくする人物だ。根っからの悪党とも思えない。
そうだ、シタールに会わないと。リーブの事を頼んだままだ。
ラスに疑いの目も向けられているんだ。
引くわけにはいかないじゃないか。

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「シタールのヤツ、辻斬り容疑でしょっぴかれたってさ。殺されたのはリーブ」
「シタールじゃ、辻斬りの犯人像とはかけ離れてるじゃないか」
「それが、あいつローブ姿で、間の悪いことに、ディーナって魔術師と一緒だったらしい」
「……はまりすぎじゃん」

がっくりと力が抜けた。手に持っていたマントを椅子の背にかけながら、椅子に腰掛ける。

「帯剣はしてなかったらしいから、すぐ出られるんじゃね? それよりさ、カレン」
「ん?」
「……………振り向くよな」
「当たり前だろう。呼ばれたんだから」
「それ、人ごみの中でも同じだよな」
「………時と場合によるな、俺は。でも、普通の人はそうだろう」
「だったらさ、こういうのどうだ?」

ラスは、犯行の手順を説明し始めた。
名前を呼んで、振り向いたら路地に押し込み、切りつけ、犯行後は速やかに雑踏に紛れる。
シンプルだけれど、それだけに手間も時間もとられず、非常に有効なやりかた。

「…………………」
「あれ? なんか気に入らねぇか? 無理?」
「いや、ちょっと思い出しただけだよ。若い頃にさ、そういう手段もとったなって。名前を呼ぶのもそうだし、路地に引き込んだりもしたし。
俺が使うのは、即効性の毒だったんだ。なりが小さくて力が弱かったから、捕まったらオシマイなんで。相対する時間を少しでも短くするためだ。そんで…目的の人物のいる場所にあわせて、いろんな格好をしたよ。人ごみに紛れるために。必要なら、女にも化けたね」
「…思い出したくなかった?」
「ん……正直言って、あまり…」

なんだか、息苦しかった。
昔のことは、思い出したくないんだ。
一人を殺す度に、神が遠のいていくのを感じた。闇にのまれるようで怖かった。
御名を口にすることさえできなくなって、いつしか心が死んでいた。

「少し休むよ。その後、また出かける」

辻斬りの犯人が、神官である可能性があることを、俺は口に出すことができなかった…。
 
寡婦と手紙と依頼
シタール [ 2007/09/01 1:15:10 ]
 豚箱を出て、身支度を整えて一番に向かったのはリーブの店だった。
葬儀は既に終わったが、静まりかえった店。その奥にある夫婦が暮らす一角で俺はリーブの嫁さんと二人だった。

「申し訳ない。」
頭を下げてこう言う。というかこれしか言えない。あいつが殺された原因に俺の監視が手ぬるかった言うことも含まれているからだ。
自己満足なのは重々承知だ。罵られる可能性も考えたのにだ…。彼女は首は横に振ると「頭を上げてください。」と言った。

顔上げるとそこには穏やかな顔があった。
「夫が亡くなったのは、あなたは所為ではありません。夫は覚悟の上で行ったのですから…。それでも何とかしようとしてくれたことに感謝をしているぐらいです。」
「………強いんすね。」
こう言うしかなかった。俺が彼女の立場ならこう強くはなれない。本当にそう思った。
女というか…母親ってのは強い。男にはわからん領域だ。そう思い出された紅茶を飲み干し帰ろうとした時に彼女は俺にある物を差し出した。………封書だ。

「これは?」
「夫からあなた宛の手紙です。亡くなった日に書いた物だと思います。」
そう言われその場で思わず開けて目を通す……。なるほどな…。お前の業。てめえを殺した奴はよーく分かった。

ディーナの推理。結構な頻度で当たってる。

要約するとだと。
ドリーって言う奴を中心とした箸にも棒にも引っかからない連中は。7年前にある貴族の荘園を襲い。略奪を働いた。
その時に直前の下調べの一環として行商人として村へ入り、略奪後に穀物などを裏で捌いたのがリーブだった。
リーブの推測としてはこのときに生き残りがいて、復讐をしているのが件の辻斬りだろうと書かれていた。

奴はこの復讐者に殺されるのは仕方ないことだと思い続けていたらしい。
ドリー達がここまでするととは思っていなかったようだし、知らないとはいえこれだけのことに関わった以上は当然だと。
でも、今までそれが出来なかったこと。ドリーの甘言と融資でそのことから逃げ続けたこと。
今、居心地の良さに当時のことさえ思い出さなくなり始めた自分。今、振り返ると怖気が走ると。書かれていた。

そして始まった復讐劇に気付き。覚悟を決めたので、ドリーにこのことを話し。すべてを公にしたいらしい。
ただ、この手紙が読まれたと言うことはそれが出来ずにドリー一味に殺されたはずだから「後始末を頼む。」と。

そしてドリーの性格からして念のために妻も狙うだろうから守って欲しいと。
ご丁寧に依頼としての金の場所まで書かれていやがった。

「あれこれ頼んで大変からもしれないけど。よろしく頼む。」

最後にそう書かれてあった。

……は。これが大変だって。誰にもの言ってんだよ。

「この内容は?」
「ええ。私に残された手紙にもある程度のことは。」
「とりあえず、リーブからの頼みは引き受けます。ただ、俺一人じゃどうしよう無い部分があるんで、ちっと数増やしてきます。」

そう言って店を出ると外でレイシアが待っていた。
来るなとは言ってあったのだが、今回に限ってはそれが好都合だ。

「…済んだの?」
「いや、これからがもっと大変そうだ。」
「…え?どういう事?」
「長くなるので後で話す。とりあえずは…ここにいて彼女の護衛を頼む。夜になる前には戻る。」
「…分かったわ。」

手紙を懐に入れると俺等のラスの家へと向かった。

……そこで起きていた大事も知らずに。
 
神官
ラス [ 2007/09/01 1:40:44 ]
 あの日、夜明け近くになって戻ってきたカレンは、俺の左腕を見て言った。
「……オマエ、その傷まだ痛む?」
「いや。まぁ触れば多少は痛むけど」
「ふさがるまで結構かかったよな」
「そりゃまぁ……なんで?」
「……気付くべきだったんだ。オマエと同じ日に怪我をしてたんだから、神殿や施療院に現れてないとなると……傷の深さにもよるだろうけど…………そうだよな、気付くべきだった」
何の話だ、と聞くと、カレンは溜息をついて首を振った。
「犯人はおそらく神官だ」
「なんだ、邪神神官か?」
「…………さぁね、まだ確証はない」



そして今日、俺はセシーリカと食事の約束をしていた。
待ち合わせた店に向かったのは夕刻。人の多い通りを歩いていると、少し先に同じように店に向かっているらしいセシーリカの後ろ姿が目に入った。
「おーい」
セシーリカ、と呼びかけようとして、ふと、すぐ近くで名前を呼ばれたような気がした。思わず顔を向ける。
「……ラスティン」
なんだ、人違いか。どうやら俺の声に気付いて振り返ったらしいセシーリカに向き直ろうとしたその時、別の、一連の動きが視界の片隅に映った。
さっきの名前に、びくりと振り向いた奴がいる。
振り向くと同時にバランスを崩して路地のほうへと倒れかかる。
それに続くようにしてストールを頭からかぶった婆さんが路地へ入る。
ばたばたとせわしない足音と、ひ、という引き絞るような小さな悲鳴。
そこに注意していなきゃ気付かなかった。

追いかけて路地に踏み込む。暗い。傾いた陽はとっくに建物の影になっている。足下には乾いて磨り減った石畳、煉瓦の下には、いじけたような雑草。
風の澱んだ薄闇の中、奥で突然、火蜥蜴の気配が生まれた。
路地は通りから直角に、人間2人分ほどの幅で続いて反対側に抜け、その中程で更に直角に──つまりは通りと平行して──もう1本細い路地が続いている。そちらは人間1人分ほどの幅しかなく、火蜥蜴の気配はその奥だ。
俺は、腰から抜いたダガーを右手に構えた。

──妙なことを思い出していた。
いつだったか、セシーリカが呟いていたことだ。
「女神がわたしに使わせてくれる力はね、癒すためにあるんだよ。だからわたしは、助けられるものなら助けたいと思うし、その人がどんなに危険な状態でも、ひょっとしたら間に合うかもしれないと……ううん、間に合って欲しい、間に合うはずだと思って力を使う。助かる可能性のある人からっていうのが戦場の掟だって言うけどさ。難しいよね、その判断は」
とはいえ、いくらなんでも、袈裟斬りで心の臓を切り裂かれれば即死だろう。
そう思ったのに、足が動いていた。生命の精霊の気配は、まだ2つある。

細い路地に足を踏み入れると同時に、奥からくぐもった悲鳴が聞こえた。そして、液体の撥ねる音。目に入ったのは、薄闇の中、血よりも鮮やかな朱色の炎を纏った剣。
影がひとつ、崩れ落ちる。
その手前で、もうひとつの影が、黒いマントを脱ぐ。さっき名前に反応した男の後に続いて路地に入った婆さんだ。
いや、違う。薄汚れたスカートとブラウス、エプロン、ストールはともかく、服と同じように薄汚れた、皺の深い顔の中で光を放つ瞳は老婆の持ち物じゃない。意志ある輝きを持った、凍てついたように青い瞳。
「ちっ」
舌打ちと同時に飛び退る。細い路地から出て、もとの路地の壁に背中を押しつけたところで左腕を掲げる。

  汝、我が身我が心の周りを巡る者よ。
  原初の闇に宿り それを司る意志よ 我が声を聞き我が呼びかけに応えよ。

シェイドに呼びかけたのは、その路地が暗かったからだろう。咄嗟にそれ以上のものは思い付かなかった。
そして俺の詠唱に応えたのはシェイドだけじゃなかった。路地の奥にいる影も気付いた。
影が動く。剣先がこちらを向く。

  闇の精霊シェイド、我が元に集え。集いてその意志たる身もて壁となれ!

影がしなるより一瞬早く、細い路地を塞ぐようにして闇の壁が完成する。
ふ、と息を吐き出そうとしたその瞬間、路地の奥から闇の壁を突き破る者があった。
身を丸めて闇壁に飛び込んだらしいその影は、弾けたシェイドに顔を歪めながらも、空中で剣を振りかぶった。
その胸元に、鈍い銀色の光があった。三日月形の……セシーリカのと同じ形の聖印。

目算はあった。壁を破られたとしても、向こうからは視界が効かない闇へ飛び込んでいる。そんな体勢からでは致命傷は繰り出せない。かわすことも出来るかもしれない。そうでなかったとしても、1撃さえ耐えて、逆に闇壁にもう一度押し返すことが出来れば、相手を気絶させられるだろう。自分の作った闇壁にはそれだけの力があると思っていた。

炎を纏った刃が、魔法を放った後の左腕、肘の上あたりに食い込んだ。骨にまで易々と届く刃の感触。
ちゃり、と左手の指先が金属の感触に触れた。
がくん、と何かの抵抗が途切れる感覚があった。
その全てと同時に突き飛ばされていた。
受け身をとる暇もなく路地に転がされる。
ちくしょう、誤算だ。と思った。

相手の胸元にあった、黒ずんだ銀鎖。それを絡め取った左手が、自分の身体とは別の場所に落ちるのを俺は見ていた。
そして、闇壁を突き抜ける時に落ちただろう黒いマントを丸めて籠に突っ込んだその“老婆”は剣を鞘に戻しながら、路地を反対方向へと走り抜けていった。
……なんてこった。婆さんのスカートの中かよ。
そんなことを冷静に考えている自分が可笑しかった。

薄れかける意識の中、セシーリカの悲鳴が聞こえた気がした。

セシーリカが俺の身体を抱え起こそうとしていた。
右手にはダガーを握ったままだったから、左手でそれに応えようとした。
が、それは出来なかった。

──参ったな。これは……洒落にならねぇ。
 
遭遇
ディーナ [ 2007/09/01 23:34:01 ]
  牢からようやく出れたのは、同じ繰り返しを何度やったか忘れてからしばらく経った頃だった。私は魔術師で、炎付与も使えるということで協力者じゃないのかと念入りに調べられたようだ。久しぶりに外に出たとき、すでに辺りは暗くなり始めていた。
 まるで追い出されるような扱いだったため、聞きたかった事件簿などの話はできなかった。というか、あの様子だと口にしたところで相手にされなかっただろう。
 まぁ、こちらは素性も知れない冒険者で、しかも、容疑者候補、いきなり事件簿を見せて欲しいといっても元々無理な話だったかもしれない(本当は第一発見者として参考に話を……というだけだったと思ったが)。
 ……仕方ない。リーブさんを殺した犯人(どうも連続辻斬り犯とは違うと思われる)のことなど、他に考えたいことはある。そちらを先に当たることにしよう。もし、偽者がいたとして、それを捕まえる協力ができたら、衛視さんも私を少しは信じてくれるかもしれない。

 しかし、今日はもう薄暗いことだし、久しぶりにまともなご飯を食べたりして、気分を変えて、実際に何か行動するのは明日からにしよう。
 そうと決まれば、エリザも呼んであげないと、昨日は急なこととはいえ、出て行ったきりほったらかしにしてるからお腹空かせてるだろう。
(やあ、ご主人。無事で何よりだよ)
 私が呼びかけると、相変わらずの偉そうな口調で返事しながらも、すぐに姿を見せてくれたのが嬉しかった。

(何か食べたいものある?)
(鳥がいい。生きてるやつ)
(それは自分で捕まえてよ……)
 などと、話をしながら、食べ物屋さんの多い通りに向かっていると、不意に、脇道から人が出てきた。
 先日のリーブさんとのことで注意していたからぶつかったりはしなかったが、エリザと話をしながらだから、ちょっとビックリした。
 エリザは、さっと私の足元から逃げ出した。……先日の犬といい、偉そうなくせに臆病なんだから……。

「大丈夫ですか?」
 見ると、相手はおばあさんで、足が悪いようだ。ぶつからなくて本当に良かった。
 おばあさんは、こちらに顔を上げずに、ただ、小さく頷いた。ストールのせいで顔色は伺えない。
 杖などを持っていないから歩くにそこまで支障があるようには思えないが、何がしか布がいっぱいに詰まっていて重そうな籠も持っているし、少し心配だ。
「ご近所でしたら、荷物お持ちましょうか?」
 お節介かもしれないけど、思わず問うてみた。おばあさんは小さく首を振って、もう先に行こうとしている。何か少し慌てているみたい……それに私が構うのも嫌ってるよう。

 余計なお世話はしたくないが、でも、放っておくのも気が引けたので戸惑っていると、逃げ出したエリザから声が届いた。
(ご主人……驚いちゃいけないよ。自然な感じを保って)
(何、いきなり?)
 いつも以上に固い声音での呼びかけだった。
(その人はそのまま行かせるんだ。構っちゃいけない)
(どうして?)
(その人は、血の臭いがするよ。特にその籠から。後……昨日、私が見た大きな犬の臭いもする)
 私は少し目を見開き、もう私に背を向けて歩き始めているおばあさんを見た。
 血と、昨日の犬の臭い……この人が辻斬りの……? いやいや、相手は足を引きずるような老人、とてもそんな風には見えない。
(でも……あんなおばあさんなのに……)
(多分、変装だろう。おばあさんなんてとんでもない、男の人の臭いがするよ)
 ……。最初にエリザの忠告が無かったら、もっと動揺していたかもしれない。

(臭いからして、まだ血が乾ききってないと思う。どうも、ついさっきも”やってきた”感じだね)
 エリザの言葉を聞きながら、私はコッソリと唾を飲んだ。杖を持つ手に汗が滲む。
 どうしよう。辻斬り犯としたら、捕まえなきゃいけない……けど、私一人じゃあどうしようもできない。剣で戦える人がいないと。

 とにかく、誰か応援を呼ぶ必要がある。だが、その間、見失ってしまわないように……
(エリザ、私は、誰かに知らせてくるから、その間、あの人を追いかけてて)
(えー。おっきい犬がいるかもしれないんだよ。噛まれたらどうするの)
(危なかったら、逃げていいから。大体の方向だけでもお願い)
(やれやれ……まぁ、屋根伝いに、足音を頼りについていけば、大丈夫とは思うけど……)

 そして、私はエリザと別れ、応援を探しに出た。けど、どこに行く? 誰を連れに?
 本当なら、真っ先に行くべきは衛視さんのところだろうけど、私の話を信じてくれるのだろうか? 昨日今日で、ちょっと疑心が湧いている。
 そういう意味では、この件では、シタールさんが一番話が早いだろうけど、今、どこにいるかが判らない。互いに何かあったときは、きままに亭に伝言する約束にしたが、それでは遅い。
 いや……そういえば、牢から出られたら、真っ先にリーブさんの家に行くというような話をしていた。私も一応、大体の場所は聞いておいたので、行ってみよう。こんな時間でもまだ他人の家にいるのか判らないが、他に思いつくことがない。

「いたっ……」
 しばらく進んだところで、急におでこの横のほうから痛みが走った。
 私自身には何も起こっていない。とすると、エリザに何かあったのだろうか?
(大丈夫、エリザ? 何かあったの?)
 呼びかけるが、返事が無い。すでに、使い魔と意志を疎通できる距離を越えてしまったようだ。
 頭に走った痛みは、そこまで酷いものではないが、一体どうしたのだろうか。相手に気付かれて、石で追い払われたりしたのだろうか。まさか、犬に……なんてことがなければいいのだが……。
 心配だが、今は考えてもしょうがない。とにかくできるだけ歩みを速め、リーブさんの家に向かおう。
 
腕の示す先
セシーリカ [ 2007/09/01 23:51:39 ]
  すごく久しぶりに、ラスさんに食事に誘われた。
 ここのところ、二人きりで話したりする時間があんまり無かったから、と。
 ご飯の間くらいは、あの辻斬りの事件を忘れていられるかもしれない。内心わくわくしながら、待ち合わせの見せに向かった。


「おーい」
 店に向かう途中、ラスさんの声がわたしを呼んだ気がして、振り返る。
 振り返ると、そこには見慣れたラスさんの顔ではなくて、何かを追うようにその場を駆け去るラスさんの後ろ姿。
 ふと胸騒ぎがして。
 言いようのない胸騒ぎがして、慌てて後を追った。
 人通りの多いとおり、見失うだろうと思っていたけれど、運良くショウが傍にいた。ラスさんの感覚を、二人がかりで追う。
 程なく、ラスさんを見つけることが出来た。


 最悪の、タイミングで。



 血溜まりの中に崩れ落ちるラスさんの体。それとは少し離れたところに、何かを握りしめているラスさんの左手が落ちていて。
 剣を隠したその人物が、走り去っていく。その顔には、その目には見覚えがある。その目は、わたしには目もくれずに走り去る。わたしは言った。声に出さずに叫んだ。「追って!」と。わたしのもう一つの目が、速やかにそれに従う。

 ……そこからのことを、わたしは断片的にしか覚えていない。
 急いでラスさんの腕に、癒しの奇跡を願ったこと。
 駆けつけてきた衛視が、ラスさんを施療院まで運ぶのを手伝ってくれたこと。
 ヘルムート先生が、真っ青な顔でラスさんの処置をはじめたこと。
 フレデリカに、銀嶺の雫亭のユーニスさんにこの件を伝えて貰うようにお願いしたこと。


 そして今、わたしは、意識を失って眠り続けるラスさんの脇に、呆然と座っている。
 そこは、去年の年末、ラスさんが入院した部屋。
 眠っているラスさんも、部屋の調度品も、何もかわらないように見える。でも。

「ラスさん……ごめんね。ごめんなさい……」
 わたしにもう少し、女神の声を聞く力があれば、ラスさんの腕はなくならなかった。
 もう少し、剣の腕前があれば、あの影に斬りかかって留めることも出来ただろう。
 もう少し、ほんの少しだけ判断力があれば…………

 違う。違う違う。悔やんでいるのはそんなわたしの力不足じゃない。
 頭をひとつ振って、握りしめていた聖印を見つめる。使い古された三日月の鎌。あの日、拾ったそれと同じもの。
「……女神よ……」
 この聖印は、アダルバートのものに間違いない。ヘルムート先生はそう、断言した。
 どうしてこんなことを、と嘆くヘルムート先生の顔に、落ちるのは深い悲しみの影。復讐などして何になるのか、と吐き捨てるように呟いた後、礼拝堂に引っ込んでしまった。

 鈍く輝く聖印を見つめ、もう片手で自分の聖印を握りしめる。

 大地母神よ。偉大なる恵みのマーファ。
 復讐なんて意味がない。それはわかるの。
 でも、わたしは彼の、復讐に燃える気持ちが、わかってしまった。少しだけ。

 ラスさんの腕を落とした彼が許せない。
 同じ思いをさせてやりたい、とすら思う。暗くて残忍な情念が、ドロドロと渦泣いているのが自分でもわかる。
 そんな感情を抱いてはいけないとは思わない。多分それは、人として当たり前の感情。
 でも、それでも、それを実際に行うことは、硬く戒められていること。

 憎しみや怒りや、そんな感情を抱くのは、人としてとても自然なこと。
 でもそれを抑え、忘れ、昇華することも、また人として自然であるために必要なことなんじゃないか。
 ………所詮は綺麗事だけれど……。



 思考が堂々巡りをはじめる。自己嫌悪と憎しみと不安と哀しみで頭がごちゃごちゃになりそうだったところに、ユーニスさんが駆けつけてくれた。
「セシーリカ、大丈夫?」
「ユーニスさん! ……ああ、ラスさんの腕が……」
 ユーニスさんは、青ざめた顔でわたしを抱き留めて、あやすように撫でてくれた。
「落ち着こう、セシーリカ。今やるべきことを、一番に考えよう。いろんな心配は、後ですればいいから」
 ……ふ、と力が緩む。

 今やるべきこと。その言葉と同時に、わたしの脳裏にもう一つのわたしの「目」が開く。
 風下に立ったショウが見ている。アダルバートが逃げ込んだ、隠れ家。そして、そこまでの場所。


 やるべきこと。
 そう、この期を逃さないこと。ラスさんの怪我を無駄にしないこと。
 手にしたアダルバートの聖印を、思いきり握りしめて、わたしは顔を上げた。

「ユーニスさん、みんなを呼べる?」
「もう、ラスさんの家に集まって貰うように、カレンさんに頼んであるから大丈夫」
「ありがと。……ショウも心配だし、急いでいこう」
 首を傾げるユーニスさんに、説明する間ももどかしい。
「辻斬りの潜伏場所、ショウに追わせて突き止めた。……急ごう」
 
追う者達
カレン [ 2007/09/02 14:57:51 ]
 「これだけしか残らなかった。すまねぇ。俺がもっと…」

シタールが最後まで言う前に、肩を叩いて制した。

「付き合いは長くないんだろう? 短時間にこれだけの信頼を得られたんだ。手柄だと思っていいよ。
…それにしても、このドリーというのは……ここまで腐ってるのか」

「妻も狙うだろう」という下りを読んで、吐き気を覚えた。
辻斬りのほうでは、彼女を狙う理由がないはずなので、ドリーだけを警戒していればいい。
問題は、いつ動くか、だが。
ジョバンニを殺したときは、夜中だった。自分の家に引き込んだのだから、すぐにでも殺せたはずなのに。おそらく、完全に寝入るまで待って、悲鳴もあげさせずに済むようにしたんだろう。
リーブの家は店だそうだ。周囲一帯、家が密集している事を考えると、同じように皆が寝静まってから来るだろう。

「シタール、依頼の内容は、リーブの奥さんを守る、でいいのか?」
「ああ。あいつのカミサン、腹に子供がいるんだ。なんとしてでも守らないとな。そん時に、力入りすぎて、クソっタレ野郎を絞め殺しちまうかもしれんけどな」
「絞め殺す?」
「流血は最小限にしたいんだよなぁ。妊婦の住む家だからよ」
「…なるほど。もっともだ」

シタールは冷静だ。怒りに任せて突っ走ることはなさそうだ。

「じゃ、トラップでも仕掛けよう。動けなくすれば、後々どうとでも…」

話がまとまろうかとした、そのときだった。
視界に、人が見えた。一瞬で窓の外を通り過ぎ、すぐに、玄関を叩く音がした。
「カレンさん!」
ほとんど、叫んでいると言っていい声音だった。
迎え入れるのも待てなかったのだろう、鍵がかかっていないとわかると、そのまま駆け込んできた。
ユーニスだった。

「ラスさんが襲われたみたいです!」

--------------------------------------------------

「トラップの位置は、正面入り口と裏口のそれぞれ内側。外からは解除できないようになってる。窓には仕掛けていないが、閂があるから窓ごとぶっ壊さない限り入っては来れない。おそらく、そんなことはしないだろうけど。
それと、鍵開けのための要員が一緒かもしれない。対処は任せるが……」
「逃げるのなら追わねーよ。そりゃ、ただの雇われってことだろ?」
「そうだ。ドリーを捕まえたら、速やかに移動。案内役を待機させておく。レイシアは戻ってくるのか?」
「いや、リーブのカミサンについて、マーファの施療院にいてくれって言っておいた」
「OK。…罠にかかれば、すぐには歩けないだろうけど、手早く押さえないと、逃げられるか反撃されるだろう。油断はするなよ」

場所が場所だけに、大掛かりな罠は仕掛けられない。殺傷力の高い罠も避けたかった。時間もないので、投網がかぶさるだけの簡単な罠だ。

ディーナは、使い魔が気になるようで、時折瞑想するように目を閉じた。ずっと連絡がとれないらしい。
殺されてはいないと思うが…。夜目が利くうえにすばしこいから、そう簡単にはやられない、はずだ。

「…じゃ、あとは頼んだ」

----------------------------------------------------

家に戻ると、ユーニスとセシーリカが玄関先で待っていた。

「悪い。待たせたね。ラスの容態は?」

セシーリカの眉間に、ぎゅっと皺が寄った。
ユーニスが様子を見て、自分が言おうかどうか迷っているようだった。

「左腕が切り落とされちゃった…。傷は塞がってるし、命までは取られなかったけど…」
「わかった。……シタール達は別件に回ってもらってる。こっちにはあとで合流するから、先に行って辻斬りのいる場所を確認しよう。案内してくれ」


辻斬りの潜伏場所にいく前に、ヘザーの塒に立ち寄った。
呼ぶと、地図を片手に路地の奥から走り出てきた。
届け物を頼むことが多いので、この頃は必須アイテムになっているのだ。その成果か、道だけではなく建物の形や看板や住人など、特徴のあるものはかなり覚えこんでいるようだ。

「今日はここだ。ここの店にいる俺の仲間を、今から行く場所まで案内して欲しい。だけど、店の中には入るなよ。
仲間は、がっちりした男のほうがシタール、ローブを着た女がディーナ。この二人が、悪者を捕まえて裏口から出てくるはずだ。そして、できるだけ小さい道を通って連れて来る事。衛視の巡回に気をつけろ」
「わかった。でも、シタールとディーナは、オレの事しらないぜ」
「これを見せればいい。わかるはずだから」

俺はチャ・ザの聖印をはずし、ヘザーの首にかけた。

「報酬は?」
「仕事が終わって、俺が生きてたら払えるかな」
「おーけー。いつもよりはずんでくれよな」

ヘザーとのやり取りを見ていたユーニスとセシーリカは、顔を見合わせていた。

「あの、いいんですか? こんな小さい子を…。危ないんじゃないですか?」
「ねーちゃん、小さかったら使いのひとつもできないなんて言うのかよ。馬鹿にすんな。オレはきっとねーちゃんよりうまk」
「……行こうか」

ヘザーの口を塞いで、二人を促す。しばらく、抗議をしたそうにじたばたとしていたが、思い雰囲気を察したのか、そのうち静かになった。

-----------------------------------------------

セシーリカが、ひとつの建物を指差した。
はずれて落ちそうな窓の隙間から、かすかに灯りがもれていた。
一旦離れる。
離れてから、ヘザーを送り出した。
ショウの目を使って、セシーリカが周囲の様子を窺う。

「……裏口はなさそうだよ。でも、ところどころ、窓が壊れてるから、すぐにそこから出られる。その外は狭い路地。通れるだけの路地だから、立ち回りは無理。正面から入らないとダメみたいだね。中に黒い犬がいる。あの人も……」
「一人と一匹相手のするのか…。ラスがやられる相手だ。ちょっときついかもな」
「あれ? 猫だ。倒れて動かない猫がいる」
「ディーナの使い魔かな。確か、辻斬りを追って、途中で連絡が途絶えたって言ってた」
「死んじゃったりしてませんよね?」
「ちょっとわからない…。でも、目を覚ますかもしれないから、そのまま一緒にいさせるよ」

あとは、乗り込むか、待機か……。
シタールを待ちたいところだが、あちらはドリー次第。いつ到着かわからない。

「……やるか。先制攻撃はされちゃったからな」
 
友よ
情熱を持つ者 [ 2007/09/02 15:49:35 ]
 聖印が無いことに気が付いたのは、家に戻ってからだった。
記憶を辿り、そうして思い出す。
あの路地で仕掛けてきた精霊使い。あれの腕を切り落とした時に、胸元に指先が触れたような気がする。

…………いつか、こうなるんじゃないかと思っていた。
いつか、誰かに目撃されて、私が捕らえられるか、それとも目撃者を傷つける羽目になるか。
やり遂げられぬ哀しみと、人を傷つける痛みとはどちらがいいだろうなどと思っていた。

マーファは、人を傷つけてはならぬと教える。
自衛のため以外に武器を手にしてはならぬと教える。
マーファよ。
復讐は誰のためにもならぬというか。
自らを傷つける諸刃の刃に過ぎぬというか。
ならば、赦せというのか。
あの全てを赦せというのか。
マーファよ。
……応えろ。
応えてみるがいい。それともたかが信者の1人や2人、捨て置くか。

わかっている。憎しみなど何の糧にもならぬ。
人は傷つけ合うだけでは生きていけないのだ。
罪を赦し、人を受け容れ、森羅万象を愛するのがマーファだ。
けれど、どうしても許容できないものはどうすればいいのか。
25人の命が奪われたあの日の出来事を全て忘れろというのか。
憎しみも哀しみも糧にはならぬ。
けれど、私にはもうそれしかない。
どうしても、赦せないのだ。

……彼の命は助かっただろうか。あの精霊使いは。
おそらくはただの通りすがりだ。けれど、私の所業を見て、止めようと思ったか、それともスティンを助けようと思ったか。
その心根に比べて、私はどうだ。
いや、よしんば金のために動いていたとしても、少なくとも彼は卑劣ではなかった。

昔、友がいた。その頃の私は卑劣ではなかったから。
オランの神殿にいた頃、交わっていた友がいた。
私が荘園の村に戻る少し前に、彼もどこかの村へと派遣された。
あの事件を境に手紙のやりとりは途絶えた。私があちこちを転々としていたからだ。
他にも神殿で知り合った友は幾人かいた。
レナード、あなたは今、どうしている?
エセル、君は今、どこにいる?
コーレン、君は今、何をしている?
ヘルムート、あなたは未だ神に絶望してはいないか?
友よ。
私は今、人を殺し続けているよ。
けれど、こんな私でも、呟く言葉は女神に届くのだ。……不思議だね。


モーザが、私の服の裾を引いた。
その足下には気を失った黒猫が1匹。耳の下あたりから血を流している。
これはどうする?とでも言うように、モーザが顔を上げる。
どこかの使い魔か。今日仕掛けてきたあの精霊使いといい、どうやら冒険者が動いているらしい。
この黒猫は先刻、モーザが仕留めたものだ。気絶させるに留めて、私のもとへと運んできた。

……マーファよ。女神の恩寵を。

ぴくり、と猫が動いた。傷がふさがったのを確認して、猫の毛皮についていた血を拭う。
柔らかく、温かい。まだ若い黒猫だ。
気絶したままのその猫をモーザにそっとくわえさせる。
「どこか、あまり汚くない路地にそっと置いてきてくれ。……関係のない者を巻き込むのはよそう」
モーザは、無言で小さく頷いた。

数えきれぬほどの眠れぬ夜を過ごしてきた。
今日で12人。あと5人。
やり遂げれば、もう眠れぬことを思い悩む必要はなくなる。
その時はモーザ、おまえも。

ぐる、とモーザが唸り声を上げた。運ぼうとしていた猫を足下にそっと置き、再び唸り声をあげて私を見る。
この静かな黒い犬が、音を立てるのは珍しい。
「どうした。…………何かやってきたか」
ドリーの手の者か、それとも探っていた冒険者たちか。
抗わねばならぬ、のだろう。私はまだやり遂げていない。
例えば、冒険者か野盗か……そんな者たちの手に私自身がかかれば、いっそ諦めもつくのだろうか。
それとも抗って……私が生き残ればそれは、私がやり遂げてもよいということだろうか。

頼む。私の前に立ちはだからないでくれ。
邪魔を、しないでくれ。
傷つけたくはないのだ。
 
炎との対峙
ユーニス [ 2007/09/02 22:54:08 ]
  「気付いたっ、剣に手をかけてる。犬も身構えた」
 小さく警告を発したセシーリカに頷き、物陰を建物に向かって移動する。予め呼び出して宵闇に紛れさせた闇霊も、私と一緒に動く。
 犬を囮に裏の路地に逃げ込むようならば、私が犬を引き受けて、アダルバートはカレンさんに走って追ってもらう手はずだった。なのに。
 
 勢いよく開いた扉から飛び出してきた黒い疾風に、闇霊がぶつかって弾ける。軽くよろめきながらも怯まずに飛び掛ってくる犬。
 やはり裏から逃げる気なのかと思い、ともかくも私は犬に剣を向ける。
 ところが組み合う寸前、突如として襲ってきた体を吹き飛ばさんばかりの圧力に、骨が軋んだ。息の合ったコンビネーションで私に襲い掛かる牙と気弾だった。
 更に、開いた扉の向こうに新たに生まれた炎の気配。
 
 ああ、彼はあくまで血路を開くつもりなのか。逃げることすら選ばずに。

 少し離れているけれど、一気に駆け寄れば逃がすほどではない。
 カレンさんが迷わず建物へと走る。後を追うセシーリカ、そして、戸口辺りで起こる剣戟。
 ならば、犬を彼らのところに行かせないのが私の役目だ。
  
 犬に剣を振り下ろす。殺したいわけじゃない、あの人を止め、捕まえるのが目的なのだから、できれば刃を交えたくなどなかったけれど、でも。

 普通の犬とは思えない、強靭な鞭のような体と賢い立ち回りで、必死に主のところに行かせまいと立ちふさがる。血を滴らせながら牙を剥く獣を止めるのは骨が折れた。その執念はどこか子を護る母狼のようだと、埒もないことを考える。

 犬が横たわるまでどれくらいの時間を要しただろう。ようやくカレンさんの所に辿り着く。
 セシーリカがぐったりと動かない黒猫を抱きかかえながら母神の名を呼び、カレンさんに指を伸ばす。
 母神の名が耳に入った所為なのか、顔をしかめながら打ち込むアダルバートに、私も剣を向けた。

 
 火を纏った剣が、カレンさんの打ち込みで跳ね飛ばされた。
 くるくると宙を舞う剣は炎で鮮やかな軌跡を描き、かつん、と硬い音を立てて部屋の隅に落ちる。
 
 カレンさんがアダルバートの首筋に刃を突きつける。
 呆然と、それでいてどこか穏やかにその結末を受け入れるような顔で彼はカレンさんを、やがて視線だけをめぐらせてセシーリカを見た。
 それから、部屋の隅で燃え始めた火を。 

 視界の隅を、黒い影がよぎったような気がした。
 
はじけた
黒き物 [ 2007/09/03 22:45:42 ]
 心の奥に 黒い何かがある
それに 気付いたのは デイビスを殺し 人の血を身体に取り込んだ頃だ
獣としての 本能が少し出た と当初は思ったが
自分の食事は出来る限り 自分で取っていた その時には なかった
この疑問は 常につきまとったが それをアダルバートに 告げることはなかった
彼を これ以上 悩ませることはしたくなかった

そして今 女剣士に斬りつけられた今 それが何か分かった
死ぬ そう分かったときに 死にたくない 生命の根元的な恐怖を感じたときに
ソレはやってきた

わたしに 知能を与えた首輪よ お前なのか

ソレに 気付いた瞬間に 黒い何かは 私の中を 駆けめぐった
傷が治り 力が漲ル だが 心ハ蝕まレる
背かラ何カ音がしたトき 何かがはジけた

あダ るばード 逃げ ロ
わたシ ハ ワたし で なクナる
 
迎撃と業火と予兆
シタール [ 2007/09/04 0:38:32 ]
 夜更けと呼ぶには少し早めの時間。店に近づく複数の足音に気付いた。
お目当ての客が来やがった。

誰かが一人窓から中の様子を探ろうとしている。
けど、カーテン越しでしかも真っ暗な店の中を見ることは出来ない。

その内に扉を叩く音。反応がないと見るや奴らは扉を打ち壊し、一気に雪崩で混んできたのだが…。

「なんか…あっけなかったですね。」
「ああ…。こう言うのを良い意味での予想外って言う奴なんだろうな。」
ドリーの一味をフン縛りながら互いに安堵しながらこう言った。

予想内と言えば焼き討ちしないと言う予測だ。
もしも俺がやるとしたらと考えたときに焼き討ちも考慮したのだが「強盗に見せかけて始末する方が疑われない。」と言うディーナの読みは見事に当たったってワケだ。

そして足止め程度か…思った投網に大半が引っかかり。そこへディーナの眠りの雲で文字通りの一網打尽。
混乱した残りの奴らは俺が棍棒でぶん殴って黙らせて、いの一番に逃げようとしたドリーの奴にはたっぷりとパダ流の『躾』って奴をしておいた。
幾らドリーが爵位を持った貴族だろうが、こんだけの悪行の証拠が出てくれば奴もお終いだろう。

近くの住人へ衛視を呼ぶように頼むと。
カレンに言われてきたという案内役のガキに連れられて辻斬りの元へと向かう。

復讐。気持ちは分からなくもない。誰だって大事な人間が殺されたら憎む気持ちにはなる。
そうそうおいそれと許せることじゃねえ。そのことは自分へ向けられる事で痛感している。
だが、死者のために憎み続けると言うことの辛さや不毛さも。

だからこそ…。そこから解放してやりたいとは思う。でも、解放するってなると…。

「もうすぐだぜ。」と言われて考え事しながらずいぶんと進んでいたことに気付く。これからって時にこう言うこと考えてるのヤベえよな。そう思い軽く気合いを入れ直そうとおおきく息を吸い込んだときにあることに気付く。
…焦げ臭い。木や漆喰が燃える匂いがする………もしや。

「シタールさん!」
「分かってる!小僧!案内はここまで良い!」
そう言って俺は背中の斧を構えて走った。

とてつもなく嫌な予感がする。
 
変異
ディーナ [ 2007/09/05 0:17:05 ]
  辻斬りの潜伏しているという場所に案内される直前、漂ってきた焦げるような臭い……火事ということはないだろうが(それなら遠くからでも空が明るく見えるはず)、ただごとではないことは伺える。
 案内の子と別れて、シタールさんと私は最後の距離を駆けた。恐らく、この角の向こう。
 そこは、ボロボロになって人の住み着かない打ち捨てられた家々が並ぶ通り。どの家も暗く生気の無い顔をしているが、一軒だけ違う。ランタンなどとは異なる乱雑な明かりに荒される家がある。
 恐らくそこが辻斬りの住処だったのだろう。とすると、火は辻斬りと揉みあううちに、魔剣から出たものだろうか?

 今はそんなに大袈裟なことになっていないその火でも、放っておけばいずれは類焼を呼び大変なことになりかねない。早々に始末しなければ……と冷静に判断できたならばそう思ったかもしれない。
 しかし、私も、恐らくシタールさんも、それに、カレンさんや、ユーニスさんや、セシーリカさん、そして、カレンさんに剣を向けられている辻斬りまでが、そんな火よりも別のモノに注目している。
 それは、カレンさんたち4人と私たち2人で挟んだ間に立つ黒い塊。そこから、犬が威嚇しているときに発する、喉を鳴らすような低い唸り声がお腹に響いてくる。

「あれが、あの時の犬か?」
 信じられないといったシタールさんの声音。
 実際に、一度、犬を見たことのあるシタールさんならなおのことかもしれないが、そうでない私としても信じられない。それが犬だということが。

 そこに立っていたのは、最早、小型の虎ぐらいのサイズの四肢の生き物だった。少なくとも犬ではありえない。太い胴、脚、尾、どれを見ても犬のそれを優に越えている。
「アレも魔法の道具か何かの仕業か?」
 カレンさんが、辻斬りに問い掛けるが、彼にしても全く予想していなかったことなのか、呆然として、少し首を横に振っただけだった。
 その様は、カレンさんの質問というより、目の前の出来事そのものを否定したがっているようにさえ見えた。

 ”犬”は、私たちの登場にも当然気付き、顔をこちらに向けてきた。炎の色より赤く輝く瞳には、正気の色はすでになく、今にも私たちに襲い掛からんとする雰囲気が全身から感じられた。
 そのとき、その太い首に、金色の首輪らしきものが、炎の赤に照らされて鈍く不気味に光っているのが見えた。

「あの化け物が、何だかわかるか?」
 シタールさんから問われたが、私も全く知識にない。元々、魔物に関する知識は、専門分野ではないし、こういった”変異”による魔物は、原因、結果ともに亜種が多く判断しづらい。
「すいません、わかりません……身に付けたものを狂戦士に変える魔法の品とか、飲んだら魔物になる薬があると聞いたことがありますが、その類かもしれない、ぐらいしか。他の可能性もありますので、気をつけて下さい」
「ああ。援護頼むぜ」
「はい」
 斧を構えながら、一歩前に出るシタールさん、私は、その背に向かって、防御の魔法をかけた。できれば、カレンさんたちにもかけたかったが、ここからだと少し遠い。

 私の魔法が終わるとほぼ同じくして、”犬”が吠えた。遠吠えとは違う、まるで、怒鳴りつけるかのような叫びだ。
 元々、犬の吠え付けるような鳴き声はそんなに好きではないが、その声には、心の底から冷え込むような恐怖が含まれていた。下手をすれば、その場にへたり込みそうにさえさせられた。
 なんとか、心を強くもって耐えたが、もし、魔法の途中だったら、集中が切れて詠唱に失敗していたかもしれない。
「気をつけて下さい」
 私は改めて、シタールさんに声を、半ば無意識に送っていた。

 次の瞬間、”犬”が動き出した。大きな体を一瞬、縮めたかと思うと、物凄いバネで跳躍するように駆け出した。
 向かう先は、こちら側ではなく、反対側に立っているカレンさん……いや、飼い主のところだった。
 
追う者達2
カレン [ 2007/09/06 1:39:36 ]
 異様に発達した四本の足が、床板を蹴る。獣の爪が食い込み、古い床板は、まるで紙くずのように表面がはがれた。
あれを迎え撃つなんてできやしない。引き裂かれて終わりだ。
アダルバードを背にかばいながら、左によける。そのまま、腕を引いて外へと走った。
ユーニスとすれ違う。剣を構えたまま獣を見据えている。
無茶な…。
しかし、頼らなくてはならない。
背後に、獣の足音を聞きながら外へと飛び出す。
シタールとディーナが距離を詰めてきていた。
背後で女性二人分の悲鳴が上がった。
振り返ると、ユーニスが吹き飛ばされて地面に落ちるところだった。
戸口には、肩口に剣が刺さったままの獣。肩から脇の下へと貫かれているにも拘らず、倒れることなく真っ赤な目をこちらに向けていた。
視認すると同時に、獣が跳躍した。
避ける暇もなく、アダルバードが引き倒される。俺は、その下敷きになる格好になった。
シタールが走りこんできたが、構えた斧を振り下ろすことができなかった。
ぐったりとなったアダルバードの身体の下から這い出る。
獣は、アダルバードに喰らいついていた。咄嗟に頭部をかばったのか、腕の付け根辺りだ。しかし、出血はひどい。
獣に刺さっている剣を押す。唸り声は上げるものの、アダルバードを離そうとしない。
柄を掴んで捻る。痛みを感じないわけではないのだろう。一声、甲高い鳴き声をあげた。
怒りに満ちた赤い眼が睨む。

か み よ ち か ら を あ た え た ま え

気合の声と共に、両手を突き出す。
衝撃で獣が後退した。
得たとばかりに、シタールが斧を振るう。狙いすました一撃が、剣の刺さった肩口に食い込んだ。
一筋の光が、更に獣を襲った。
アダルバードを助け起こす男、目の前の戦士、後方に控える女魔術師。
獣は、順に睨み据える。
その間が、俺達に味方した。
狙いは、目の前に立ちはだかるシタールだった。
しかし、襲いかかろうとして、それは叶わなかった。
獣の後足が、地面に固定されていた。

「みなさん、今のうちです!」

ユーニスが叫んだ。

ユーニスの傷を治し終えたセシーリカが、傍に来てしゃがみ込んだ。硬い表情で、アダルバードを見ている。
心中は複雑だろうと思った。助けてやれとは言えない。俺も複雑だから…。
アダルバードを横たわらせて、自分の短剣を掴む。
なおも抵抗する獣を、早く倒してしまわなければ。

炎が、一層勢いを増したようだった。
 
夜は未だ明けない
ラス [ 2007/09/06 2:55:17 ]
 目が覚めた途端に激しい痛みを覚えた。
半ば反射的に、痛い部分を抱え込もうとして、体がやけに重いことに気が付く。まともに動けない。
朦朧とした頭で記憶を辿って、幾つか思い出した。
あの辻斬りにやられて……寸前にあいつの胸元の聖印を絡め取ったような気がする。
……寸前? 何の寸前だっけ。
…………。

いや。今、すさまじく痛いのは、まさにその左手の指のあたりだ。
セシーリカの声を聞いたような気がするから、直後に駆けつけたセシーリカがくっつけたのかもしれない。
とりあえず部屋が暗すぎる。多分、視界そのものも暗いんだろう。
くそ、気が遠くなりそうに痛ぇ。

その時、部屋の入り口から巨大な影が小さなランタンを持って入ってきた。
「気が付いたかね」
影の持ち主はイエティ(注:ヘルムート)で、持っていたランタンはごく普通のサイズだった。小さく見えたのは比較対象のせいだった。
この男がいるということは……そうか、マーファの施療院か。
イエティはランタンの他に小さな袋を手にしていて、部屋の片隅でごそごそとなにかやっていた。
やがて、その手元から細い煙が立ち上る。ランタンの光で確認すると、そこには香炉があった。
「薬が苦手と聞いているのでね。まぁ、無いよりはマシという効果しかないが。……痛むかね?」
「…………わかってるんだったらなんとかしろ、藪医者」
「ふむ……ひとつ聞きたいんだが」
「なんだ」
「君は高位の術師だと聞いた。君にとって、5000ガメルというのはどの程度の金額だ?」

痛みと出血で鈍っているはずの頭に、その質問の意味は何故かすんなりと届いた。
ああ、と思った。
左手の痛みは増した。

──20年前、その金額と伝手があれば、救えたかもしれない1人の半妖精を思い出した。
あいつは右腕だったな、と思った。
……いや、彼の絶望はそれだけじゃなかった。右腕の切断は、彼にとって、溢れかけていた杯への最後の一滴だったにすぎない。
けれど、もしも失った右腕がもとに戻れば、少なくとも生きていてくれたのかもしれない。そう思って調べたことがある。
だから俺は、その奇跡の存在を知っている。
そして、この状況でそれを聞かれる意味に気付く自分が嫌だった。

「…………いやな医者だな」
「……すまない」
「1万だって払ってやるよ。……あんたは伝手になってくれるのか」
「ならざるを得ないわけがある」
「……話せよ」
「君は患者だ。今はそんな話を聞ける状態でもないだろう」
「……いいから話せよ。そのほうが……気が紛れる」

左手の痛みは消えない。締め付けられるような、そしてウィスプに手を突っ込んだかのような痛み。
理不尽だ。もう、無いはずなのに。
そう考えて、自分で考えてしまったそのことに、焦燥感にも似た何かを感じて、行き場のない怒りと喪失感に襲われる。
例えば、その奇跡の成功率はどのくらいなのだろうとか、そもそも信心深くもない俺にそれは有効なんだろうかとか、もしもうまくいったとして、完全に元に戻るのだろうかとか、そういうことが頭の中を巡る。
嫌でも左腕に意識がいく。そしてまた、ほとんど絶望的なほどの痛みを覚える。

「……紛らわせろよ」
呟いた言葉に、イエティが頷いて、ベッドの脇にあった椅子に腰をおろす。ぎしり、とスツールが悲鳴を上げた。
そして、いつも快活なこの男には似合わない口調で訥々と語り始めたのは、整理してみればさほど複雑な事情じゃなかった。
聖印の持ち主──アダルバートというらしい──の過去。
今、オランで起こっている辻斬りが、彼の復讐だろうということ。
それを公にすることは神殿が好まないだろうから、おそらく、申請は受理されるだろうということ。

……俺は、少し残念だった。
あの時、路地に踏み込んだのは、辻斬りを捕まえられるかもと思ったわけじゃない。無用に人が死んでいくのを自分のすぐ近くで見たくなかっただけだ。
そしてそれは結局間に合わなかった。
が、残念に思ったのはそのことじゃない。
もしも、そのマーファ神官の事情を知っていれば、俺は止めなかっただろう。手伝いすらしたかもしれない。そのことが残念だった。

「私は、彼を止められなかった。復讐など、何の意味もないのに。……いや、違う。意味は……意味は、あるのかもしれない。けれどそれは……女神への冒涜だ。命を命で贖うべきではない」
……そうだろうか。
じゃあ、命は何で贖えばいいというんだ。……いや、そうじゃない。命をもってしか贖えないと思った時点で、それはもう他に何の代替物も無くなってしまうんだ。
「……なぁ、イエティ」
「……ヘルムートだ」
「あんたは、止めたかったのか」
「無論だ。彼の魂が徒に汚れていく様を友として見過ごすわけにはいかない。……そうだろう? 我々は、神のしもべとして……」
「……イエティ」
「ヘルm」
「うるせぇ。……っつか、カミサマってのはさ、人間を馬鹿に仕立て上げるためにいるんじゃねえんだろ?」
「……どういうことかね」
「…………あー……なんて言えばいいんだ。……くそ、なんでこんなに痛ぇんだ、ちくしょう」

復讐したい、けれどそれは神が許してはくれない。馬鹿か。誰が許そうと許すまいと、復讐したいと思ってしまったんならもう後は、選択肢はそう残っちゃいない。
復讐するか、しないか。
復讐しないと決めたなら、忘れるか飲み込むか。
けれどそれはいつまでも自分自身を苛むだろう。自分は復讐してやりたかったんじゃないのかと、確かに憎むべき相手がいたはずなのにその憎しみを忘れてしまうことは、喪われた命が可哀想じゃないかと。
自身の許容量を超えた憎しみや哀しみは、狂気の元になるか、そうでなければ絶望の元になる。

そうしてまた思い出す。20年前に喪った友人は、復讐できずに、そして忘れることも飲み込むことも出来ずに死を選んだ。
信仰を捨てて。
……神を責めることは的はずれだ。自分に傷を与えたのは紛れもなく人間なのだから、人間を責めればいい。
けれど、神に頼ることだって的はずれだ。
神が許さないから復讐をしてはいけないんじゃなく、自分がそれをしないことを選ぶべきだろう。
人を殺す自分を神が許さないから魂が汚れるんじゃなく、自分が人を殺すことに傷ついて汚れていくべきだろう。
……きっとカレンは、そうして傷ついていったんだ。カミサマが大好きで、けれど汚れた自分ではその前に立つのが恥ずかしくて、自分は声を聞くべき人間なんかじゃないと思いこんで。
そうまでして、それでも求めるというのならわかる。それならわかる。俺はカレンという男を知っているから。
けど、その辻斬りマーファ神官は違うと思う。

例えば自分が誰かに殺された時、仲間が自分のために復讐しに行くというのなら、別に俺は止めない。そいつがそうしたいんならそれでいい。
逆に、誰も復讐しなかったとしても俺は気にしない。
もしも、仲間が……例えばセシーリカやカレンが殺されたとしたら、俺はその相手を許さないだろう。生まれてきたことを思い切り後悔させてからゆっくりじっくり、嬲るように殺してやる。
それは俺がやりたくてやることだ。イエティやフランツや盗賊ギルドや衛視局の連中や、ついでにカミサマとやらが許さないなどと抜かしても、俺は気にも留めないだろう。

「……大丈夫かね。少し休んd」
「うるせぇ、考え事してんだ。……えーと……つまりさ。あんたの言い方だと、じゃあカミサマが許せば復讐していいのかってことになる」
「神がそれを許すはずない」
「許すはずない。そうわかってるから、『神が許さないから』なんて言う。カミサマに、あんたさえ許せば俺はやるのに、って言ってるように聞こえる」
「それは……」
「てめぇの裁量でヤれねぇ奴は馬鹿だ」
「馬鹿か……」
「ああ、馬鹿だ。どんだけ傷つこうが汚れようが、てめぇの領分だろう」

それが耐えられないと思うなら死ねばいい。
それでも死ねないというのなら生きられる道を探せばいい。

「イエティ。あんまりカミサマを言い訳にしちゃ、カミサマとやらも可哀想だろ。ダチの1人くらい、カミサマに頼らずに助けてやれよ」
 
理由
セシーリカ [ 2007/09/06 11:26:00 ]
  目の前に、血を流して倒れているアダルバートがいる。
 カレンさんが短剣を構えて、犬に向き直っている。

 ラスさんの腕を癒した。アダルバートとの戦いで、ユーニスさんとカレンさんには抗魔と防護の魔法をかけた。…そして、二人の傷を、さっき癒した。
 ……電撃の魔法だったら、あと2回は撃てる。目の前の男を癒すことさえ考えなければ、魔法で攻勢に転じることが出来る。あの犬は強敵だけれど、シタールさんとディーナさんも加わった以上、勝つのは苦労しても、負けることはないだろう。

 腕の傷を見る。彼は抵抗しない。懐に短剣でも隠し持っていれば、彼はきっとわたしの心臓をひと突きに出来る。そんな距離で。
 ………腕の傷は想像以上に酷かった。抉れた傷からは骨が見え、脈打つように血が流れている。早く癒さなければ、流れる血のように、命まで流れて消えてしまいそうなほどだった。


 ………癒すべきなのだろうか。
 ふと、頭をよぎったのは、そんな考え。

 彼はラスさんの左腕を奪った。
 わたしは見た。その現場を。その時にわたしは何を思った? 彼に憎しみを覚えなかったか?

 覚えなかったはず、ないじゃないか。

 腕を無くしたことはないから、どんなに痛いかはわからない。
 でも、あのラスさんが気絶してしまうほどなんだから、きっと痛かったはず。
 ううん、今でも。

 傷を癒そうと、必死になって祈っている間。神殿に運ぶ間。ヘルムート先生に引き渡して、そして処置が終わるまでの間。
 ラスさんの顔から痛みに歪む様が消えることはなかった。
 同じ痛みを味わえばいい。同じように苦しめばいい。いや、もっともっとそれ以上に苦しませてやってもいい。
 そんなどろどろとした黒い考えがなかったとは言わない。むしろ大声で叫んでやりたい。

 でも。

 そうすれば楽になるのかもしれないけれど。そうすれば溜飲は下がるだろうけれど。
 わたしにはどうしてもそれは出来なかった。
 何故だろう。

 女神の御心に背く行為だから?
 してはいけない、道徳に悖る行為だから?

 それも理由のひとつ。それが理由でないと言えば嘘になる。
 女神は復讐を疎んじている。やられたことをやり返したからと言って、ラスさんの腕は帰ってこない。

 でも、それだけじゃない。わたしがそうしたくない理由は、そんなんじゃない。
 わたしがそれを出来ない理由は、そう。一番大きな理由は……。


 ……そんなことをぐるぐる悩んでいたのは、ほんの瞬きするほどの間。
 癒しの奇跡を願う。女神は聞き届けてくれた。アダルバートの傷口から出血が止まる。彼は呆然と……驚いた、と言うよりは、本当に放心したような表情で……、わたしを見た。
「どうして」
「………」
 無言で立ち上がり、槌鉾を投げ捨てる。ユーニスさんの魔法で足止めされた犬が、カレンさんとシタールさんの斬撃を受ける。喉笛を切り裂かれ、前足を落とされ、それでも止まらない。命が消え失せるその時まで、足掻き、藻掻き、目の前の敵を打ち砕こうとしている。それが本能なのだろう。あの「犬」ではなく、あの「首輪」の。
「どうしてって、聞かれてもなぁ」
 炎は勢いを増している。戦闘の最中だというのに、わたしたちの間に流れる空気は穏やかだった。…穏やかと言う言葉は、少しおかしいかもしれない。諦観と疑問と、そんなものがぐるぐる混ざったような感じ。
「それが、女神のご意志だから、とでも?」
 皮肉めいたアダルバートのセリフに、ちょっと首を傾げる。
「それも、ないとは言わないけど」
 なんと言えばいいのかわからない。言葉にするのが、すごく難しい。うんとうんと考えて、わたしがようやく口に出来たのは。
「あなたのことは憎らしい。ラスさんと同じ目に遭わせてやりたい。ううん、もっと酷い思いさせてやりたい。そんな思いがないと言えば嘘になる。それでもそうしないのはね……」

 犬がとうとう、動かなくなる。横倒しに倒れて、それと同時に炎が天井を舐めはじめた。……もう保たない。

『センカ、センカ! 早く逃げようよ、この建物壊れちゃうよ』
 ショウの思考が流れ込んでくる。建物の外、別の建物の上。炎に気がついた何人かが、此方に向かって来ようとしている。わかったと頷いた。
「さ、行こう。もうすぐ崩れちゃう」
「置いていけ」
「嫌だね」
 素っ気なく応えて、無理矢理引き起こす。シタールさんが早く出ろ、と叫んでいる。炎はもう天井の半ばまで舐め尽くしている。嫌がるアダルバートを半ば引きずるように、わたしは出口に向かった。
「置いていけ。わたしが死ねば、復讐になるだろう」
「だから、復讐する気なんかない。…少なくとも、【今】、【わたし】にはね」
「偽善者め」
「何とでも言えば」
 ユーニスさんとカレンさんが叫ぶ声が聞こえる。シタールさんとディーナさんが外に飛び出す。…暑い。すごく暑い。むしろ熱い。……炎が回り始めた。早くしないと。
「何故だ!」
 アダルバートが叫んだ。初めて、叫ぶのを聞いた。顎から落ちる汗に構わず、わたしは怒鳴り返す。
「それをしたら、わたしはわたしじゃなくなる。わたしがわたしじゃなくなるくらいなら、憎しみに頭がおかしくなっても、わたしで居た方がいい!」
 叫んで手をかざす。落ちてきた梁が気弾ではじけ飛んだ。二度、三度。同じことを繰り返して、まろびながら建物の外に出る。一番最後に建物から転がり出ると、音を立てて建物が崩れ落ちるのが見えた。
 全員の無事を確認して、懐に抱いたディーナさんの猫の息づかいを感じて。ほっとすると同時に、意識が遠のいた。
 
鎮火
ユーニス [ 2007/09/07 1:06:57 ]
 
 「いつだったか、カレンに言われたんだよ。どうしておまえは利き腕に怪我をするんだ、って。
 俺さ、魔法使う時って主に左手なんだよな。それは右手に剣を持つことが多いからなんだが。とにかく、魔法に関する限り「利き手」は左なんだ。もちろん右でも使えるが、左のほうが俺には使いやすい。
 本来盗賊なら一番に「利き手を庇う」っていう意識がある。けど俺にはそれがない。ひょっとしたら、俺は魔法の利き手を無意識に庇ってたのかもしれないくらい」

 私が剣と精霊との間で悩んでいたとき、ラスさんはそう言って私に絡んだ糸の解き方――ほとんど答えといってもいい――示してくれた。
 その後、私は剣とともにある己を自覚し、新たな覚悟で剣を取った。
 最悪なことに、その刃をラスさんに向けたこともあったのだけれど。

 アダルバートの燃え尽きた塒を後にしたのは、夜も更けた頃だった。
 幸いにも延焼を免れ、安堵していると、ぽつぽつと空が泣き出した。
 降り出した雨は埋み火を蒸気に変え、夏の日差しの名残を消し去り、あらゆる熱を奪っていく。
 
 私たちは、アダルバートの身に縄を打つと、歩き出した。

 あの日、道を示してくれたラスさんの左腕を奪った男が、戒められてシタールさんに担がれている。ほぼ荷物扱いだが、抵抗しないためかシタールさんの表情は意外と楽そうだ。
 私の背には気を失ったセシーリカ。この小さな体で彼女は大の男を炎の中から引っ張り出した。魔法を何度も使い、精魂尽きたことが気絶の原因だろうけれど、無事に炎から逃れられた安堵もあるのだろう。今は少しでも心を休めて欲しいと、あえて皆彼女を無理に起こそうとはしなかった。
 今日は彼女にとって、とても辛いことが起きたのだ。眠れるのなら眠って欲しい、と。

 もっとも、心を痛め、疲れ果てたのは彼女だけではない。
 彼女の懐から受け取った黒猫を大事そうに抱きかかえるディーナも、アダルバートの動きを警戒しながらシタールさんに手を貸しているカレンさんも。
 皆、どこか精彩を欠いていた。降り注ぐ雨が、気力も少し削いだのかもしれない。
 

 施療院でラスさんの姿を目にして、喪ったのが左手だと知ったとき、私の中に生じた想いを何と呼べばいいのだろう。セシーリカに落ち着くよう言いながら、動揺を押し殺していたあのときの心のうちを。
 大抵の人が、かけがえのないものを持っているが、それを奪われる苦しみ悲しみを知る人はどれくらい居るのだろう。
 精霊との絆を結ぶ腕、愛する人のからだ、大切な相棒の健やかさ、友人の笑顔。
 愛する人々の命、家族の笑い声、温かな団欒、素朴で美しい故郷。
 その軽重は、その者にしかわからない。喪ったものの代価もまた。

 アダルバートは、渋面のまま、それでも大人しく担がれている。
 セシーリカに無理やり助け出され、あまつさえ癒しの魔法をかけられたことが、彼にとってどれほどの痛みになるのだろうと考えてみる。
 己に明確な救いをもたらさない女神の名を呼び、女神の御心に沿って生きるモノが、自分を癒し、手を差し伸べ、死の炎の中から救い出す。
 それは、女神の恩寵なのか、懲罰なのか。
 7年前の劫火と重ねずにはいられないその状況に、自分の罪を重ねたなら、彼の心は何を感じ取るのだろう。

 漫然と歩いていた私が、ふと気付いて周囲を見回すと、そこは良く見慣れた場所だった。てっきり衛視局か神殿にいくのだとばかり思っていたのに。
 「とりあえず、皆疲れてるしな。ラスの意向も聞きたいし」
 そう言ってカレンさんが扉を開けたのは、十六夜小路のラスさんの家。
 アダルバートの顔が、さらに困惑の色に染まった。
 
迷走の末に待つもの
カレン [ 2007/09/09 22:32:18 ]
 皆が寝静まった。
気を失ったセシーリカはもちろん、牢から出たばかりでまともに休んでいなかったらしいディーナと、今回一番のダメージを負ったユーニスは、四半刻後には眠ってしまった。
シタールは、アダルバートに何度か話しかけ、質問なんかもしていたようだが、一切口を開かないとわかると諦めたようだった。今は、毛布を被って、居間の隅で背を向けて丸くなっている。…寝息から察するに、もしかしたら起きているかもしれないが…。
アダルバードは、後ろ手に縛られたまま、ソファにいる。半ば横になって、何度も身じろぎをしていた。
戒めを解いてやると、また困惑の表情を浮かべた。

「…なぜ…」
「苦しいだろ?」
「…捕まえておいて、なぜ衛視に突き出さない。なぜ生かしておく」
「じゃ、なんでオマエは逃げなかった? チャンスはあったはずだ」

答えはなかった。
俺も答えなかった。
アダルバートには、俺に心中を明かす義理はない。
俺は、今後の行動を決めかねている。
正直なところ、この男の過去を朧気ながらも知って、止めなければならないのだろうかと疑問を持っている。
本来裁くものがいるにも関わらず、それが叶わないのなら、いっそ自分の手で……。そう考えるのは、罪なのか。
残されて、悲しみや悔しさを抱えて、その傷を負わせた者どもが大手を振って生きていることに、更に踏みにじられるような思いを味わわされて、それでも耐えなければならない。それが被害者の取るべき人としての道だというなら、こんな酷い仕打ちはない。

「……ドリーは、衛視に捕まったよ」
「それは…諦めろと言っているのか」
「別に…」

両手で顔を覆って、アダルバートは大きな溜息をついた。

「どうしても諦めきれないなら……行けばいい」
「…! どうしてだ…」
「そんなに苦しいなら、止めはしないよ」
「君は、神官ではなかったか?」
「だから?」
「…………」
「復讐をしたからって救済にはならないからやめろ。空しいだけだ。そう言って欲しいのか」
「…………」
「確かにね、神に仕える身なら、そう言うのが普通かもしれない。けど…神の意思なんて言って、押し付けられないじゃないか。復讐に走るくらい辛いってヤツにさ」
「…そんなふうに言う神官がいるとはな…」
「昔、道を踏み外してるんで、今でも枠外の考え方をしてしまうんだ」

一瞬、沈黙が落ちた。

「それでも、声は届くのだな…」
「届くよ」
「なぜだ」
「一度刻まれた神の印は、なかなか消えないものなのかもしれないな」
「だから、わたしの声も女神は聞き届けるのか」

アダルバートの顔が歪んだ。憤り、だろうか。
呼吸が乱れた。苦しそうに頭を抱えて、かきむしって……。

「…それすらも苦痛か?」
「…………」
「答えになるかどうかわからないけど……こういうのもある。
善人が救われるのは当然のこと。悪人を救うことこそ神の本懐なり。
オマエが復讐のために神に背を向ける覚悟を決めたというなら、神は全力を以ってその魂を救済しようとするだろう。
それを『奇跡』ととるか『偽善』ととるかは、オマエ次第だけどな」

アダルバートがどう捉えようと、女神は『奇跡』をもたらすだろう。
だって、そうじゃないか。
こいつの心の中は、復讐心と同時に、女神のことで一杯だ。捨てきれたなら、こんなに苦しまない。
こういう人間をこそ、神は見放さないものだ。


次の日、アダルバートを皆に任せ、マーファの施療院に出向いた。
ラスは眠っていると、ヘルムート院長は言った。
薬を飲むのを嫌がるヤツのことだ。痛みに疲れ果てて眠ったに違いない。
起こすことは避けた。傍にも寄らなかった。
アダルバートの所在を、院長に告げるだけにした。

「彼に会わせてくれないかね」
「止める気ですか?」
「無論だ」
「生半なことではできないですよ。彼の心情を考えれば」
「わかっている。…それでもやらなければならない。彼はわたしの友人なのだ」

友人なのだ、と院長は繰り返した。

その日の夜半。
アダルバートを伴い、ひっそりと静まった施療院に、忍ぶように入り込んだ。
彼の無表情な顔からは、何も読み取れなかった。
 
曇天
情熱を持つ者 [ 2007/09/10 1:13:00 ]
 苦しかった。

苦しくて。苦しくて。苦しくて。気が狂いそうなほどに苦しくて。
いっそ狂ってしまえば楽だろうにと、邪神の声を待ちわびた夜さえあった。


あの浅黒い肌をした男──名は名乗らなかった──は、私をマーファの施療院へと連れて行った。
彼は何も言わず、そして私も何も問わなかった。
真夜中の施療院の中庭は静まりかえっていた。院内のそこかしこでは夜番の神官や医師が働いている気配がするが、中庭はこの時間、施錠されているらしい。
そこでは、懐かしい顔が私を待っていた。
豊かな銀白の髪と髭、私よりふた回りも大きな体。ヘルムート、私の年長の友。

「アダルバート。……すまなかった」
何故謝るのかと問う私に、彼は沈痛な表情を見せた。
「もっと早くに私が止めてやりたかった。君の慟哭をこの耳で聞いておきながら、私は君を救えなかった」

そうじゃない、ヘルムート。私は自分の意志で足を踏み出した。復讐への辛く長い道のりを、自分の意志で踏み出した。
それが女神に背を向ける行為になるとわかっていて、それでもなお私は自分を止められなかった。
けれど女神に背を向けても唾を吐いても、何故彼らを許すのかと糾弾しても、何故私を裁かないのだと責め立てても、それでも女神は私に声を届けた。
それが私には苦しかった。

「アダルバート。それが苦しみのもとだと言うのなら、ならば君は、女神の恩寵を失い、女神によって裁かれることで解放されるというのか? 違うだろう。それはある意味、君の望む結末かもしれないが、君を幸せにするわけではない」
中庭は暗かった。曇天の今日、月は雲に隠れて見えない。今にも降り出しそうに、夜の空気は不快な湿気を孕んでいる。
年長の友は、小さく息を吐き出した。
「本当は……礼拝堂に君を連れていこうと思った」
「……そこで何をさせるつもりだった? 私が懺悔をするとでも? 誰を殺したか、何人殺したか、どうやって殺したか、それとも私がその瞬間何を思ったか、全て告白して赦しを乞えとでも?」
「その必要はない」
「何故だ! 何故、誰も彼もが私を責めない!? 私は人殺しだ! 兄に忠実だった犬まで巻き込んで、この両手を血に染めてきた非道な人殺しだ!」
「……君は責められたかったわけではない」

違う。私は責められたかった。
女神に糾弾されたかった。裁かれたかった。断罪されたかった。もうおまえなど知らぬと見捨てられたかった。
そうしたら……。
そうしたら、身も世もなくすがりつけたろう。

「女神は、君を赦している。私は、君にそれを伝えたかった」
ヘルムートは、私の手にそっと何かを握らせた。
すっかり角が丸まって、光沢もなくなっている、古びた銀の聖印。
切れた鎖は補修してあった。
「……レアル子爵と話してきた。ドリー・キリバスという男が悪行を重ねたのは、レアル子爵領だ。今はオランで起こした事件で捕縛されているとはいえ、過去のことに関してはレアル子爵に司法権がある。……7年前の事件の主犯がドリー・キリバスであることと、君のことを話したよ。子爵は明日にでもすぐ、ドリーの身柄をオラン衛視局から引き受けると言ってくれた。そして彼の処遇は君に任せると。レアル子爵の館はオラン市内にある。だから君は明日にでもドリーと会える」
「……私が、奴を殺してもいいというのか」
「キリバスは一応、金で買った爵位があるが……今回の事件と過去の悪行で、それは剥奪される。その上に財産の全てを没収され、そして……さてどうなるかな。国外追放とはいかんだろう。それでは悪党を野に放つようなものだ。幽閉されるか、悪くすれば縛り首ということもあり得る。それはレアル子爵に委ねられているが、子爵は、もしも君が殺したいのなら……と言っている」
「…………」
「アダルバート。君がもしもそうしたいのなら、そうするといい。そうしなければ生きられないというのなら、そうするといい。けれど、彼を殺して自らも死ぬというのなら、やめてくれ。アダルバート、友よ。私は君の死の知らせを聞きたくはない」
「ヘルムート……何故、あなたは私を赦す?」
「君が苦しんでいるからだ」
「何故、私を放っておかない」
「君が友だからだ」
「何故、私を責めない」
「君はもう充分に苦しんだからだ」
「私は人を殺した!」
「それでも大地は君に優しい。それでも、陽の光は君に降り注ぐ。君は解放されていい」

……何故だ。何故、誰も彼もが私を責めない。

「…………腕を。……腕を切り落とした精霊使いはここに運ばれたと聞いた。彼なら私を責めるだろう。無関係なのにむごい目に遭わせた」
私がそう呟いた時、背後にいた浅黒い肌の男がぴくりと動いたような気がした。
が、振り返ると、何事も無かったかのように無表情でただ立っていた。
ヘルムートが小さく笑った。
「……彼は君を責めてはいない。負けた、と言って悔しがってはいたがね。……アダルバート、もう一度言う。君の声が女神に届くということは……君が女神の恩寵を失っていないということは、女神が君を赦しているということだ」
「…………明日、か」
「そうだ。明日、君はドリーに会える」
「……わかった」



あの時、浅黒い肌をしたあの男は、私に言った。
そんなに苦しいなら止めはしないと。
半妖精のマーファ神官の少女は、私に言った。
自分が自分でなくなるのはいやだと。

モーザ。
おまえは苦しんだろうか。
あの魔法の首輪にあんな作用があることを私は知らなかった。
もしもそれを知っていたなら、私はおまえにあれを使わなかったろう。
モーザ、最後の瞬間、おまえは解き放たれたろうか。
それともあの首輪がおまえを飲み込んで、おまえはおまえでなくなってしまっていたろうか。
モーザ、それでもおまえが今、安らかに眠っていることを願う。
おまえのおかげで、私は孤独ではなかった。
苦しかった。
けれど、孤独ではなかったのだ。


モーザ。私はどうすればいい?
 
迷走の末に待つもの2
カレン [ 2007/09/11 0:44:58 ]
 マーファ神殿に近い、一軒の酒場。
待ち合わせたわけでもないが、そこに皆が集まっていた。
話が弾むこともなく、浮かない顔でテーブルを囲む。
注文した飲み物はなかなか減らず、エールの泡は消え、茶はすっかり冷めていた。
まるで葬式帰りだ。

「あいつ、どうするつもりだろうなぁ…」

ぽつりとシタールが呟いた。
返事はない。皆一様に、更に顔をうつむけただけ。

ヘルムートとレアル子爵の計らいで、ドリー・キリバスとアダルバートの面会が叶う。
その時に何が起こるか。
そのことに、思いは巡っていた。

「このままいけば……手にかけてしまうんだろうな、おそらく…」

全員がどんよりと押し黙ってしまった。

「それでもいいと思って、連れてったんだけどな、俺は。
…法にてらせば、官憲に突き出すのが当たり前だろう。人道的には、止めるのが普通だ。けど、アイツの受けた傷を思えば、どちらもできなかった。
裁きを受けるべきなのは、ドリー・キリバス。これは明白だ。
じゃ、誰が裁く?
法か、神か。それとも人か。人であるならば誰だ?
…アダルバートでもいいじゃないか。それがどんな手段であろうと。それだけの理由が、彼にはある」

ただ……。
そう…ただ、それが本当にアダルバートのためになるかどうかは……。

何故、誰も彼もが私を責めない。

あれは、彼の本心。心の叫びだった。
俺は、あの叫びをちゃんと受け止めただろうか…。
俺は手を離してしまっただけなのかもしれない。
その一点だけが気にかかって、しこりとなっている。
 
一案と回顧と驟雨
シタール [ 2007/09/12 1:37:10 ]
 「俺はアダルバードがドリーを殺すことは別に良いと思う。して当然だし、されて当然だ。」
そう言うとみんなは俺の方を見た。

自分が同じ立場だったらしないって言えるほど俺は人が出来てない。つうか、リーブの仇とばかりにドリーを殺しかけたし。
集落一つを滅ぼした以上はその罪は命であがなうのは当然。

「だからって…あの人が殺すというのは…。更に深く悩むことになるんじゃないでしょうか?」

ディーナがそう言った。まあ、確かにそうなるだろうな。どうもアダルバードは生真面目だ。
おそらくすべての敵を討った後でも悩み続けて墜ちることに墜ちるのは目に見えてる。
外道だろうが何だろうが人の命を奪ったわけだからな。

「だからな。悩まなくなるようにしてやれば良いんじゃねえかなって思うワケよ。」

そんなこと出来るのか?と言う視線が来る。あんな凝り固まった人間をそうそう改心させれるワケがない。
それに大事なこと忘れてないか。あいつはオランの町中で何人もの人間を斬り殺した。
オランの法に従えば…。

「……死刑ですか。」

「そう。ドリーを殺した後にオランの官憲に引き渡す。そして法に則って死罪。コレしかねえだろ。」
そういうと残ったエールを飲み干して店を出た。これ以上、当事者抜きで俺等が話したって意味がねえと思ったしな。

あいつは誰もが自分を責めないと言った。だから、こういう風にしてやるのが一つの優しさじゃねえかな。

何となくそう思った。

そして何となくソレイユを思い出した。
あの時に仲間の誰もが自分を責めなかった。あいつの親も俺を責めなかった。
レイシアだけが俺を責めた。絶対に許さないと。でも、あいつも全てを知ったときに俺を責めなかった

自分のやったことに後悔はない。ただ、生じた結果を誰かに責めて欲しかったんだろうな。

そんなこと考えながら歩いていたら夕立にあった。
その雨音が夏が駆け足で終わる音に聞こえた。
 
断ち切るもの
ユーニス [ 2007/09/13 1:42:57 ]
  私は間違っていたのだろうか。
 責めず罵りもせず、また、彼を斬らなかったことは誤りだったのだろうか。何より、あれを渡したことは。

 あの日、シタールさんが犬の亡骸にそっと近づいて、黒い毛と喉元の傷に埋まるように食い込んでいた首輪を取り外した。金色だったであろう首輪を染めた赤は、もとの金色を赤銅色に見せていた。
 斧の食い込んだ跡から二つに割れた首輪は、持ち上げると受けた衝撃のためか、ばらばらと幾つかに分かれて地に零れ落ちる。付与されていた魔法の効力が喪われたのかもしれない。誰もが、それを惜しいとは思わなかった。

 黒く沈んだ廃墟。
 小さく熾きていた火も降りだした雨に消えていく中に、一箇所だけ、その消え残りの火灯りを受けて光る何かを私が見出したのは、火蜥蜴が悪戯をしないか気配を確かめていたときだった。
 その正体を悟って、無言で燃え滓を掻き分ける。私の背後でカレンさんとシタールさんはアダルバートに縄をかけているし、ディーナさんはセシーリカの介抱をしがてら懐から黒猫をそっと抱き上げたりしている。
 いや、あえて皆こちらに視線を向けなかったのかもしれない。


 塒を後にするにあたり、セシーリカを背負うために、ディーナさんに”それ”を預かってもらった。ディーナさんの目が大きく見開かれる。躊躇いながらも恐る恐る差し出された手に、そっと剣を委ねてから、私はセシーリカをゆっくり背負った。

 ラスさん宅についてすぐ、ディーナさんがそっとローブの襞にくるむようにして運んでいた剣を渡してくれた。
 「お返しします。というのも変ですけど、私の手にはいろんな意味で重過ぎますから、持っているのも辛くて。
 それ……やっぱり例の魔剣ですよね?」
 「だと思います。あそこにあった以上、間違いないでしょう。切り結んだときに見た特徴とも一致しますし」
 「……どうするんですか?」
 
 盗まれたものなら持ち主に返す。持ち主が居ないならば、売るなりするも良かろう。
 けれど、この剣の持ち主は確かに今生きている。健全な意味で今を生きているかといえば疑わしいが。

 「ねえ、ディーナさん。あの首輪はつけた生物を変えてしまう品だったかも、って話でしたよね。この魔剣がそうじゃないとは言い切れません。けれど、確実にそうでない限り、剣を取るのも何かを断つのも、持ち主の意思だと思うんです。剣は道具に過ぎません」

 だから、この剣を持ち主に返そうか悩んでいる。
 そう続けた私に、ディーナさんは困ったように小さく溜息をついて「選ばせるんですね」と呟いた。
 「剣を取る身としては、大層なことをいえる立場じゃないです。でも、自分で答えを出すのが良いんじゃないかと思って。それが道義的に許されるかっていうと……困ったなぁ。ラスさんの腕を切り落とした剣でもありますし。
 少なからず私たちが貰っていいものじゃないと思うんですよ」

 困りましたねぇ。二人でそう呟いて。
 私とディーナさんはあの夜早々に眠った。


 結局、ラスさん宅にいる間は安全確保のためにアダルバートに渡さず、カレンさんにあの剣を託した。

 眉をひそめて剣を見つめるカレンさんに、自分の思いを話して、ラスさんのこともあるし、今後の成り行き……彼の処遇如何によって違いは生じるであろうけれど、判断をお任せしたい、とお願いした。

 

 そして今。
 マーファ神殿近くの店でカレンさんはそっと呟いた。
 剣は、彼に返したよと。

 別れ際、彼に剣を差し出すと、絶望と怒りと悲嘆と……様々な色を帯びた顔で受け取ったと。

 それを耳にして、また皆押し黙る。

 「剣を取って殺すかどうかは、彼に委ねられたんですね」
 私の呟きに、カレンさんが頷く。

 シタールさんの言う「裁きの後の裁き」は、このまま行くと現実になる可能性が高く思われた。
 もし彼がドリーを殺さなかったとしても、それ自体が彼の処分を免れる理由になるかといえば厳しいだろう。そこにあえて何かを見出して、新たなる意味を付す事を考えなければ。

 「生きて、生き続けて苦しめ。そういう罰もあると思うんですけれどね」

 彼が今まで味わってきたものと似て非なる苦しみに、死ぬまで。
 私の呟きに、囲んだ卓の上の空気は一層どんよりと濁った。窓の外からは、雨が石畳を容赦なく打つのが聞こえていた。
 死か生か。苦しみも罪も全てを断ち、絶対の罰のように見える死が、本当に何も残さないのか。選択肢はそれしかないのか。
 私には疑問に思えてならなかった。
 
報いる
ディーナ [ 2007/09/15 0:28:43 ]
  シタールさんと、ユーニスさんの言葉を聞いて、私は、ゆっくりと溜息をついた。
 そうして、しばらく黙りこんでいると、私の膝でエリザが珍しく鳴き声を上げた。私の顔を不安そうに見上げている。
 前は、そんなことはなかったのだが、あの日以来、私の元を離れたがらず、こうしてずっと傍にいる。
 あの日のことを聞いたところ、アダルバートさんを追っている途中、突然、不意打ちでモーザに襲われたと言っていたので、しばらくは、一人になるのを怖がるのも無理なからぬことだろう。可愛そうなことをしたと思う。

 ……だが、私は、エリザに安易な命令をした自分を悔やんでも、アダルバートさんやモーザに憎しみは無い。

 あの後、エリザの頭には、ほとんど消えかかっているものの、小さな傷痕ができていた。そこは、アダルバートさんを追わせている最中に、私が痛みを感じた場所と全く同じだったので、そのときにモーザによってつけられたものなんだろう。
 けど、そうしたら、その傷が、もうこんなに痕も見えないほどに塞がっているというのは、とても自然に回復したものではありえない。

 セシーリカさんに聞いたが、彼女がエリザ助けたときには怪我などしていないようだったという。もちろん、治癒の魔法をかけたりもしていない、と。
 彼女らがあの場所に行く前に治っていたのだとしたら、もうアダルバートさんしかいないではないか。

 彼のそのときの状況なら、後をついてくる怪しい黒猫など、殺してしまうことだって考えられた。少なくともわざわざ魔法で癒してやるいわれはない。
 だけど、彼は癒した。損得や、理屈ではない彼の意思によって。
 傷つけたのがモーザである以上、癒しを受けたことに感謝しているわけではないが、その意思に彼の人柄が見えたから、私は彼を憎めなくなった。

 だから、アダルバートさんに死んで欲しくないし、また、苦しみの中に生きるというのもして欲しくはないというのが、個人的な意見だ。
 でも、これは、単なる私の我が侭かもしれない。シタールさんや、ユーニスさんの言うように、彼にとっては、生きることは苦痛そのものであり、死こそ救いなのかもしれない。

(何か悩んでいるの、ご主人?)
(ううん。ちょっと考え事してるだけ)
(……ほどほどにしたほうがいいよ、体を壊さないように)
(ありがとう)

 私は、エリザの頭をそっと撫でてやった。そしたら、安心したようにまた私の膝の上で丸くなった。
 正直、やや重いのでずっと居座られるのは大変だが、しばらくは仕方ない。これが私のエリザに怖い思いをさせたことに対する償いであり、それでも私に向けられる彼女の気遣いへの報いだ。

 ……アダルバートさんはどうだろうか。罰とか償いとは別に、彼にも報いるべき人はいるのではないだろうか。
 例えば、憎しみを堪え、傷を癒したセシーリカさんや、古い友として温かく迎えようとしているヘルムートさんや、何があっても見守り、手を差し伸べ続けた大地母神や、7年の苦悩の時間をずっと一緒にいてくれたモーザなど、私が思いつかないだけで、もっと多くの人がいるんではないだろうか。
 そういった人たちに報いることは、苦しみに身を焦がすよりも、死に全てを投げ出すよりも、もっと大事なことだと思う。
 そして、彼らに報いる方法は色々だろうが、苦しみや死が、報いになるとは思えない。

 このことを言ってみると、みな、複雑な顔をした。
「アイツがそのために生きることを選べたならいいんだけどな。実際には……色々な意味で難しいだろうな」
 彼の罪、彼の過去、彼の失ったもの……色々な意味で。
 また、私は溜息をつきそうになったが、それは我慢した。

 カレンさんがカップの飲み物は、残したままに立ち上がった。
「そろそろ、施療院のほうを覗いてみようか。帰ってくる頃かもしれない」

 誰が、とは言わなかった。私も聞けなかった。
 
欲しかったもの
アダルバート [ 2007/09/15 23:55:29 ]
 ──かみさま。


着ていた服はぼろぼろだった。けれど私は、ヘルムートが貸してくれるという神官衣を断った。
ヘルムートは、仕方がないとでもいうように小さな溜息をついて、私服のひとつを貸してくれた。

私を捕らえた冒険者たちと共に、私とヘルムートはレアル子爵邸へと赴いた。
貴族の館にしては、やや無骨な印象がある子爵邸は、子爵に仕える兵士たちの宿舎や訓練場も併設されているらしく、子爵の起居する母屋の裏には、武器庫や馬房まで設けられていた。

今、私は罪人扱いされるでもなく、5人の冒険者と、神官衣姿でかしこまっているヘルムートと、そして少しばかりくだけた服装の子爵と共に広間にいる。
勧められた椅子は固辞し、私は1人、窓際に立った。
私のその挙動に、冒険者たちがわずかに反応しているのがわかる。
……そう。私は剣を持っているのだ。あの炎の魔剣を。
小屋が火に呑まれた時に、剣も一度は置き去りにされたはずだが、もとより炎の魔剣が自然の炎に屈するわけもない。鞘にも柄にも、焼け焦げひとつついていなかった。


──かみさま。
──かみさま、かみさま。


「アダルバート」
椅子に腰掛けたまま、子爵が口を開いた。記憶にある面影よりもわずかに年をとった感じがする。
それはそうだ。私の記憶は7年前だ。この剣を拝領した時の面影。
明るい亜麻色の髪に深緑の瞳。あの事件の少し前に爵位を継いだばかりで、当時は30代の半ばだったように記憶している。
「あの剣は役に立ったか」
無造作に聞いてくる子爵に、私は何も答えられなかった。
「あれは我が家の宝物の中でも、素晴らしいものだった。ただ、わたしが使うには、儀礼用としても実戦用としても少々尺が足りぬ。かといって、女子供に護身用として持たせるには少なからず大振りだ。あれは、小柄な者が実戦で使ってこその剣だ。だから渡した」
冒険者たちのなかには眉を顰める者もいた。
「おまえが復讐することを期待したわけではない。しなければ良いと思っていたのは本当だ。けれど、復讐心でもなければおまえが生きていくのは難しいだろうと思った。ただ……アダルバート。辻斬りという手段は少々まずかったなぁ?」
私は窓の外を見ていた。けれどその背後で、座ったままの子爵が肩をすくめた気配が伝わってくる。
そうだ、この方はこういう方だった。無造作で快活で、とても真っ直ぐな。

まぁ、仕方がないか、と子爵が呟く。そうして、椅子を立つ音。
私の隣に並んで窓の外に視線をやりながら、子爵は続けた。
「……レアル家というのはもともと武門でな。書類仕事が得意な文官は少ない。だから、書類がうっかり滞るのはよくあることだ。アダルバート、わたしは、あの荘園の自治権を持っている。つまり、あの荘園で起きた事件に起因するものについてはわたしにいささかの特権がある。あの事件の犯人どもを捕らえて死刑に処すことも出来る。おまえが最初の1人を殺したのは7の月21の日だったな。……ならば、7の月20の日に、わたしがおまえをあの事件の捜査官に任命していたことにすればいい」
はぁ?という声が上がった。そりゃ反則だろう、と続けたのは、体格の良い黒髪の冒険者だ。
「反則でも何でもいい。それが特権というものだ。特権など、救いたいものを救う時に使わずにいつ使う? ……では君たちは、わたしがアダルバートの首をはねれば満足するのか? 違うだろう。そしてわたしもそんなことはしたくない」
「……はねてください」
私はそう呟いていた。
「したくないと言った」
「いいえ、いっそ私の首をはねてください。そうすれば、こんな馬鹿げた復讐劇は終わるのです」


──かみさま。
──たすけてください。


「確かに馬鹿げている。……なぜおまえがこれ以上苦しむ必要がある。もうおまえは充分に苦しんだ。1人手に掛けるごとに苦しみを増していった。確かに、死は救いだ。例えば戦場で……ああ、どうやらそこのお嬢さんは戦場のしきたりを知っているようだな」
子爵が目を向けた先は、焦げ茶色の髪をした若い女冒険者か。
「救いようのない耐え難い痛みと苦しみ、それを救うのは唯一、死だけだ。遠からず死ぬ者であるなら、せめて速やかに死を与えてやることは、戦場に身を置いた者であれば誰でも知っている救いだ。アダルバート、今のおまえにはそれが魅惑的に映るのかもしれない。けれど、ここは戦場ではない。今ここで死を与えれば、おまえは苦しんだまま死ぬことになる。とはいえ、今の状態のまま生き続けることは苦痛だろう。苦しみながらそれでも生きろとまではわたしも言わぬ」
そこで子爵は私に向き直った。
「わたしは、おまえが死によって救われることも望まず、生きて苦しむことも望まない。青臭い理想に過ぎぬかもしれんが、わたしは、おまえが苦しまずに生きることを望んでいる。……だからドリー・キリバスを引き取ってきた」
今は営倉のひとつに拘束しているという。

「おまえがやらぬならわたしがやる」
子爵はそう言って、また窓の外を見た。
明け方まで続いていた雨は止んだが、まだ正午前だというのに空はどす黒く、景色全体を薄闇に包んでいる。
今にも降り出しそうな気配だ。
「おまえがやらなかったとしても、わたしはあの男を野放しにする気はない。首をはねようか、それとも領地にある私の城の地下に投獄して餓死でもさせようか迷っているところだ」
「……それが、あなたの裁きですか」
「違うな。人が人を裁いてはいけない。ただ、あの男はわたしが大好きだった人々を殺した。だから、これは裁きではない。わたしがやりたいからやるのだ」
なぁ、アダルバート、と子爵は続けた。
「おまえの兄、おまえの父母、従兄弟たち、伯父や叔母たち……あの時、あの荘園に住んでいた家族は、みな良い者たちだったな。そら、おまえにとっては義理の従妹にあたるあの娘。セルマと言ったか。おまえは彼女のことを好いていたろう。おまえの兄はそれを知っていて時折おまえをからかっていた。働き者で穏やかな心を持った、良い娘だったな。……なぁ、アダルバート。彼らは、可哀想だったなぁ。わたしは彼らが大好きだったよ」


──かみさま、かみさま。どうして、あんなによいひとたちが、いのちをうばわれなくちゃならなかったんですか。
──かみさま。わるいことをしてはいけないというのに、どうしてわるいひとたちは、わらっていたんですか。


とうに涸れはてたと思っていた涙が頬を伝った。
苦しかった。ずっとずっと苦しかった。復讐への暗い情熱だけが私を生かし続けていた。それを分かち合ってくれたモーザも亡い今、私は全てを諦めて、自らをも殺そうと思っていた。
それだけが、今の私の欲するものだと思っていた。
けれど、違った。
私はずっと、亡くなった彼らを共に悼んでくれる人間が欲しかったのだ。


──かみさま、たすけてください。
──かみさま、かみさま。
──ごめんなさい。
 
女神の声
アダルバート [ 2007/09/15 23:59:18 ]
 小さく、猫の鳴き声がした。ローブ姿の若い女冒険者の膝で、ずっと毛繕いをしていた黒猫か。女冒険者が、静かにとたしなめた。
ご、と音がした。黒く曇った空からだ。遠くで大きな岩が転がるような音が響いた。
「……雷か。今日も一日、雨のようだな」
子爵がそう呟いた時、空に稲妻が走った。そして遺跡でも崩れたのかと思うような凄まじい音が天空から響く。そのすぐ後に、ばりばりと何かを引き裂くような音がすぐ近くで聞こえた。
ざ、と音を立てて雨が降り始める。芝生や石畳を叩く激しい音が、私たちのいる広間にまで届く。
どこか敷地内で、騒ぎが起こった。
ややあって、この館の執事が小走りに広間に入ってきた。
執事に何事か耳打ちされ、子爵が眉を顰める。

「……キリバスを拘束していた営倉に雷が落ちたようだ。正確にはそのすぐ傍にあった杉の木に落ちたのだが、火の点いた杉の木が営倉の側に倒れて、営倉ごと巻き込んで燃えているらしい」
口々に、それは大変だろうという冒険者たちに、子爵は軽く手を振って応えた。
「心配はいらぬ。営倉に放り込んでいたのはキリバス1人だ。見張りは難を逃れたらしいし、あの建物もそろそろ修繕しようと思っていたところだ。わたしにも被害はないよ」
「……ドリー・キリバスは逃れましたか」
尋ねたのはヘルムートだった。
「逃れてない」
あっさりと子爵が答えた。
ざわ、と広間にいた人間たちにどよめきが走る。
「アダルバート、手間が省けてよかったではないか。今、執事を通して兵士たちにも伝えたよ。救助する必要はない、と。……これこそが、おまえの待ちわびていた女神の裁きではないか?」


──かみさま。
──かみさま、ちがうんです。
──ごめんなさい、ごめんなさい、ちがうんです。そうじゃないんです。


私は、営倉へと走った。
広間を抜け、玄関を抜け、庭をまわり、走った。
雨。
叩くように降る雨。
視界さえ霞ませるほどの雨。
炎を上げている建物はすぐに見つかった。それを遠巻きに見ている兵士たちの姿が目に入った。
石造りの小振りな建物はその大半が崩れ、合間に炎が上がっている。周囲には他に燃えるようなものもなく、延焼する気配はない。
私は走った。
柱と梁と石材とに押しつぶされて、炎に巻き込まれているだろう人間のもとへ走った。
子爵と冒険者たち、ヘルムートが私を追ってきた。

「何故だ、アダルバート!」
炎を避けながら、手近な石材に手をかけた私の背中に子爵が叫んだ。
激しい雨音と、燃える建物が崩れる音にもかき消されず、子爵の声ははっきりと私に届いた。
「おまえが助けてもわたしはそいつの首をはねるぞ!」
「それでもです!」
知らず、私は叫び返していた。

「……まったく。しょうがないなぁ」
苦笑混じりにそう呟いて、神官衣の袖を捲りながら近づいてきたのは、半妖精のマーファ神官だった。
「ほら、手伝うから早く。そっち持って」
少しふてくされたような表情で、彼女は石材を除けるのを手伝い始めた。
「力仕事なら得意ですよー」
焦げ茶色の髪をした若い女冒険者も。
「まず火を消そうぜ。いや、この雨ならそろそろ消えるかな」
黒髪の、体格のよい冒険者も。
「すみません、子爵様、猫を預かっていていただけます?」
ローブ姿の若い女魔術師も。
「…………助かると思うのか」
浅黒い肌をした男も、無表情に近づいてきた。
「神に祈りたまえよ」
ヘルムートが誰にともなくそう言って、石材に手をかける。
猫を預けられた子爵は、憮然として呟いた。
「……助かるように祈るのか。それとも逆か。物好きどもめ。……えぇい、おまえたちも手伝え!」
遠巻きにしていた兵士たちが、一斉に駆け寄ってきた。


ドリーの息はあった。何箇所かは骨が折れ、火傷も酷い。
土砂降りの雨の中、私はドリーを見つめていた。ドリーはうめいているが、意識は既にない。
このまま放置すれば間違いなく死ぬだろう。それも苦しんで。
今、癒しの奇跡を願えば間に合うだろう。
一番苦しまずに済むのは、私がここで命を絶ってやることだろうか。
私は、聖印を握りしめた。

──かみさま。

この男は大罪人だ。笑いながら何人もの命を奪い、かけらほどの罪悪感も持たずに、奪った金でのうのうと暮らしていた。
それだけではなく、昔のことを知る仲間を始末もした。事情を知ったその家族までをも殺そうとしたという。
7年前のあの事件が初めてではなく、その前にも何人も殺して、たくさんのものを奪っていたという。
ここでもしも私が助けても、遠からず終身刑か死刑にはなるのだろう。

神よ、それでも。
私は思うのです。
命というのは、そういうものではないと。

「女神よ……慈悲深きマーファよ、この者に恩寵を」

ほんの一瞬、ドリーの身体が柔らかな光に包まれ、そして傷が癒える。

「……それがオマエの選んだ答えか」
浅黒い肌の男にそう聞かれて、私は頷いた。
「ああ。そうだ」

──かみさま。

子供の頃からいつも神に祈っていた。ある日、私は神の声を聞いた。
その後、兄が家を継ぎ、私はオランの神殿に勉強にいかせてもらった。
友と交わり、時に帰郷しては家族と過ごし、農作業を手伝ったりもした。
爵位を継ぐ前だった子爵は供も連れずに時折荘園に遊びにきていた。一緒に、出来たての葡萄酒を味わったりもした。
そんな、命の日々がきっと誰にもあって。
だから、命を決めるのは人であってはいけなくて。
それは、ドリーにも罪のない日々があったろうとか、むしろ生きることで償えとか、どんな悪人にも更生の機会をとか、そういうことではなくて。
決して、ドリーを許したわけではないのだけれど。

──かみさま、ごめんなさい。わたしはいま、わかりました。

憎しみを持つことがいけないのではなく、誰かを恨むことがいけないのでもなく。
誰もが、命を決めてはいけないのだと。それは、自分の命すら。
心は自分の持ち物だけれど、命は自分の持ち物ではないから。
私は、降り注ぐ雨に顔を晒すようにして、天を見上げた。

<糧は、大地にあり>

マーファの御声が聞こえた。それは、もう遠いあの日、私が初めて聞いた御声と同じ言葉だった。
私は、また涙を流した。



私の処遇はレアル子爵が決めると、衛視局とは話がついていたらしい。
「おまえのような、生真面目過ぎる男は損をする。絶対損をすると、子供の頃から思っていたんだ」
子爵が言った。爵位を継ぐ前の面影がそこによぎった。
「……近頃荘園が大きくなって、村もそこそこの規模になった。村人の相談に乗る神官が必要だ。農村にマーファ以外の神殿を建てると農民に嫌われる。わたしはおまえの処分を決めなくてはならない。捜査官云々の書類は今すぐ捏造させる。ただ、世間を騒がせた罰として、おまえはその村に一生留まれ。よそに出ることは許さん」
雨で濡れた髪をかき上げながら、子爵はそう告げた。
「子爵、それでは罰になりませんぞ」
ヘルムートがそう笑う傍で、半妖精の神官が私を見つめていた。
「思わず手伝っちゃったけど……どうして?」
どうして。それは、あの日私が彼女に問うたことだ。あの炎の中で。
「……幾人も殺してきて、今更と思われるかもしれないが。それでも、あそこでドリーを見殺しにしては、私が私ではなくなると思った。それは、私を知っていてくれた者たちへの裏切りだと思った」
そうだろう? 君はあの日、そう言った。
「……あの日、あの場にいたな、君も」
「……うん」
「すまなかった。本当に、すまないことをした。……あの精霊使いにそう伝えてくれ」
彼女の頬に、涙が伝った。雨の中でも、はっきりそうとわかる澄んだ雫。

ヘルムートがドリーの介抱をすることになり、子爵は気に入りのガウンが濡れてしまったと愚痴をこぼし、冒険者たちは子爵の館を辞した。
私は、天から雨が降り注ぐ様を見つめていた。


かみさま、ありがとうございます。
 
終了
イベンター [ 2007/09/16 0:05:08 ]
 皆様、おつき合いありがとうございました。
裏取引の末に参加してくれたPLもどうもありがとう。

これにて当イベントは終了です。
この後の各キャラの思案、後日談などは、各自の宿帳でぜひ読ませてください。

「ラストは、きれいごとじゃん」と言われるかもしれませんが、イベンターとしては、それでいいと思うのです。
そうじゃないものは、皆さんの宿帳で読みたいので。

このイベントをきっかけに、何らかの展開や成長が参加キャラたちに見られればいいなぁと思います。
ありがとうございました。