星をつかむまで
(2003/04/10 )
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作者
琴美
登場キャラクター
ユーニス (ディック、バウマー)
この話は、エピソード
『オランを離れて』
と関連しておりますので先にそちらをお読みくださいませ。
初めての未盗掘遺跡から帰ったばかりで浮かれていた私がいつものように立ち寄った「きままに亭」で受け取ったもの。それは仲間の魔術師からの一通の手紙。
「筋肉娘とワンコインへ
俺様に特急の用件ができた。お前らに関係ねーもんだから話してもしょうがねー。
帰る当てもねーからパーティは解散だ。つーかオレが抜ける。あとは二人でよろしくやれや。
じゃあな。縁とお前らが死なんければまた会うこともあろうよ。
天才魔術師バウマー・ハルマン」
中身は、あんまりと言えばあんまりな、突然の別れの宣告だった。
〜〜星をつかむまで〜〜
手にした羊皮紙に小さく皺が寄る。指が細かく震えているのか、文字が何だか読みにくい。きままに亭のカウンター越しに受け取った手紙は、簡単に書かれたメモのような文字の羅列。
「う、そ……」
手の中の短い手紙はどう読んでもそれ以上のメッセージを伝えてこなかった。読み取れる事は様々にあるけれど、それとて限りあること。
内容は明白。3人で過ごした日々は終わりを告げたということ。そして、バウマーさんと私を繋ぐ糸が簡単に切られてしまったという事。
私達の関係がこんな短い手紙一つで終わるものだなんて、思っても見なかった。
「帰ってきたら、いろいろ話そうって……言ってたのに」
手紙を握り締めて俯くしか、このときには出来なかった。
目を通し終わったときには、頭の芯に氷雪の嵐が吹き荒れていた。冷たい、くらくらする、気持ち悪い。思考が停止している。苦しい、苦しくて苦しくて苦しくて。
どうしてこんなに苦しいのだろう、どうしてこんなに胸が痛いのだろう…………?
呆然としたまま、手紙を受け取っていた店員に彼について知っている事はないのかと尋ねると、どうやら行き先はルオニルらしいとのこと。他には特に知らなかったようだ。
私はこみ上げてくる嘆きの声を押し込めながら、手紙を懐に仕舞うと、きままに亭を後にした。
通いなれた店の帰り道、しかもさして遠くない道程を無意識に辿ってきたらしいが良く覚えていない。ぼんやりとしたまま自分の下宿……『ジャックの店』の離れの扉を閉めた瞬間、突然膝が笑った。扉に背を預けるようにして床にへたり込み、懐に仕舞った手紙を取り出す。羊皮紙が、手を離れて床に落ちる。羊皮紙がかすかな音を立てて床にたどり着いたとき、私の頬を涙が伝い始めた。
「な、何で私泣いてるんだろ?」
あわててごしごしと拭うが、涙は留まることを知らない。だんだん袖は重くなり、胴衣の胸にはしずくの滴った後が降り出した雨のように増え続ける。
自分の服を濡らす水滴の量と、心に走る痛みでやっと自覚した。ああ、そうだったのか。私は……。
父さんの「人前で泣いてはいけないよ」と言う声が耳の奥で響くけれど、今は周りに誰も居ない。
(いいよね、父さん? いまは、泣いても)
堰が切れたように、私の涙は溢れ出した。嗚咽、というのを久しぶりに経験した。
「嫌、そんなの嫌……バウマーさん」
枕に顔を伏せて一晩中泣いた。成人してからそんなことは稀だった。自分の有様を多少恥ずかしく思ってみたり、戸惑ってみたりしながらも、その理由ははっきり判っている。唐突に気付いてしまった自分の想いにやりきれなかったのだ。
そう、私はバウマーさんが好きだったのだ。そんな大事なことに、今の今まで気付かなかった。
彼と離れて初めて気づいた自分の想い。胸の中に生まれた不思議に温かい想いは「仲間意識」だけでも、ましてや「敬老精神」でもなくて、恋。5年振りに男の人を好きになった、ただそれだけだったのだ。
「なのに、どうして」
側に居て欲しいと思っているのに、想いも別れすらも伝えることができぬままに見失った。
「どうして……」
「帰る当てもない」
手紙に記されていた言葉が酷く不吉に思えた。これは「帰れる当てもない」と言うことなのか、それとも「帰る場所の当てもない」と言うことなのか。その違いは余りにも大きすぎた。どちらにせよ自分の気持ちを自覚してしまった今では、心臓を滅多刺しにされるような痛みを覚える内容なのだが。
前者なら、今すぐ追いかけて守りたい。後者なら……寂しさと哀しさに負けてしまいそうだ。自分の居る場所は彼の「帰る場所」ではないことを突きつけられるから。
手紙から読み取れることがもう一つ。それは、彼がこの件について詳しく語りたくないのだろうということ。その事情と私たちへの義理との間で彼なりに搾り出したのがこの文面だろうと思う。
だとしたら、追いかけてもきっと彼は話してくれない。せいぜい追い払われるのが関の山だろう。
何せ「俺様は拡大魔術師(エンハンサー)だ。貴様等の能力拡大をして倒せぬものには挑まん」
「拡大魔術ってのはなぁ、能力を引き出す相手がいてこそ成り立つ魔術だ。一人で事を片づけるような力押しだけの門派じゃねぇ。」
とか言っていた彼が、私たちに声をかけずに行ってしまうような用事なのだから。手を借りたいとさえ思っていないのではないかと、想像する。
そう判っていても、落ち着くことの出来ない心。でも、その心を無理やり凍りつかせて硬直させるようなフレーズもこの手紙にはある。それは「関係ない」のひとこと。
彼が私たちからこんな形で離れられるのは、今の私とワルロスさんが彼にとってさして必要ないからなのだろうと思えてしまう。簡単に別離を選べるくらいだから。このことが余計に胸の痛みを酷く辛いものにした。言葉の刃が胸を千々に切り裂き血を吹き出させる。
(そんな風に切り捨てられたら、好きだなんて言えないよ)
私の心に「女であること」への恐怖を植え付けた事件以降、初めて怯えずに好きになれた男の人。
性格は悪いし口も悪いし態度も悪い。それでも好きになっていたのだ。『夢』と『彼自身』のどちらを先に好きになったのかは判らないが、今更そんなことは気にならない。
自分の想いに気付かなかったからこそ自然に振舞えたし、怯えより親愛をもって側に居られたのは不幸中の幸いというべきなのだろうか?
懐いて周りをうろうろしていたのは私のほうだった。いつも近くに居ては困らせてみたり、引っ張りまわしていた。うるさげにでも彼がそれに応えてくれることに、途方もない幸せを感じていた。
酒場で見かけると嬉しくて隣に寄って行った。ひたすら一緒に居たかった。逢えない事が寂しくて、一緒に旅に出るとそれだけで嬉しくて。こんなに、好きだったのに。
どうして。
どうして私はいつもいつも、大切な事にあとで気付くんだろう。
今にして思えば、彼はかじかんで感覚を失っていた手に触れた湯のように、刺激と痛みとゆっくり伝わる心地よさの有る存在だった。他の人には毒の塊みたいだったけれど、少なくとも私には共に過ごすとき、確かな心地よさがあった。それとも、もう毒に浸食されてわからなくなっているのだろうか。
怯えと畏怖をもって語られる「魔術師」でありながら、私のこころの空白に知らぬ間に入り込んでいた「こわくない」ひと。
(あなたを守りたかった。側でずっと見ていたかった。)
彼の力になりたいとは思っていたけれど、自分がこれほどまで彼を守りたい、癒したい、温めたいと願っていた事にはずっと私は気付いていなかった。それらの思いは、まさしく私の空白そのもの。師匠にその不足を指摘されて以来、懸命に追い続けていた足りない欠片。でも彼を思うことで、ごく自然にその空白は埋まりつつあったのだ。なんてことだろう。
以前、郊外の林で出逢った傭兵さん……ディックさんに言ったことがある。
「こういう呪縛が解けたら、誰かを好きになったりできるだろうか」と。彼はこう答えて下さった。
「あなたは今、心が怪我をしている状態なのですね。あなたの心を癒す術は私には分かりませんが、時間ときっかけで癒される事を願っています。 」
彼の言うとおりだったのだ。自分の考え方は逆だった。誰かを好きになることで、怯えは知らぬうちに解消されつつあった。恋が、私が女性であることを心に刻み、失われた欠片を少しずつ空白に注ぎ込んでいた。自然に空白が埋まりつつあったなんて自覚できなかったのに、そんなこともあるなんて。
自覚がない故に、ひたすら自力で自分の欠点を埋めようとあがいていた私は鈍感もいいところだ。
恐怖と怯えが薄れ、満ちることを知ったはずの胸に今宿る渇望と灼熱。始めて自覚した身を焼き尽くすような想いが、恋なのだろうか。だとしたら今までの私は本当は恋を知らなかったのだと、何とも可笑しくなって泣きながら笑った。
涙が少し収まったとき、今すぐにでも彼の後を追って出かけようかと考えた。しかし苦々しい気持ちでその衝動を抑制する。
「もうすこし早く帰っていたら追いかけたのに」
あまりにも、彼との時間が空きすぎてしまった。2、3日の遅れなら今すぐにでも追いかけただろう。でも10日あまりの空白は、私と彼とを決定的に遠ざけた。そして。
「私は彼には必要じゃないみたいだし、足手まといになるのはもっと嫌だし……」
手紙の中の「関係ない」の一言が私の足を杭で打ち、この土地に留める。
逢いたい。話がしたい。でもきっと、彼にとって私は不要なモノ。今逢っても、私だけが想いに苦しんでいるこっけいな一人芝居を見せるだけ。そう思うとまた涙が止まらなくなった。
そうやって一晩中、ほんとうに一晩中泣き続けて。明け方に泣き疲れて眠ってしまったようだった。
夜の帳が少しずつ軽く巻き上げられ、小鳥の声が少しずつ控えめに耳に届くようになった。鎧戸の隙間から差し込む淡い光は、オランに夜明けが来たことを告げる。小鳥の声に起こされて、泣きすぎて腫れぼったい目をこすりつつ扉を開けて庭に出ると、東の空では暁光の中にぽつんと、明けの明星が輝く。対照的に、反対側の西の空はまだ暗い。
西……あちらの方角に私の心を焦がした人が居る。
西の空に、少しでも早く光が届きますように、彼の行く先を照らしてくれますように。
明星に背を向けながら祈った。
星を見ながらふと、思った。来月に予定していた里帰りは、一人で行こうと。
リグベイルさんや、パートナーのミーナさんを誘ってゆったりのんびり行こうと思っていたけれど、恋に悩む自分ではきっと彼女達に迷惑をかける。きっと道中、彼の足跡を探してしまうだろうし。
それよりも、ひとりでどこかの商隊の護衛に加えてもらってエレミアまで行こうと思う。仕事だったらきっと、気持ちを切り替えて臨める自信があるからだ。彼が目指したルオニルに着いても、仕事で来ているならば、彼を探してさまよわずに済む。自分に喝をいれて歩き続けられるように仕事に熱中できる。この時期は隊商も活発だし、そういう仕事もきっと見つかるだろう。
今は、彼に逢えない。今逢ってしまったら、きっと私がだめになる。こんな弱いままでは、ダメだ。
でも、今すぐにでも逢いたい気持ちも本当。
揺れ動き続ける自分の心にとまどい、再会の日までこうして延々と悩み続けるのだろうかと思うと、ため息が出た。
もっと、素敵な人間になりたい。魅力ある女性にも、なりたい。
いつか再びめぐり逢えたときに、彼を惹きつけてやまないような素敵な女性に成長しているように。
具体的に「素敵な女性への道」がよく判らないのが難儀なのだが、実際に目にした素敵な女性や、仲良いご夫婦などに聞いてみようかと思う。外見については努力はしてみるけれど……今更女性らしい体型とかはちょっと無理な気がするのが悲しい。
さらには、彼を守る剣、援護する弓、癒す力を存分に振るえる実力ある冒険者となって、彼が私を必要とするほどの存在になれるように。
そして、確認することも叶わなかった彼の『夢』が想像通りならば、それを叶える支えになれるように。私の一番大切なもの……私の生きる力の全てで、大切な彼を包めるような人間になれるように。
だから、決めた。
「私はこれからもっともっと強くなる。絶対に!」
そう思ったら、足元に少しだけ暁光が届いた気がした。
朝の微風が泣き疲れた体を優しく撫でていく。風乙女さんたちの楽しそうな舞を見て、またディックさんの言葉を思い出す。
「今のあなたに必要な事はがむしゃらに精霊との絆を深めようとする事ではなく、自分をみつめ、認めようとする事だ。」
「ある意味私たちは恵まれていますよね。友達が…いつも傍に感じられる。一人じゃない…」
「望む道と得た力の為にしっかり歩いて行きましょう。それが私たちの権利であり、義務だと思います。」
そして自分自身が口にした言葉。
「孤独すらも友達に出来るんですよね。」
ありがとうディックさん。今、あなたの言葉が重く、強く、温かく響いています。
あの時あなたに出会えてよかった。ほんとうに、良かった。
バウマーさんのことを考えているのに、他の男の人の事を考えるなんて浮気者?
ふとそんな風に思って、可笑しくなった。ああ、私は笑うことが出来る。もう、大丈夫。
気付けば、陽は東方よりその姿を現そうとしている。
初めて精霊使いとして独り立ちを許された日の早朝、身を切るような冷気の中、師匠と見た朝日。あの日、私の”霊”としての生活が始まった。
そして奇しくもその夜に出会った私の大切な、好きになった人。噴水の前での出会いが始まり。
まだ、一区切りが着いただけで、何も終わったわけではない。むしろ恋は、始まったばかりなのだ。
大きく伸びをして、調息と共に強張った体を解きほぐしていく。珍しいこと続きだが、泣き疲れて鍛錬を忘れていた。いつもならもう汗を流している時間だった。
今日の予定を思い浮かべる。鍛錬、仕事探し、そんなところ。
それならば、鍛錬のあとにちょっと交流神様の神殿にお参りに行こう。彼は嫌がるだろうけれど、彼の行く道にご加護があるように祈ろう。
「縁とお前らが死なんければまた会うこともあろうよ。」
これを期待するならやっぱり交流神様! いや、それだけを目的に行くわけではないが。
方針は決まった。さあ今日も一日、頑張ろう。
私は部屋に飛び込んで手早く身支度を整えると、目覚める気配のあった母屋に駆け込んだ。
「おはようございます、朝ご飯の支度、手伝いますっ!」
涙よりも笑顔であなたを想えるように、歩き出そう。地平線の下に隠れた星に再び出会えるまで。
「それまで、どうか……元気でいてくださいね。無茶をしないで下さいね……。」
どうしても彼の行動パターン上、喧嘩を売りに出かけて行ったように思えるのが気がかりだけれど。
「どうか彼の行く道によき風の加護を……生命の精霊よ、戦乙女よ、どうか彼を見捨てないで。」
きっと、私はこれからも一杯悩むだろう。涙も沢山流すかもしれない。
けれどもう、立ち止まってはいられない。どんなに歩いても走っても、私の足の速さでは、眼前の大地の果ては見えず、遥か遠くまで続いているから。
でもそれくらいで丁度良いのかも知れない。初めて出逢ったとき、彼は私に挑むようにこう言った。
「剣と霊、いずれも一流になると言った結果に興味がある」と。
だから泣きながらでも、私は前に進み、自分のたどり着ける最たる高みを目指そう。彼に再び逢えたとき、胸を張って笑えるように。遠い星が私に魅せられてしまうくらいの高みを目指そう。
星をつかむまで、いいえ、たとえこの手につかんでも、私は歩くのをやめないだろう。
<終>
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